幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」
血族の各部隊がグレキランス領に到達して四日目の夜。
簒奪卿は初日の段階で離脱したものの、他の諸侯の部隊はおおむね一群となって夜間に進行し、『魔女の湿原』を挟んで北部に位置する町――ロンテルヌに到達した。
かつてグレキランスの人間をオークションへと送り込んでいた『マダム』が支配していたその町は、今や血族と魔物の軍勢がひしめいている。その一角で身を寄せ合う竜人たちは、態度こそ平静ではいたものの、内心穏やかではなかっただろう。これまでの行軍もそうだったが、血族は竜人への好奇の視線を隠さない。特に夜会卿の部隊の者はその傾向が強かった。同じ方角を向いて戦地に赴いている以上、おおっぴらな接触こそなかったものの、連中の視線がおおむね悪い意味を示しているのは明らかである。つまり、竜人を珍奇な玩具と見做しているのだ。チャンスがあれば攫って、夜会卿への貢ぎ物にしてやろうという魂胆が透けている。そうした悪意のすべてを、竜人を率いる流刑地の長ベアトリスや、彼の部下である血族が跳ね除けるのは難しい相談だ。
「ここまでの心労、痛み入る」
ロンテルヌの外れで、ベアトリスはサフィーロに謝意を伝えた。サフィーロはというと、腕組みし、小さく首を横に振った。「気にするな。我々は必要な仕事をするだけだ」
クロエによって、ほとんど説明もなしに血族側での戦争参加を余儀なくされ、ベアトリスの指揮下に入ったわけだが、当然のごとく、当初は竜人側に並々ならぬ憤りがあった。見ず知らずの血族のもとで戦うような意想外は受け入れがたい。
夜会卿の背後を狙うのみであり、人間側からの攻撃は無いと約束されている以上、竜人全体で見ればメリットが有る。少なくとも、人間とともに血族と正面きって戦うよりは。そんな具合に状況を俯瞰出来ていたのは、竜人を統率しているサフィーロただひとりだった。竜人たちを鎮静化するのも、士気を保つのも、決して楽なことではない。ベアトリスが竜人たちを歓待し、隔てなく接し、要求には可能な限り応じた結果、なんとかなった面も大きかった。
今のところ、なんの問題も起きていない。しかし今後どうなるか分かったものではないのだと、サフィーロは月を眺めて諦めに似た感情を抱いた。上手く夜会卿の背後を取れたとして、竜人の流す血は少なくないだろう。全滅の可能性もある。もとより、戦地に立った以上は死を厭わぬ覚悟はあるものの、皆がそうとは言えない。尻尾を巻いて逃げ出した竜人が、血族に拉致され、連中の玩具にされる未来は簡単に想像出来てしまう。夜会卿による他種族への悪辣な興味は有名な話だ。
しかしながら、すべての血族が竜人に偏見を持っているわけでもない。稀有な例外もいるのだ。
月光の下、サフィーロとベアトリスのもとへと歩む影があった。がっちりした体躯で、笑顔を浮かべている青年。真っ赤な短髪が夜目にもうるさい。
「ユラン公爵。どうかしましたか」
ベアトリスは兜を取り、目礼ののち、赤髪の男――ユランに訊ねた。
当のユランはというと、遠慮なしにサフィーロの全身を眺めやっている。
そしてひと言。
「やっぱ、かっけえ。竜人もかっけえな!」
サフィーロはこの無遠慮な貴族に対し、ひたすら無言を貫いた。侮蔑だと叫ぶことは簡単だし、彼自身の性格的にも慣れ親しんだ反応ではある。しかしながら、味方のふりをしなければならない相手――しかも血族の貴族ともなると、下手な反応は身を滅ぼすだけだと心得ていたのだ。
「なあ、あんた。名前はなんて言うんだ?」
「サフィーロだ」
「かっけえ!」
なにが格好良いのかさっぱり分からなかったが、ユランはというと、まるで少年のように目を輝かせていた。
「俺はユランだ! 気軽にウルトラ・ドラゴン卿と呼んでくれ! ほら、グータッチしようぜ、グータッチ。親友の証だ!」
拳を突き出したユランに、サフィーロは仕方なしに拳を合わせた。なにがなにやら分からない。ベアトリスもまた、ユランからグータッチを迫られ、困惑交じりに応じていた。
「しかし、ユラン公爵。貴方は正式には赤竜卿と呼ばれておりませんでしたか?」
ベアトリスの問いももっともである。ユラン公爵は代々、赤竜卿と呼ばれており、広大な土地を所有していた。希少な魔物であるドラゴンを使役しているとの噂があるが、誰もその実態を目にしたことがない。ゆえに、虚言卿やら嘘つき公爵やらとあちこちで囁かれていたが、当人は至って気にする様子などなかった。
「赤竜卿とも呼ばれているが、俺はウルトラ・ドラゴン卿のほうがかっけえと思うんだ。前はハイパー・ドラゴン卿だったけど、やっぱ、ウルトラ・ドラゴン卿だな。うん。それが一番だ」
サフィーロはユランを見やり、残念な脳をしている、と内心で呟いた。センスは壊滅的。そしてなにより、広大な土地を有し、兵士も潤沢だろうに、彼は単身で戦争に参加したのである。呆れて物も言えない。
「俺はな」と誰も聞いていないのにユランが語り出す。「グレキランス人を正気に戻してやりてえんだ。この土地がラガニア領だって、ちゃんと理解してほしい。たったそれだけを、俺は真剣に伝えに来たんだ。グレキランスは国じゃない。ましてや王都だなんて、おかしな話だろ? だって王都は、首都ラガニアのことなんだからよ。てなわけで、俺は自分の領地に寄って、まずはそこに暮らすグレキランス人の洗脳を解いてやるんだ! つまり、ここからは別行動ってわけ。生きてまた会おうぜ、兄弟!」
一気呵成に言ってのけると、ユランは満足したのか、踵を返してロンテルヌの内側へと引き返していった。
ユランの言う『自分の領地』とは、ニコルとの決め事である土地の分配を意味している。人間殲滅後にユランが配分される土地も、あるにはある。軍を出さない以上、取り分はちっぽけなものだったが、それでも町ひとつが彼に与えられる予定だった。
イフェイオン。
それが、ユラン公爵に配分される町の名である。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ロンテルヌ』→『魔女の湿原』の先に広がる高原地帯に存在する町。『黒の血族』である『マダム』が作り出した、地図にない町。人身売買の温床となっていたが、クロエたちの活躍により『マダム』が討たれ、現在は無人の土地となっている。詳しくは『第二章 第五話「ミニチュア・ガーデン」』にて
・『魔女の湿原』→王都の北部に広がる湿原。湿原の中には、ならず者の生活する宿場町『煙宿』が存在する。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『マダム』→本名不詳。人身売買で私腹を肥やしていた『黒の血族』。買い集めた奴隷たちに作らせた町『ロンテルヌ』の支配者。血の繋がっていない二人の息子、レオンとカシミールによって命を絶たれた。詳しくは『第二章 第五話「ミニチュア・ガーデン」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『ベアトリス』→ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより、関係が破綻。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『ドラゴン』→巨大な有鱗の魔物。滅多に出現しない。『292.「真昼の月」』にて名称のみ登場
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照