12.「二重歩行者」
地図は町なかでそれとなく捨てた。そのときも被害者的な女性を演じながら。
地図には魔力が宿っていた。それだけで疑う理由にはなる。あの男はまず間違いなく魔術師だ。それも、タチの悪い方面の。
王都にも魔術を犯罪に応用する連中がいた。盗み、殺し、人さらい。なんでもありだ。そいつらを叩くのも騎士団の仕事のひとつだった。先ほどの男は、そんなならず者たちと同じ目をしていた。
王都の自治ならば奴らは尋問される側だったし、こちらはいつでも魔具を振るっていい立場にあった。おまけに悪党の根城に突入する際は充分な人員が与えられたものだ。今とは随分状況が違う。現状わたしに魔具はなく、バックアップしてくれる仲間もいない。間違いなく不利な状況下にあった。だからこそ全力で演技をしてみせたのである。
今日は帰らないほうがいいかもしれない。何度そう思ったか分からない。ただ、もし男のターゲットがハルだとしたら、見つけ出されるのは時間の問題だろう。あの目には冷たく、徹底した目的意識があった。
丘を越え、小屋の前へとたどり着く頃には辺りは闇に包まれていた。もうじき魔物の時間がやってくるだろう。
「おかえり!」
「遅かったでスネ」
危機を伝え、彼女を護る。それがわたしの選んだ道だ。
「ハル。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「まずは夕食を摂りまショウ。ネロも待ちくたびれていマス」
「それどころじゃないの!」
――沈黙。ネロは椅子に腰かけ、俯いてしょんぼりとしている。ハルは相変わらず無表情だったが、怪訝に思っているのは明らかだ。どうしてこう、上手くいかないんだろう。自分が空転しているみたいで哀しくなった。
けれども、後悔してる暇はない。とりあえずネロをそのままにして、ハルを見据えた。
「……ごめんなさい。大事なことなの」
「今すぐグレキランスに行くつもりなんでスカ」
「違う」
かぶりを振って続ける。「今日、妙な男に会ったの。そいつはハルを探してた。旧い友人だって言っていたけど、絶対に違う」
「どんな人デス?」
「痩せ型の大男よ。小汚い格好をしていて、顔は――」
声に鳴らない悲鳴がした。わたしたちは瞬時に声の方向――ネロのほうを向く。
「顔は、こんな感じでしょうかねぇ、お嬢さん。どうです、説明の手間が省けたでしょう?」
ネロの背後にはあの男が立っていた。ネロを羽交い絞めにし、首元に包丁を当てている。確か、台所にあった包丁だ。
どうしてこいつがここにいるのか、まるっきり理解が出来ない。
「ネロ!」と、ハルが短く叫んだ。
「動くとスッパリいきます。脅しじゃありませんよ。私は本気でやります。そしてあなたがたはそれを絶対に止められない」
ハルは目を見開いて唇を噛んでいた。
なぜこんなにも早く侵入し、行動に移ることができたのだろう。はっきりしているのは、今が最悪な状況ということくらいだ。
ややあって、唐突に玄関が開かれた。「ああ、疲れました。丘ってのはどうも、足腰にキますねぇ。おっと、動かないでください。あの子が無事じゃなくなりますよ」
悠々と敷居をまたいで喋るそいつは、あの男だった。同じ人間が二人、同じ空間に存在している。確かそんな魔術があったはずだ、と必死で思考を巡らす。
「……二重歩行者」と、思わず言葉がこぼれる。確か、そんな呼び名の魔術だった。
「ご名答」と、玄関口の男が答える。
分身魔術の一種。魔力の塊を対象物に宿し、そこから好きなタイミングで自分の分身を出現させることも出来たはずだ。すると、地図が依り代ではなかったのか。真相は分からないが、地図はフェイクで、本命はこのわたし自身に宿していたのかもしれない。そう考えるとぞっとした。
武器になりそうな物と自分との距離を測る。スコップは玄関に立てかけたままだ。ひと足で距離を詰め、限界の力で振れば一瞬で息の根を止められる。気絶させるだけならもっと簡単だ。
片足に力を込めた瞬間、男の声が飛んだ。
「言っておきますが、私に妙な真似をしたらあの少年は無事じゃないですよ。お嬢さんはこう思うでしょうね。『一瞬で息の根を止めれば分身も消滅する』と。甘いです……甘い甘い。たとえ私が死んだとしても、しばらく魔術は維持されます。魔術の主が消えても残滓が残るのは知っているでしょう? 指令を事前にインプットしておけば、その通り自動で動くように彼は組み上げてあります。私に危害が及んだとき、あるいは分身の半径一メートル以内に入ったとき、彼はあの少年を殺します」
魔術の残滓、二重歩行者の操作と指令。彼の言葉自体は筋が通っていた。確かに、魔術の練度によってはあり得る話だ。
「単なる脅しだと思いますか? ……なら、試してみるといい。少年が死んだとしたら、それはあなたの選択だ。どうです? 幼い命を天秤にかけますか?」
胸に渦巻く後悔をなんとか追い出そうとした。悔いている暇があるなら対抗策を考えるんだ、と。しかしいくら頭を回しても、こうなった二重歩行者の対処法は見つからなかった。魔具か、あるいは魔術を使えば彼の二重歩行者を断ち切れるかもしれないが……今の自分に魔具はないし、魔術も使えない。直視したくない現実だった。
「目的はひとつ」と言って、男はハルにどろりとした眼差しを向ける。「あなたが五年前に盗んだ死霊術師の魔具……その在り処へ連れていってもらいたいだけなんですよ」
思わず耳を疑った。死霊術師の魔具? 盗んだ?
どういうことだ。
「……」
ハルはなにも答えなかった。そんな彼女を眺めて、男は深いため息をつく。
「……ところで、あの子やこのお嬢さんは盗みについて知っているんですか?」
「……」
ハルは相変わらず沈黙を守っている。男はまたも大きくため息を吐き出して、こちらに顔を向けた。
「彼女がどんな過去を持っているか、教えてあげましょう。きっと驚きますよ。こんな場所で平然とメイドごっこなんかして遊んでいることがどれだけ無神経か……」
「あなたの汚らしい言葉なんて聞きたくない」
きっぱりと宣言する。ただ、頭のなかでは別の声が響いた。『いつもお前は口だけ達者で、局面を切り開けないではないか』という自己批判がぐるぐると回る。結局魔王の城となにも変わっていない。
「口には気をつけたほうがいいぞ! ガキがどうなるか分かってんのか! ……なんて安い脅しはしません。お嬢さん、あなたが悪態をつこうとも子供に危害は加えません。ええ、約束しますとも。ただ、先ほども申しましたが、私に危害を加えたりだとか分身に近寄ることがあれば悲劇が起こります。……だからといって遠距離から仕掛けようとはしないほうがいい。それも同じく悲劇を辿ります」
「卑怯者」
男はがっくりと肩を落とした。ただの演技だろう。
「私だってこんな汚れ役はやりたくないんですよ。子供を人質に取るなんて最低です。そうでしょう? ……ただ、私もプロです。頼まれた仕事は完遂する必要がある」
ハルに視線を戻して彼は続けた。「さて、あなたはまだだんまりですか? なら、私にも考えがあります。ちょっと首を切ってみましょう」
瞬間、ハルが叫びを上げた。「待って! ……話すから、ネロを傷つけないで……」
「よろしい。では、本題……に入る前に、過程を語っていただきましょうか。先ほどのお嬢さんの言葉と態度には、さすがの私もちょっぴり傷つきましたから。案外ナイーブなんですよぉ。ほら、最初から話してやってくださいよ。私だってあなたの口からそれを聞きたい」
そして男は、テーブルから二脚の椅子を引っ張って来て腰を下ろした。なぜかわたしにも椅子を勧めるので、無視した。
今まで生きてきて、このときほど自分に魔力があればと切に願ったことはない。
やがてハルは、躊躇いがちに口を開いた。
【改稿】
・2017/11/19 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。




