124.「クレイジー・デマンド」
作戦会議が終わり、各々が自室へと戻っていく。
さてわたしも、と立ち上がりかけたところで肩を掴まれた。
「待ちなよ」
アリスは妙に静かな視線でこちらを見つめている。その瞳の奥に、例の戦闘狂的な愉悦の炎が燃えているのではないかと勘繰ってしまう。
「ヨハンも待ちな」
そそくさと広間をあとにしようとした骸骨男を彼女は呼び止める。ヨハンは肩を竦めて引き返してきた。
レジスタンスも盗賊もいなくなり、広間は最前の喧騒が嘘のように静けさを湛えていた。ヨハン、アリス、わたしが等間隔に向かい合う中、ケロくんはアリスの後ろで落ち着きなくぴょこぴょこしている。
「なんでしょう? 作戦会議は終わったはずですよ?」
素っ気なく口走るヨハンに、アリスは舌打ちを返した。
「あたしが協力する条件について事前に話したろう? クロエお嬢ちゃんに伝わってるのかい?」
「あれは受けられないと言ったでしょう? てっきり無報酬で来たんだと思いましたが……」
「直接交渉しに来たのよ。条件をクリアしてもらえないと作戦には乗れないねえ」
どうやら二人の間で面倒な問題が持ち上がっているらしい。そしてアリスの口振りからすると、わたしも無関係ではないようだ。
「……なにがあったの? 条件って?」と挟む。
口を開きかけたヨハンを制して、アリスは一歩わたしの前に出た。
「あたしはタダ働きが嫌いなのよねえ。だから、報酬を受け取らないわけにはいかない」
「お金のこと?」
「ハッ」とアリスは一笑に付した。「金なんてどうでもいい。あたしが欲しいのは血が沸騰するような戦いよ。……条件はひとつ。クロエお嬢ちゃんとの殺し合い」
ため息を押し殺して、僅かに目を伏せた。なんでこうも面倒事が起こるのだろう。ただでさえハルキゲニアの騎士に辛酸を舐めさせられたばかりだというのに。
アリスに構っている時間なんてない。
「……ハルキゲニアにはあなたが気に入る強者が何人かいるでしょうね。それで我慢してくれないかしら?」
「つれないわねえ……。あたしはクロエお嬢ちゃんがいいのよ。ハルキゲニアの田舎臭い騎士じゃなくって、グレキランスの本物と命の奪い合いをしたい。……それが出来ないならあたしはここでサヨナラよ」
目を瞑って考える。こいつを満足させるにはどうすればいい?
ヨハンに視線を移し、訊ねた。「どうしてもアリスが必要なの?」
彼はばつの悪そうな表情で頷く。「彼女ほどの人物はなかなかいませんからね。ここで協力を得られなければ今後の作戦は厳しいものになります。……本意ではないですが、『アカデミー』襲撃も遅れが見込まれるでしょうな」
そこまで言うのなら、こちらも応じるほかない。
「……分かったわ。戦ってあげる」
静寂を切り裂くように、アリスは哄笑を上げた。「アハハ! そうでなくっちゃ! 決まりね……。明日、時計塔を奪った後に殺し合いをしましょう?」
「馬鹿なこと言わないで。時計塔を奪うことだけがわたしたちの目的じゃないわ。その先に進まなきゃならないんだから、明日あなたと遊ぶことは出来ない」
アリスは興覚めしたように、どろりとした目付きを送る。「嫌よ。お楽しみを取っておけるほどお行儀良くないのよ、あたし」
意固地な口調。自分の思い通りにするためならなんだって仕出かすような危うさがあった。
「勝手に話を進めないでください」とヨハンが口を挟む。彼らしくない、強い口調だった。
「勝手じゃないわよ。クロエお嬢ちゃんが賛成してくれたんだから、あたしたち二人の問題でしょ。ねえ」
ヨハンはコツコツと床を爪先で叩き、大きなため息をついた。「アリスさん、あなたは一体ハルキゲニアをなんだと思ってるんですか? 安全な庭じゃないんですよ」
「ハルキゲニアはあたしの故郷よ。庭と同じくらいよく知ってる」
ヨハンは頭を掻き、何度か唸った。「全く……我儘は今回限りですよ。ただし、こちらも条件があります。騎士たちが集まったら戦闘は終了、そして殺し合いではなく仕合に留めてください」
反論しようとしたアリスを遮り、ヨハンは更に続けた。「いいですか? 身勝手な振る舞いは身を滅ぼしますよ。……女王の私兵は甘くはありません。殺し合いなら全てが終わってからやってください」
「だから――」
口にしかけたアリスに被せて、わたしは言う。「アリス、あなたはわたしがハルキゲニアで死ぬと思ってるの? ヨハンの言う通り、殺し合いは最後のデザートにしましょう。そのときは必ずあなたを満足させてあげるから」
アリスの目が見開かれ、口元が半月形に歪む。「言うじゃないか、騎士様。……いいさ。お楽しみは取っておこう。だから明日は半殺し合いで我慢してあげる」
反論を封じるように、アリスはさっさと踵を返して広間を出ていった。
彼女のあとを追ってケロくんも駆けていく。彼女にどこまで心酔しているのやら……。
「全く……。あの性格でここまで生きて来られたんだから上等なものですなぁ」とヨハンはぼやく。
「ええ、本当に……。用心棒をしていたとは思えないくらい衝動的ね」
ヨハンは大きなあくびをひとつし、「ようやく本気で戦える相手に出会ったんでしょうよ」と言い捨てて去っていった。
ぐるりと広間を眺め渡すと、静けさが身に滲みていくような感覚がした。
本気で戦える相手、か。
いつからアリスは戦闘に心を絡め取られていったのだろう。血に飢え、痛みに酔い、窮地を愉しむ。その感覚に同調することは出来なかった。
しかし、だ。
明日彼女と決闘することがあるのなら、そのときは全力を尽くそう。その身に敗北を刻んでやる。あれだけ啖呵を切られたら、さすがのわたしも気が昂る。
燭台の火を消すと、広間を暗黒が覆った。
昼過ぎに起きて広間に降りると、既にレジスタンスと盗賊たちが集まっていた。皆緊張した面持ちで話し合っている。座の中心でドレンテはどこか落ち着かない雰囲気を纏っていた。目は泳ぎ、手を組んだり解いたりしている。間違いなくアリスの影響だろう。彼女がまだ姿を見せていないことが幸いだった。
それから数時間に渡り、作戦会議をおこなった。レジスタンスと盗賊の合同グループは広間を抜けた先で地下道に降り、そこから市民街区の同胞宅を目指すという話だ。レオネル曰く『大虚穴』へ続く地下道の途中に、市民街区への抜け道があるらしい。
そんな横道は見なかった、と言うと老人は軽快に笑った。彼は「見抜かれるような隠し通路は意味がありませんからな」と答えて微笑んだ。
いよいよ彼らが出発する段になって、ようやくアリスとケロくんが姿を現した。
レジスタンスも盗賊たちも、わたしたちに激励の言葉をかけて広間を出ていく。最後にドレンテが杖を頼りに歩き、広間の扉の辺りで立ち止まった。
そして「怪我するなよ」と独り言のように呟いた。
アリスは腕を組んで壁に寄りかかり、乾いた口調で小さく返す。「あんたもね」
二人とも一度も目を合わせない。不器用な親子だ。
アリスは魔銃を取り出し、隅々まで見つめて点検をする。ケロくんはジャケットの襟を神経質に弄っている。
ヨハンは鞄からナイフを出してアリスと同様に検分していた。
かくいうわたしもサーベルを抜き、角度を変えながら刀身の具合を確認した。刃こぼれはない。それどころか、錆ひとつ浮いていなかった。『関所』で見たときの黒い錆は影もかたちもない。
変化はそれだけではなかった。こちらの感覚の問題かもしれないが、サーベルは今や、片手で持って丁度良いくらいの重さに変わっている。
微弱とはいえ魔力の施された武器である以上、なんらかの効力を持った魔具であることには違いない。その正体を看破することは難しかったが、少なくともひとつ言えることがあった。
魔物を斬るたびに扱いやすくなっている。手に馴染んできているのか、それとも本当に軽くなっていったのか。
「さて、そろそろ合図が来ますかね」
ヨハンが呟いた直後、遥か遠くで爆発音が響いた。市民街区の方角――計画通りであれば時計塔とドレンテ邸から等間隔に離れた場所だ。
わたしたちは顔を見合わせて一度だけ頷いた。
行動開始。ここから時計塔までは、なにが起ころうと退却はしない。
後戻りの出来ない作戦が――彼らにとっての革命が始まった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダーであり、アリスの父。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』にて
・『大虚穴』→巨大な縦穴。レジスタンスのアジトへと続く階段がある。詳しくは『106.「大虚穴」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『関所』→アカツキ盗賊団の重要拠点。対立組織に奪われたがクロエたちの働きで取り戻した。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『サーベルの黒錆』→サーベルを覆っていた錆。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて




