126.「暗がりの刃」
「ここからは作戦通りに進みます」とヨハンは静かに囁いた。
各々が頷く。
事前の作戦では、なにかトラブルが発生した際は二手に分かれることになっていた。最上階を目指すヨハンとケロくんのペア。そして敵の迎撃を担うわたしとアリスのペア。
アリスと二人きりになることは、彼女の希望が多分に含まれていた。意外なことに、ヨハンはそれを特に否定せず、彼女の理想通りになったわけである。
ヨハンは、わたしとアリスを本気で決闘させたいのだろうか。だとしたら悪趣味だ。
警備兵など問題ではなく、一番の敵は隣にいる。トラブルが起こらず、四人ひと塊で最上階に到達出来ることを願った。
塔内部は植物の蔦を想起させるデザインになっていた。螺旋階段の柵も壁も同様である。縦横数メートルごとに取り付けられた窓に雨粒が弾ける。きっと晴れていれば、夕暮れ時は西日が幾筋も差し込んで美麗な眺めになるのだろう。
雨が窓ガラスに打ち付けられる音が絶えず響いていた。薄暗がりの塔は、疎らな永久魔力灯が小さく灯っている。螺旋階段の位置と足元が薄っすら確認出来る程度のささやかなものだ。見上げると、薄暗がりに灯った小さな光の粒が上へ上へと続いている。『大虚穴』とはまた違った、どこか怪しげな印象だ。
階段で警備兵と出くわすことがあれば交戦は免れないだろう。そのためにも、この薄暗がりは有難かった。遠方から発見されてしまえば援護を呼ばれて面倒なことになる。アリスには飛び道具があるが、この状況で発砲音が鳴れば余計に敵の注意を惹いてしまう。つまりは、会敵しないよう祈りつつ、慎重に進む必要があった。
不意に、前方でケロくんの頭が――というよりカエル頭を包む魔力の覆いが――揺らいだ。徐々に彼の本物の頭部がくっきりとしてくる。
暫く注意して見守っていると、ケロくんの頭部に施された変装魔術が完全に解除された。アリスを追い越して、彼の傍に寄る。
「大丈夫?」
「ちょっと疲れたケロ」
そう言いながらも、足は止めなかった。彼も理解しているのだ。一度塔に入ってしまった以上、早急に目的を遂げなければならないことを。時間が経てば経つほど危険度は増していく。なにしろ、敵の拠点なのだから。
「変な魔術をかけなければ背負ってあげてもいいけど」と進言すると、彼は即座に首を振って否定した。
「女の子に背負われるのは情けないケロ」
一丁前にプライドを持っていると見える。首から下だけで見れば、青年くらいの歳だろう。わたしよりひと回り程度年上といったところか。
「倒れる前に言ってね」
「分かったケロ」
一歩下がり、ケロくんの真後ろを歩く。ゆらゆら揺れるカエル頭を見ていると、どうも気が緩んでしまう。
不意に耳元で囁きが聴こえた。「もうじきだねえ、クロエお嬢ちゃん」
ぞくり、として足を止めて振り向くと、愉快そうに口元を歪めるアリスがいた。
「驚かせないでよ」
耳に嫌な吐息の感触が残っている。
アリスはクツクツと静かに笑った。「あらあ、シャイなんだから……」
最も厄介な敵は、やはりアリスだろう。この戦闘狂をどういなそうか。時計塔内部で本当に彼女と戦闘しなければならないとすると、上の広間だろうか。少なくとも、螺旋階段で銃を抜くほど狂ってはいないだろう。
「愉しみで仕方ないのよ……。クロエお嬢ちゃんとデート出来るなんて、考えただけでも疼くわあ」
「勝手に疼いてて頂戴。今は等質転送器の破壊が先決よ。お願いだから目先のことに集中して」
たしなめると、彼女は眉尻を下げた。真っ赤な舌が、ぺろりと唇をひと舐めする。
見上げると、永久魔力灯が途中で途切れ、薄っすらと天井が見えた。あと少しで広間に到着する。そこが中間地点か、と思うと少しばかり憂鬱になった。一直線に進めばそれほど時間はかからないはずだが、螺旋階段を登る以上、どうしても余計に時間が必要になる。梯子のほうがずっと楽だ。少なくともわたしにとっては。
一段一段踏みしめて登っていく。『大虚穴』と違って神経を摩耗させるような道のりではなかったが、いつ現れるとも分からない敵の姿と、背後のアリスの存在の両方に注意を払わなければならなかった。気疲れしてしまう。
ヨハンが歩みを止め、しゃがみ込んだ。わたしたちも彼の傍で同様にしゃがみ込む。
彼は口元で人差し指を立て、じっと天井を睨んでいた。それから小さく頷く。「おそらく無人です。しかし注意を怠らないで下さいね。敵がいるとしたら広間か最上階ですから」
警備兵だとしたら物音はするはずだ。表の兵士も裏の兵士も帯剣していたし、簡易な鎧を装備していた。広間で眠っていない限りは気配だってするだろう。無人で間違いない。
それにしても、こんなにすんなりと進めるのは意外だった。激しい戦闘になることも想定していたのだが。
一段一段、これまで以上に慎重に登ると、螺旋階段はぽっかりと口を開けていた。ようやく広間、というわけだ。その先には、更に上へと延びる階段が薄っすらと確認出来る。広間の天井までは通常の階段を登り、最上階へは螺旋階段が続いているのだろう。
ヨハンはためらいがちに広間へと上がっていった。彼の次にケロくんが続き、わたしも広間へと入る。
そこは灯りひとつない場所だった。上階へと続く階段の先から漏れるささやかな光は、広間までは届かない。暗がりに慣れた目でも、物の判別がなかなか難しいくらいの暗さだった。
床は大理石だろうか。幾何学模様の切れ込みはいかにも高級な趣味を思わせる。向かい側の壁は全面ステンドグラスになっているように見えた。降りしきる雨が打ち付けている。雨雲は厚く、ステンドグラスからの光などあってないようなもので、広間は暗闇と言って差し支えない。
暗がりの先に目を凝らす。なにか異常はないだろうか。なにかひとつでも見落としていまうと危機に至るような、そんな恐れを感じた。
「伏せろ!」とヨハンの叫びが聴こえた。
その刹那、眼前に接近するなにかが見えた。
咄嗟に身を低くすると、鋭い音と共に、壁になにかが刺さった。まじまじと見ると、それがナイフであることが分かった。刀身も柄も黒いナイフ。そして、魔力を帯びている。
サーベルを抜き、構えた。暗がりから複数の魔力が直線的に飛んでくる。間違いなくナイフだ。ヨハンとケロくんを重点的に狙ったそれをサーベルで弾いた。
「先に行って!」
「言われなくとも! 行きますよ、カエルくん」
二人の進路を塞ぐように、次々と魔力を帯びたナイフが飛ぶ。ひと塊になって移動する二人を守るようにサーベルを振るう。今のところはなんとか攻撃を凌ぐことが出来ているが、いざ二人が階段を登り出せば上手く弾き切れないかもしれない。
発砲音が響いた。
魔銃から放たれた一発の弾丸は、ナイフを飛ばしてきた標的へと一直線に飛ぶ。
着弾――と思った刹那、金属音と共に魔弾は逸れて壁にめり込んだ。
その隙にヨハンとケロくんは階段を駆け登る。
広間の天井に差しかかった彼らへと魔力が飛んだ。まずい。
ぐっ、と足に力を込めて跳び上がった。そして、天井付近に届くか届かないかの位置へ、孤を描くようにサーベルを振るった。
鋭い音と、確かな手応え。
着地して暗闇を睨むと、広間の隅に立つ人影が確認出来た。
「あーあ、逃がしちゃった」
幼い声。冷淡で残酷な性格をありありと感じさせる、そんな口調だった。
空が鳴り、稲光に広間が一瞬照らされた。
それで充分だった。残忍な表情を浮かべた、全身黒ずくめの服装をした子供。わたしはそいつを、ハルキゲニア正門で一度目にしている。
愉悦に震える邪悪な笑みは、長らくわたしの脳裏に残っていた。
ハルキゲニア騎士団。双子の片割れ『黒兎』。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』参照
・『大虚穴』→巨大な縦穴。レジスタンスのアジトへと続く階段がある。詳しくは『106.「大虚穴」』にて
・『変装魔術』→姿かたちを一時的に変える魔術。主にケロくんが使用。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて
・『等質転送器』→拡声器型の魔道具。声を均等に届ける道具。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『黒兎』→ハルキゲニア騎士団の要注意人物のひとり。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』にて




