幕間「或る少女の足跡⑮ ~養子~」
『ここが今日から君の家だ。厳密には私の家なのだが……既に説明した通り、多忙な身分だからな。そばにいられる時間は少ないだろう。だから自分の身の回りのことはしっかりとするように』
ジョゼの埋葬からほどなくして、ゼールはシフォンを連れて魔具訓練校に出向き、願書を提出した。通常であれば低級訓練校で一年間ほど学習し、魔術や体術の才を見極めてから、魔術訓練校か魔具訓練校に進むのが適切であり、シフォンの年齢でもそれが妥当であったのだが、願書はすんなりと受け入れられた。感情や思考に関する不穏な一文も、単なるコミュニケーション能力が不得手であると解釈されたらしく、特に追求はなかった。一連の手続きが速やかにおこなわれたのは、ひとえに、騎士団の次期団長と目される男がじきじきに足を運んだからだろう。かくして、中途での入学とはなるが、明日から編入となった次第である。
ところで、ゼールは当初、シフォンを訓練校併設の宿舎に入れるつもりだった。どのような進路をたどるにせよ、同年代の子供と共同生活を送る意義は少なくない。ただ、王都へ向かう道中、シフォンのシャツの隙間から傷を目にし、不審に思ったゼールが彼女の背中だけはだけさせて、そこにある無数の傷を発見したのである。それらが何年も前に負ったものであり、もはや癒やすことの出来ない刻印であることも知った。学校に通っていれば遅かれ早かれ露見することだろうが、共同生活において彼女が早々に孤立してしまうのは、さすがのゼールにも心苦しく思え、同居を決意したのである。シフォン自身にもどうしたいか訊ねたものの、彼女の意志は確認出来なかった。
『さて、荷物を置いたら食事に出かけようじゃないか。幸運なことに、今日は非番だ。のんびり君と過ごせる。入学の準備も一緒にやろう』
言って、ゼールはあまりにも下手くそな笑顔を少女に向けた。非番なんて嘘である。入学手続きのあとに現騎士団長のところへ寄り、翌日からの激務と引き換えになんとかひと晩の休暇を得たのだ。
『シフォン。君はなにが食べたい?』
『なんでもいい』
外はすっかり夜になっていた。永久魔力灯が数メートル間隔で石畳を照らしている。周囲の住宅の窓にはいずれも明かりが灯っていて、それら地上の光のせいか、見上げた夜空は星々が随分と薄らいで見えた。
ゼールの住居は、周囲に並ぶ均質な三角屋根の二階建てと同じく、煉瓦造りである。庭はなく、最低限のベランダが取り付けられているだけで、騎士団ナンバー1で燦然たる実績を発揮する者にしては、あまりにも質素と言えよう。ただ、ゼールの性格をよく示してもいた。質素倹約。無用な贅沢より、王都の民を守ることにこそ傾注すべし。家の位置が騎士団本部付近にあるのも、異常時に速やかな行動を取れるように、との考えのもとである。もちろん、その家に少女が楽しく過ごせるような部屋などない。明日の午前中――シフォンを学校に送り出してから、倉庫にしていた空き部屋を改造する予定だった。
『なんでもいいか……。君の好きな食べ物は?』
『ない』
『なら、嫌いな食べ物はどうだ?』
『ない』
取り付く島もない会話を繰り広げながら、ゼールは仕方なく、王都の富裕な街区にあるレストランを選んだ。贅沢極まりないが、シフォンを想ってのことである。この少女は明日から学校に通うのだ。しかも、昨晩自分の庇護者を亡くしたばかり。傷心の穴埋めにさえならないし、入学祝いとしてもやりすぎな感は否めなかったが、そもそも子供の面倒を見るなんてはじめての体験だったので、なにが正解なのか分からなかったのだ。
よく分からないままに二人分のコース料理を注文し、次々と運ばれてくる珍妙かつ瀟洒な料理の数々を口にしながら、ゼールは今後のことを話した。あらたまった口調で。
『シフォン。私は今後、君の保護者として、一切の責任を負うつもりだ。君の持っていた手紙――ジョゼさんの手紙には、君を託すことが書かれていた』
ゼールは子供相手への適切な接し方は知らなかったが、シフォンに対して、子供騙しのような真似をするつもりもなかった。伝えるべきことはすべて伝える。たとえ十代に足を踏み入れたばかりの少女が相手であろうとも。
『私は君を養子にする。つまり、新しい親になるということだ』
『養子』
『そうだ、養子だ。意味は分かるか?』
分かるので、シフォンは頷いた。大抵の言葉と意味はシフォンの頭に入っている。もちろん、辞書的なものでしかないが。
『……嫌か?』
『嫌ではない』
ただ、嬉しくもない。シフォンにとって、自分が誰の養子になろうと、同じことなのだ。ジョゼは、自分が正しいと思ったことをしろと命じた。正しさが分からなければ、正しいと思える人の言うことを聞くのだ、とも。
シフォンはなにが自分にとって正しいかなど分からない。しかし、正しさが強さであることは理解――正確には誤解だが――している。今のところ、ゼールは王都で擦れ違った誰よりも強いように見えた。だから、彼に従っていればいい。ひどくシンプルな行動原理だけが、彼女のなかに存在していた。
『なら、よし。……ただし、学校では私が親であると言うのは駄目だ。贔屓や嫉妬の種になる』
『分かった』
ゼールはシフォンの返事を聞いて、少しばかり安心したのか、肩の力を抜いて、浅いグラスに入った水を飲んだ。シフォンも真似をして、それを飲む。
『お客様。……そちらの水は飲むものではなく、指先を洗うためのものでございます』と給仕が二人にそっと囁いたとき、恥じ入ったのはゼールただひとりだった。
帰路、店じまい寸前の本屋で数冊の教科書類を揃え、同じく閉店間際の服屋で少女の身体に合ったシャツとズボンを一週間分と、シンプルなデザインのコートを二着、そして鞄を購入して帰路についた。魔具訓練校で必要なものはひと通り揃ったことになる。文具や紙類はゼールが持っているものを与えればいいだけのことだった。ちなみに、食事代はもちろんのこと、訓練校の学費や衣類などの諸経費は、すべてゼールの費用で賄われた。ジョゼから託された、金貨の詰まった小袋には一切手を付けなかったのである。彼の墓代さえ、ゼールが個人的に支払った。これまで倹約を貫いてきたので資金に余裕があったのもあるが、それが理由のすべてではない。自分が引き取ったとはいえ、孤児だった少女の唯一の資産に手を出すことを潔しとしなかったのである。彼女が一人立ちしたときに渡すべきだと決めていた。
やがて家にたどり着き、荷物を置くや否や、シフォンは玄関口へと踵を返した。当然のごとく、ゼールの手が彼女の肩を掴み、押し留める。
『どこへ行くんだ?』
『トレーニング』
『トレーニング?』
『外を走る』
ゼールは苦笑し、小さく首を横に降った。
『訓練なら学校でいくらでも出来る。今後、自主的なトレーニングはしなくていい。それと――』ゼールは少女に手を差し出した。『武器は私が預かる。君にとって大事な物かもしれないが、帯剣してうろつくのは物騒だ。なに、卒業するまで大事に保管しておくから、心配しなくていい』
シフォンは肩紐を外し、背負ったエストックをゼールに渡した。葛藤も逡巡も、彼女にはない。命令に従うことだけがすべて。
ただ、背中の武器を失っても、うつ伏せで眠る点は変わらなかった。大人用のベッドに横たわる彼女をそっと扉の影から眺めて、不思議な寝相をするものだと、ゼールが感じたものである。
徹夜明けで眠気を感じてはいたものの、ゼールはその晩も眠ることはなかった。養子縁組の手続きのことやら、少女のために部屋を改造するために必要な諸々の作業ならびに用意する家具類のリストアップ、日課である自分の武器の点検に加え、少女の武器の手入れまで行った。シフォンの寝床のために自分の寝室兼書斎を一時的に譲り渡し、代わりにソファを寝床にしようと考えていたものの、ついぞ彼がそこで眠ることはなかった。あれこれと支度をしているうちに、シフォンが部屋を出てきたのである。そうして一直線に炊事場へ行くと顔を洗い、歯を磨きはじめた。
もうそんなに時間が経っていたか、とゼールは思ったが、窓の外はまだ真っ暗である。時計を見ると、彼女がベッドに入ってから二時間程度しか経過していない。
『慣れない部屋で、あまり眠れなかったか?』
『眠った』
短い返事ののち、シフォンはまたぞろ寝室へ入っていった。さすがに二時間では足りないだろうに、とゼールは苦笑し、少女が二度寝に入る様子を頭に思い浮かべる。それから諸々の作業に集中するうちに、すっかりシフォンのことは頭から抜けてしまった。寝室で鳴る、ささやかな紙の音に気付くことなく。
魔具訓練校の一年次の教科書すべてが、その日の朝までに読破されたことなど、ゼールは知りもしない。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『ゼール』→騎士団長。王都の騎士を統括する存在。双剣の魔具使い。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて
・『魔具訓練校』→魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。卒業生のほとんどは騎士団や内地の兵士になる。
・『魔術訓練校』→王都グレキランスで、魔術的な才能のある子供を養成する学校。魔具訓練校とは違い、卒業後の進路は様々
・『低級訓練校』→魔具訓練校や魔術訓練校の前段にある学校。一般的な学問はもちろん、生徒に魔術の才覚があるか否かを見極める役割が大きい。
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』『間章「亡国懺悔録」』にて




