Side Alice.「天敵と狂気」
※アリス視点の三人称です。
どんな攻撃も通過させてしまう――つまり直撃しない鎧。対する、魔力製の弾丸による攻撃。どちらが有利かなんて火を見るより明らかだ。
先ほど自身の攻撃によって負傷した左足をやや引きずりながら、追尾の魔弾を解除し、一歩だけ後退する。そんなアリスにガーミールは嘲笑を浴びせた。
「これで身の程が分かったか? ならば、降参するといい。礼儀知らずの人間だろうと商品にはなるからな。こちらとしてはあまり傷を負ってほしくないのだよ。それとも、逃げるつもりかね? 我が貴様を逃がすとでも?」
敵を前にして逃げるつもりなど、アリスには毛頭ない。ただ、仮に一時撤退を決めたとしても、それを許す相手ではないことは理解していた。透明化したアリスの前に着地してみせた身のこなしは常人離れしている。それが鎧の貴品『真摯な門番』の効力のひとつかは定かではないものの、逃亡を許さないだけの身体能力を持ち合わせているのは証明済みだ。透明になったところで意味がないこともまた同じ。
「アタシは」
アリスは左手の魔銃をホルスターに収め、空いた手のひらをガーミールにかざした。ちょうど彼の鎧の顔部分を遮るように。
「逃げるつもりなんてないよ」
それからの動作は一瞬だった。
目を瞑る。右の魔銃の銃口を手の甲に押し付ける。
そして、トリガーを引く。
発砲音と同時に、左手に焼けるような痛みが走った。当然だ。彼女は彼女自身の手をゼロ距離で撃ち抜いたのだから。
自傷行為――ではない。左手越しに魔弾を放っただけのことだ。
先ほどガーミールは鎧の効能として『攻撃を通過』させると言った。それが自分に向けて放たれていないならば攻撃の範疇に入らず、したがって左手を貫通した弾丸はガーミールの額を捉えたはずである。
現に、彼の顔には弾丸大の穴が空いた。
「自分自身への攻撃なら『真摯な門番』は感知しないとでも思ったか? 愚策だ」
アリスは肩で息をしながら、額の穴が収束していく様子を睨んだ。
これでひとつ、嫌な事実が証明されたことになる。あの憎たらしい鎧はどんなものであれ、向かってくる攻撃なら通過させる。魔術か否かにかかわらず。
「アタシはね」左で拳を握ると痛みが駆けた。「血も痛みも慣れっこなのさ。だからこんな手段だって平気でやる。アンタの弱点を見つけるためなら、なんだってね」
痛みのシグナルで脳が回転を速め、心が高揚する。いつだってそうやって戦ってきた。ハルキゲニアでクロエや『黒兎』と戦ったときも、グレキランスに来てルイーザと戦ったときもそう。自分はなにも変わらない。戦闘狂とは、アリスにとって褒め言葉だ。狂えば狂うほど、強く、賢くなっていく。
右手の魔銃もホルスターに収めた。こいつ相手に魔弾の役目はない。
アリスは前傾し、大きく息を吸った。
「酔狂だな。まだやるのか?」
「酔狂で結構さ」
疾駆したアリスは右の拳をきつく握る。そして一気に距離を詰め、鎧の腹へと振るった。むろん、ただの拳ではない。表面には防御魔術を施してある。
攻撃そのものを防御で覆ってしまえば、攻撃と認知されなくなるのではないか。そんな試みだったが、今度も功を奏さなかった。ガーミールの腹に虚しい穴を作り出しただけである。
だが、それで終わるつもりなんてない。
腕を突き出したまま、アリスは黄金の鎧を見上げた。
「アタシがこのまま腕を突っ込んでたら、穴はどうなるんだい?」
「どうもならん。勝手に収束することもない」
「なら――」
アリスは腕を引くことなく、前進した。体当たり未満の勢いで。
ガーミールの言う通り、鎧には指一本触れられなかった。鎧は彼女の動きに合わせて虚空を作り出しただけ。一連の動作のなか、ガーミールの首を手刀で薙いだものの、さながら切断されたように虚ろな空間が生まれただけで、すぐに収束していく。なにかに触れたという感覚もない。少なくとも、鎧には。
ガーミールの身体をすり抜けるようにして背後に回ったアリスは、なんの収穫も得なかったわけではない。
「貴様! 我の剣を盗むなど失敬な!」
手刀が意味をなさないと悟ると同時に、アリスの右手はガーミールの唯一の武器らしい武器――大剣へと標的を変化させたのだ。
左手の傷を無視して両手で剣を振り上げ、一気に振り下ろした。振り返り際のガーミールを一刀両断するごとく。
重たい両刃の刀身が、地面の苔に突き刺さる。
ガーミールは真っ二つになっていた。ただ、アリスの狙い通りではない。
「ホントに……なんなんだいアンタ」
「既に自己紹介はしただろう。度外れに忘れっぽいのか?」
平然と返すガーミール。その鎧に生まれた斬撃による隙間が、ものの数秒で埋まっていった。
自分の攻撃は通用せずとも、敵の持つ武器なら有効かもしれない。そんな推論は丸っきり外れていたことを知った。
いくつもの仮説を立てては、それこそ自分の身を犠牲にしてまで試す。それらがことごとく失敗に終わっている現状は、絶望するに余りあるだろう。
「剣を返せ小娘」
素早い動きで剣の柄を奪い取られる瞬間も、ガーミールに触れることさえ出来なかった。彼は再び剣を背負うと、呆れ声をこぼす。
「貴様に勇気があるのは認めよう。たとえ愚策であっても、実行するのは容易いことではない。ただ、もう分かったろう? 無駄な抵抗はやめて大人しく捕まるのだ。なに、乱暴はせん。先ほども言った通り、傷をつけるつもりはないからな」
まるで諦めの悪い子供に言い聞かすような口振りだった。現に、彼の声を聞く限り壮年だろう。血族にとってのそれが何歳を示すのかアリスには分からなかったが、この手の大人ぶった奴は好かない。人を思い通りにしようと宥めすかす口調は、自分の父親に似ていた。
だからだろう。このときアリスは、ほとんど衝動的に攻撃していた。
右手に展開した巨大な盾状の防御壁を、押し出すようにして。急拵えの魔術相応に、練度の粗いものだった。
ガーミールは半歩ほど横に移動する。防御壁がその身体の大部分を通過し、やがて剣にぶつかって霧散した。
ガーミールは片足と片手以外存在しなかったが、やがてそれらも間を置かず元のかたちに戻っていく。
アリスはしばし、呆然としていた。
「物分りの悪い娘だ。どんな攻撃も我には通用せん。何度やっても同じだ。体力と魔力を無駄に――」
「なんで避けた?」
今までこいつは、一度だって攻撃を避けなかった。一歩も動こうとしなかった。
だが、先ほどの防御壁に対してだけは反応した。たった半歩の動きだが、その僅かな動作をアリスは決して見逃さなかったのだ。ゆえに、しばし茫然自失してしまったわけである。
「避けた? なにを言っている? 我は――」
もう一度防御壁を展開し、放つ。今度も奴は半歩だけ回避した。先ほどよりも壁のサイズを大きくしたので、残ったのは手指の先だけ。それでもすぐに元通りになる。
「まぁた避けたねえ。アンタの弱点、見つけたよ。今からたっぷりいたぶってやるから、せいぜい後悔するんだねえ」
ガーミールは返事をせず、大きく後退して剣をかまえた。
この鎧に知恵はない。あるのは余裕だけ。だから、対処可能な攻撃にはなにもアクションを起こさない。逆に言えば、少しでも反応してしまったなら、それが鎧の攻略法にも通じてしまうというわけだ。
「アンタは、自分の鎧全部を覆うようなサイズの攻撃は通過させることが出来ない。だから、避けるしかなかったんだろう? なあ、ガーミール公爵閣下。答えを聞かせておくれよ」
剣をかまえて沈黙するその態度が、アリスの答えを裏付けていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』にて
・『魔弾』→魔銃によって放たれる弾丸を指す。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『黒兎』→ハルキゲニアの元騎士。ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。『白兎』の双子の弟。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。『針姐』の墨の魔術により全身に縮小した魔紋を刻んでいたが、クロエの持ち込んだ『墨虫』により無力化された。現在は魔力の大部分と記憶を失い、平凡なひとりの少女としてローレンスの館に住んでいる。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』『第二章 第六話「魔女の館」』より
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて