幕間「或る少女の足跡⑳ ~マオ~」
『いったいなんの真似だ?』
食堂でひとり食事を摂っていたシフォンの傍らに腰かけ、ゴーリーは淡々と問いかけた。周囲に生徒や講師の姿もあったが、遠巻きに窺っているだけで、二人の会話までは耳に届いていないだろう。
シフォンはゴーリーの問いに対し、首を傾げただけだった。なんの真似かと訊かれても具体性がない。なにかの真似事をしたつもりもなかった。
『誰に言われて卒業試験に参加した?』
試験のことを伝えた男子の名前も顔も覚えていない。ただ、それが誰の指示によるものかは記憶していた。
『ゴーリーがそうするように言ってた、って、知らない子供から言われた』
唆されたのは明らかである。そんなことはゴーリーにも分かっていた。ただ、シフォンが素直に従ったのが不思議だったのだ。いち生徒の命令通りに動いている様子など見たことがない。大抵の場合、無視していた。自分の名前を持ち出されたから、こうしてここにいるのだと分かり、ゴーリーはようやく得心がいったのである。
彼は何者かの悪意ある指示を訂正することなく、ただひと言『そうか』と残して食堂を去った。午後は休憩する予定だったが、すべてを見届けることに決めた。そのための根回しをしておかなければならない。
午後の対魔物試験は、例年であればゴーリーが水の魔術で擬似的に魔物を創り出し、討伐させる内容だったが、今年は違った。騎士団からひとりの魔術師が派遣されることになったのである。現騎士団長が校長と折衝して実現したわけだが、そこには、良い意味での騎士団員を増やす目的があった。毎年魔具訓練校から騎士団に入団する者は少なくなかったものの、それらは消極的な選択であることがほとんどだったのである。近衛兵になれるほど優秀ではなく、かといって内地の警備兵としてならず者の相手をするのも気乗りしないような連中だ。そんな手合いは、騎士団に入って早々、決まって壁上での偵察任務を志望する。最前線で戦う度胸がないくせに、騎士という肩書きを欲しているだけなのだ。そのような戦士未満の者で騎士団を溢れさせるわけにもいかないため、前線で活躍している現役の騎士を派遣し、その威光により、積極的な志願者を募りたいという目論見である。
午後の運動場に集められた生徒たちは、自分たちよりも何歳か幼い少年を前にして当惑したことだろう。年齢は十三歳。ライトグリーンの短髪で、同系色のローブは樹木をモチーフにしたブローチで留められている。表情には厳粛さの欠片もなく、余裕が満ち満ちていた。やや軽薄な印象さえある。
神童マオ。魔術師である父母の英才教育のもとで魔術を会得し、魔術訓練校を経ることなく騎士団の門を叩いた少年。数年に渡る夜間防衛の経験を経て、数ヶ月前にナンバー8の序列を獲得したことを、少年は生徒を前にして得意気に語った。
『自分たちよりも年下の魔術師が来て、きっと驚いただろうね。うん、分からなくもないよ。でも魔術の腕は確かさ。僕みたいな神童はなかなかいないから。なんたって騎士団のナンバー持ちだからね。君たちだって、騎士団の一桁ナンバーがいかに実力者かなんて簡単に想像出来るだろう? その意味では、卒業試験に使うなんてもったいないくらいなのさ。まあ、君たちに少しでも騎士団の凄さを知ってもらえたら充分かな』
鼻高々の少年――マオは、ゴーリーが引退した後に騎士団に入った子供である。したがってお互いに面識はない。しかしながら、ゴーリーも噂は耳にしていた。なんでも、奇異な魔術を扱う少年が騎士団にいるのだと。
『これから君たちには、僕の創った樹木の魔物を倒してもらう。この学校にあるどんな魔具を使ってもかまわないよ。説明はそれだけ。簡単だろ? もちろん、真剣を使ってね。さすがに木剣じゃ、魔物を倒すのは無理だからね』
樹木の魔術。マオはそれのエキスパートと言っていい。岩石の魔術がそうであるように、物体生成の魔術は高度とされている。樹木の魔術は生成に加え、操作も必要となる。硬度こそ岩石の魔術には及ばないものの、扱う難易度が高いのは言うまでもない。それを年端のいかぬうちに会得し、磨き上げたのだから、神童の異名も伊達ではない。
『それじゃ、順番にサクサクいこうか。まずはそこの――ちっちゃい子にしようかな』
マオが指したのはシフォンである。
『いえ、彼女は最後に回していただきたい。こちらの事情で申し訳ないが、午前の演習の疲れが残っているので』と口を挟んだのはゴーリーだ。シフォンに疲労の影すらないことは、彼とて承知している。ただ、他の生徒のためにも無事に卒業試験を終わらせる必要があった。彼女が一番手となると、その後の試験に影響が出かねないことを危惧したのである。
マオは異論を挟まず、『分かった。そっちの都合もあるだろうしね。それじゃ、その子は最後にしよう』と身軽な口調で告げた。
かくしてはじまった対魔物試験は、見事なものだった。生徒が、ではなく、マオの生成する疑似魔物が、である。地に手を突いた姿勢で、彼はグールを模した樹木製の人形を操った。爪や牙はもちろん、体毛まで表現されており、その動きの緩慢さも本物そっくりである。ゴーリーの知るところではなかったが、肉体の強度までほぼ完全にコピーされていた。生徒たちが扱う剣で腕を切り落とされても倒れず、致命的な一撃を入れると消滅する様子も、本物と大差ない。異なる点と言えば、焦って転んだ生徒に牙を振りかざし、直撃する寸前でちゃんと攻撃を止めたところである。『はい、今ので君は死にましたー』というマオの間延びした声さえなければ完璧だが、魔物との戦闘という意味では少年の言葉に誤りはない。
多少なりとも優秀な生徒には、同時に二体を相手にさせたり、次から次へと出現させるさまも、試験としては申し分なかったろう。ただ、生徒全員を『はい、死にましたー』となるまで追い詰めるやり口は講師陣の眉間の皺を深くさせたのは言うまでもない。ゴーリーだけは平然と状況を眺め、ひとりひとりの生徒の動きや討伐数で採点をしていた。
『さて、最後だね。あっという間だよ。もう少し魔力を消費するかと思ったんだけど、全然だ』
ゴーリーにも他者の魔力を感じる力はある。確かにマオの言葉は真実だった。多少の消費はあるものの、些細と言える範疇だ。
『さあ、早く武器を選びなよ』
呼びかけるマオの声を聞いているのかいないのか、シフォンは様々な武器が収められた木箱を見つめていた。魔具もあれば、そうでないものもある。シフォンが手に取ったのは後者だった。
考えなしに選んだわけではない。
『お嬢ちゃん、それ、魔具じゃないけどいいのかな?』
『いい』
エストック。彼女の所有していた武器そのものではなかったが、確かにその剣はエストックだった。
『オーケー。じゃ、さっさとやろうか』
シフォンとマオとの距離は二十メートル。その中間地点に、グールを模した樹木が形成された。
『は?』
マオが声を漏らしたのは無理もないだろう。彼女が一瞬で距離を詰め、またたく間に首、胴、手足を切断してみせたのだから。
直後、マオの魔力が不安定に揺らめき立った。そして、彼女の周囲に十体のグールが生成される。それらはいずれも、生成を終えると同時に致命傷を与えられ、なおかつ脚部――マオと魔術との連結箇所を断ち切られた。
『……君には特別な試験が必要だね』
マオが両手を突くと、シフォンの目の前にキマイラが生成された。完璧ではないものの、その巨躯と、肉体的特徴は充分に模写されていたことだろう。だが、問題ではなかった。シフォンはその大型魔物の首を切断し、脚を駆け抜けると、蛇を模した尻尾を両断、次に胴体を一閃し、最後に四本の脚――つまりは魔術との連結部分を切り落とした。
最初から脚を切れば、その時点でただの木偶となることはシフォンも把握している。しかし、試験のルールは疑似魔物を倒すことだ。魔術を崩壊させるだけなら造作もないが、それはルールに背いていると解釈したのである。
マオを見据えるシフォンの表情に、なんの感情もなく、汗の一滴すらなかったことが原因だろうか。はたまた、自慢の魔術がいとも容易く攻略されるとは思っていなかったのか。訓練校の生徒なんて所詮は自分よりも劣った存在で、最後には例の『はい、死にましたー』の勝利宣言をしなければ気が済まなかったのか。理由は定かではない。確かなのは、この瞬間、マオの目付きが変化したことである。劣等生を見下すそれではなく、魔物――すなわち異物を前にした敵視へと。
『霊樹操術!』
マオが叫ぶと同時に、魔力が地中を流れた。シフォンの足元へと、地面から突き出した複数の鋭い根っこ。彼女が小さくステップを踏んで回避しなければ、少女の身は串刺しになっていただろう。突き出した根っこはそれだけでは収まらず、シフォンへと狙いを定め、矢のごとく降り注ぐ。合計五本。それらを、彼女は右手のエストック一本で木端微塵に消し飛ばした。
講師陣は『逃げろ!』だの『止めろ!』だの叫んでいたが、ゴーリーは黙して行方を見守っていた。彼女の採点など、そもそも不要である。というより、この状況は採点の範疇にはない。
『霊樹の連弩!』
マオの両隣に弩弓を模した樹木が形成され、木製の矢が目にも止まらぬ速さで射出された。しかも、とめどなく。標的はひとつ。
シフォンはゆっくりとマオへ歩みつつ、苛烈な矢を切り裂き続けた。木切れひとつさえ我が身に触れぬよう計算して。
『霊樹巨槌!!』
矢の連射はそのままに、新たな魔術が展開された。マオの背後に巨大な根が出現し、それが槌の形状となってシフォンへと振り下ろされたのである。が、彼女を叩き潰すには至らなかった。シフォンの刃の攻撃圏内に入るや否や、矢と同様に細切れにされたのである。
矢の連射が止まった。マオの両隣に展開されていた弩弓そのものが消失したのである。いつの間にか少年は両手を前に掲げていて――。
『爆裂樹弾!!』
シフォンの身体ほどもある木製の球が瞬時に形成され、射出された。
シフォンには思考がない。ただし、魔力を感知する能力は生まれ持っており、魔力が魔術としてどのように結実し、どのような振る舞いとなるのかも、訓練校での日々で把握していた。ゆえに、マオの放った魔術の特性も、知識を介すことなく理解したのである。
彼女は樹木の弾丸の勢いを殺すように刃で受け止めると、それを頭上へと大きく弾いた。二十メートル程度だろうか。その高度まで弾丸が垂直に昇りきると、シフォンは木箱まで後退し、ナイフを空中へ放った。狙いは樹木製の弾丸である。
ナイフが弾丸に突き刺さった瞬間、爆音が響き渡り、閃光が周囲に降り注いだ。誰もが呆気に取られたことだろう。攻撃を放った当人であるマオさえ、空中で爆発した魔術へ見入っていた。だからだろう、彼はシフォンの接近に気付くことが出来なかった。もっとも、気付いたところで有効な対処方法などなかっただろうが。
このとき、シフォンの頭にあったのはゼールの言葉である。全力でやれ。それだけ。試験のルールはもはや、マオが模造魔物ではない攻撃を仕掛けた時点で崩壊している。
だから彼女は全力で刃を振るった。マオを両断すべく。ようやく視線を戻して、思わず尻もちを突いた彼を、ちゃんと刃が切り裂くように。
だが、切っ先がマオに届くことはなかった。ゴーリーの手がシフォンの腕をがっしりと掴んで止めたのである。
『シフォン。そこまでだ』
淡々としたゴーリーの声を耳にして、彼女は腕を脱力させた。ゴーリーがこれで終わりと言うなら、もうなにもすることはない。
尻もちを突いた神童がぶるぶる震えながら泣き出してしまっても、なにも思わなかった。
『お、お、お前、何者だ!』
しゃくりあげる音の合間に、問いが放たれる。
それに答えたのはシフォンではなく、ゴーリーだった。
『大事な教え子だ』
日頃よりも少しばかり温度の低い声。そのあとゴーリーはシフォンを一瞥すると、『もう帰っていい。忘れ物をしないように』と告げた。
指示通りさっさと帰っていくシフォンの後ろ姿を目にしながら、ゴーリーは手元の採点用紙に目を落とした。身のこなしやら魔物の討伐数やら、いくつもの採点項目が並んでおり、それぞれ十段階の評価をすることになっているが、すべて空欄である。
もとよりシフォンの採点をするつもりはない。
ただ、ゴーリーはしばし黙考したのち、シフォンの名前の隣に控えめな花丸を描いた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『魔具訓練校』→魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。卒業生のほとんどは騎士団や内地の兵士になる。
・『魔術訓練校』→王都グレキランスで、魔術的な才能のある子供を養成する学校。魔具訓練校とは違い、卒業後の進路は様々
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて
・『ゼール』→騎士団長。王都の騎士を統括する存在。双剣の魔具使い。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて