Side Alice.「真摯な門番」
※アリス視点の三人称です。
小人の最古の歴史書。その執筆者であるラルフが何年前の人物なのかは定かではない。ただ、途方もない時間が経過していることは確かだった。だからこそ歴史書に登場した人物、ガーミールと同じ名を持つ鎧の男を不死者――あるいは不老者だと推測したのも致し方ないことだろう。ガーミールが多少なりともオブライエンと接点があった事実は、その推測を下支えするには余りある。
が、黄金の鎧は首を傾げた。
「我が不老不死? なんの話だ。我が一族は代々、家督を継ぐ者はガーミールの名を拝受する。我は四代目のガーミールだ。我は不老でも不死でもない」
表情こそ見えないものの、鎧の男が嘘を言っているようには思えない。アリスは多少なりとも冷静さを取り戻し、相手を見据える。実際、不老不死だろうとなんの問題もない。自分のすべきことは決まっているのだから。
「しかし、我の名をどこで知ったのだ……? グレキランスで有名というわけではあるまい。先祖がグレキランスに外遊した……? うむ、いかにもありそうな話だ」
ひとり納得する鎧を相手に、アリスは少しばかり好奇心を覚えた。クロエの経験した歴史書の内容を信じるとは決めたものの、真実かどうかは自分にとって闇の中だ。確かめるには血族、それも相応の権威を持つ者に訊ねるほかない。絶好の相手が目の前にいる。
「アンタ、ラルフって奴を知ってるかい?」
「誰だそれは」
「じゃあ、オブライエンは?」
「そいつも知らん」
「……アンタら血族がいつ、どうやって誕生したのかは知ってるだろう?」
「遥か昔からラガニアの地を統べていたラガニア人が、あるとき変異した。我はそう認識している。我が先祖の遺した歴史書に明記してあるのだからな。変異の元凶がグレキランスの者にあるなどという話をする貴族もいたが、信じるに値せん」
「アンタのご先祖様は、変異の理由まで遺さなかったのかい?」
「理由は不明。歴史書にはそう書いてある」
グレキランスがオブライエンによる介入で歴史を歪められたように、ラガニアの血族も遠大な時間の経過によって、自らのルーツの大部分が欠落してしまったのだろう。ただ、それは一般的な血族に限っての話だ。
ガーミール公爵。そいつは魔物でも他種族でもなく、血族になったに違いない。わざわざ他人の名を襲名させるような輩はいないはずだ。それも、ラガニアに悲劇を呼び込んだ一因でもある名を。
ガーミールはあえて自分の醜態は伏せ、回顧録でも執筆したのだろう。
「貴様は我らのルーツについてなにか知っているのか? ならば、一切を漏らすことなく語るがいい」
「おや、アンタは大事な大事なご先祖様の歴史書以外、信用しないんじゃないのかい?」
鎧の男は一歩踏み出し、拳を握った。
「無礼者め! 揚げ足を取るなど卑怯千万!」
堪える必要もなかったので、呆れ笑いをこぼした。透明化した相手を見破り、じっくり観察した事実が嘘に思えるほど単純な思考回路をしている。変なプライドだけはあるのに、驚くほど口が軽い。
さて、そろそろいいだろう。ヨハンは囚われ人のところにとっくに到着し、縛めも解いたに違いない。あとは彼がひとりひとり連れ出す間、この間抜けな鎧の意識全部をこちらに繋ぎ止めておく必要がある。そのためには言葉だけじゃ到底足りない。
「ああ。アタシは卑怯かもねえ。それで結構。ただ、人身売買よりは百倍マシなつもりさ」
「貴様、また揚げ足を――」
言葉が絶える。それも当然だ。
最前からずっと男の額を捉え続けていた銃口から、魔力製の弾丸が放たれたのだから。速度だけを重視した、ある意味様子見の一撃。それは相手の額に弾丸と同じサイズの穴を空けた。
呆気ない。
アリスは素直に落胆した。血族の貴族が、速さだけの魔弾に射抜かれて終わりだなんて――。
「貴様、正真正銘の卑怯者だな。我は話している途中だったのだぞ。不意打ちは下賤の行い……貴様の値打ちは大したものにはならんだろうな」
確かに撃ち抜いたはずだった。しかし数秒後には、弾丸の通過した箇所がみるみる小さくなり、なにもなかったかのように穴が消えたのである。
アリスは思考を高速で回転させる。威力の問題なのか、それとも奴がなんらかの魔術を行使したのか、あるいは鎧自体に妙な細工がしてあるのか。
鎧の男――ガーミールから数メートルの距離を保ったまま、彼の横に回り込み、弐丁の魔銃を連射する。
合計十発。
それらの弾丸をガーミールは避けようともしなかった。そうする必要がなかったということは、アリスの目にも数刻後に明らかとなる。
弾丸は鎧に複数の穴を空けたが、ガーミールは平然とアリスへ向き直ったのである。
ただ、今回の弾丸は速さに特化したものではない。弾丸の行く末はガーミールも追えていないだろう。こちらへ向き直ったことによって、十発の弾丸はお誂え向きに彼の背中目がけて宙を飛ぶ。
追尾能力を付与した弾丸。これであれば意識の外側を突けるとアリスは踏んでいた。実際このとき、ガーミールは彼女の攻撃を意識してはいない。そもそも最初の攻撃さえ意識してはいなかった。彼の意識を刺激したのは、透明になった彼女が彼の前に姿を現したときくらいのものである。
弾丸が飛び交う。
それらはガーミールの身体を中心に、行きつ戻りつの円運動をしていた。鎧に穴を空けながら。
弾丸はときおり、ガーミールの背負った剣にぶつかって軌道がズレたが、鎧を追尾する性能自体は阻害されていない。
「アリスと言ったな」
ガーミールは平然と言葉を発する。まるで攻撃など受けていないかのように。
そう、実際攻撃のうちに入っていないことは、既にアリスも気付いていた。
敵の鎧が弾丸に触れる寸前、その弾丸のサイズより少しだけ大きな穴が空くのだ。ゆえに、アリスの攻撃は一発も敵に命中していない。
「貴様の攻撃は我に通用せん。分かったらさっさと降参して――」
ガーミールが言い終える前に、アリスは彼との距離を瞬時に詰めていた。早駆けの魔術は走るだけが能ではない。おおもとが身体強化である以上、戦闘にも応用出来る。黄金の鎧との距離を一瞬で詰めたのもそう。軸となる右足だけにその魔術を残し、それをバネにして、左足で強烈な後ろ蹴りを放ったのもそう。
アリスのこのときの左足には、なんの魔術も籠められていなかった。右足の補助を借りた、純粋な蹴撃。ちょうど鎧の横腹を突き上げるかたちの奇襲だ。
しかしアリスが蹴ったのは虚空だった。鎧の横腹に空いた、アリスの足より少し大きい虚空。
「は?」
思わず声が漏れる。
魔術の塊である弾丸が対処されるのは分かる。ただ、魔術でもなんでもない体術さえ同じ結果になるとは、さすがに予想していなかった。
「――っ」
油断したつもりはなかったが、アリスは自分自身の放った追尾弾により、足を痛打された。足の軌道に沿って鎧の空隙が推移していく様子を横目に見ながら、転がるようにして距離を取る。
「今度は貴様が揚げ足を取られたな。いや、正確には揚げ足を撃たれたか」
愉快そうに喋る鎧への苛立ちよりも、この状況を打破する方法を頭で計算する。自分の手持ちの魔術で、少しずつでもいいから妙な防御の正体を見極めなければ。
だが、その必要はなかった。
ガーミールは、未だに周囲を飛び交い、自身を穴だらけにする弾丸を意に介さず、大きく両腕を広げる。
「我のまとう鎧の貴品――『真摯な門番』はいかなる攻撃も通過させる。自動的にだ。魔力の有無は問題にならん。したがって貴様がいかなる策を弄そうとも、我には指一本触れられぬのだ」
ガーミールがたったひとりで隠れ家内部を守護していた理由が、ぼんやりとアリスの頭を揺さぶる。
こいつは間違いなく自信家だ。そのプライドを支える強固な品も持っている。おおかた半馬人の捕獲には血族を投入し、侵入者対策に自分だけ居残ったのだろう。強敵を跳ね除ける最後の砦を自負しているわけだ。
「ハッ」
自分自身の乾いた笑いが鼓膜を軽く揺さぶる。
その笑いがなんの理由に基づいているのか、彼女自身不明だった。というより、理由を探る気になれない。
天敵を前にした諦めの笑いだとは気付きたくなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』にて
・『小人』→人間とは別の存在。背が低く、ずんぐりとした体形が特徴。その性質は謎に包まれているものの、独自の文化を持つと語られている。特に小人の綴った『小人文字』はその筆頭。『岩蜘蛛の巣』の小人たちは、人間を嫌っている様子を見せた。族長は代々、歴史書を記す役目を負っている。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ガーミール』→ラガニアの公爵。オブライエンの計略により辛酸を嘗め、最終的には爵位を失った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『魔弾』→魔銃によって放たれる弾丸を指す。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『早駆けの魔術』→馬などの速度を上げる魔術。人にも応用可能。詳しくは『559.「隠し通路」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて




