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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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幕間「或る少女の足跡⑫ ~カトレア~」

 王都の北東に存在する窪地の町、イフェイオン。窪地から外れた位置に、その家は建っていた。一階建ての簡素な木造建築で、周囲に植えられたささやかな木々と調和している。三角屋根にはちょこんと煙突が出ていた。


『あの家に、昔住んでたんだ』


 草原を歩みながらジョゼは話した。長い下草はシフォンの胴あたりまでの長さで、そのせいか、緑の湖を立ち泳ぎしているような具合である。


『おじさんの師匠が、おじさんのために建ててくれたんだ』


 昔を懐かしむ口調のジョゼの隣で、シフォンは黙々と歩く。ジョゼが彼女の歩幅に合わせて必ず隣を歩くようにしていることに、彼女が気付くことはなかった。不思議に思うことも。彼と過ごして二年近くになるが、いまだにシフォンの感情は喪失したままであり、物事を考えることもない。


 イフェイオンまでの道中で、ジョゼは少しずつ自分自身のことを語った。王都の魔術訓練校に通っていた時代、道で偶然その女性に出会ったこと。その人から自分の体質――魔力を否応なく吸収してしまう体質のことを教えられたこと。溜め込んだ魔力は分水嶺(ぶんすいれい)を越えると命を奪ってしまうこと。魔術の飛び交う学校はもちろんのこと、各所に魔道具の配された王都にいること自体が危険であり、したがって速やかに離れなければならなかったこと。彼女の暮らすイフェイオンにたどり着き、蓄積された魔力を抜くための手助けをしてもらったが、成果はなかったこと。魔術のひとつさえ会得出来なかったこと。代わりに剣術を磨いたこと。彼女も剣術は素人だったようで、本を片手に一緒に学んでいった日々が、とても楽しかったこと。夜は師匠が魔物を退治してくれていたが、月日を()るごとに敵の量も質も増えていることに気付いてしまったこと。何度かの足止めと口論ののち、最終的には僻地(へきち)を回る旅に出たこと。それらすべてを、当時唯一の血縁者だった弟に告げられなかったこと。


 なるべく平易な言葉で、ジョゼは今のジョゼになるまでの経緯を語ってくれた。もちろんシフォンの感想はなく、彼もまた、反応を求めてはいなかった。『みんな、過去があって今があるんだ。おじさんもそうだし、シフォンもそうなんだよ。思い出すことが出来なくても、ひとつひとつの過去の出来事が今に続いているんだ』。イフェイオンに着く前日、ジョゼはそのように昔語りを締めくくった。


 家が近くなると下草は芝生へと変わり、玄関口まで至る小道の両脇を埋め尽くすように、白い花が咲いていた。六枚の花弁を持つその花々の連なりは、夜空を彩る星の川に似ている。


 ジョゼが歩調を落としたのは、真昼の木漏れ日を浴びて(きら)めくハナニラの白に心を奪われたからだろうか。かつてこの家に住んでいた頃には植わっていなかった花である。師匠の愛する花だ。


 玄関の扉の前まで来ると、ジョゼはシフォンに目を落とし、ニッコリと微笑みかけた。それから、扉を軽くノックする。


『お入り』


 やや低めの女性の声が、扉の先から届いた。


『失礼します』


 ジョゼが開けたドアの先――玄関口のすぐのところに小ぶりのテーブルがあって、ちょうど客に姿が見える位置に、その人は座っていた。全体的に質素で、しかし清潔感のある木造りの室内にはおよそ似合わない、華美な装いの女性である。胸元の開いた深紅のドレスの上に、ファーの付いた黒の上着を羽織っており、首元にも指にも色とりどりの宝石が輝いていた。胸元までの巻き髪は銀色で、シフォンのそれよりも色素が濃い。そして彼女の身には、シフォンから見て一切の光が――魔力が――なかった。


 この人がジョゼの師匠なのだろうということは、シフォンにも理解出来た。


『自分の家に帰るのに、ノックなんていらないよ』


 華美な女性がそう言うと、ジョゼは苦笑し、窓辺に視線を注いだ。そこには外に咲いていたものと同じ花が、透明な花瓶に活けられている。今朝活けたばかりなのだろう、花弁も茎も瑞々(みずみず)しい。


『座りなよ。自分の家なんだからさァ』


 (うなが)され、ジョゼもシフォンも女性の向かいの椅子に腰をおろした。テーブルの中央にはブドウの乗った大皿。ジョゼと女性の座っている位置にはグラスに注がれたワインが、シフォンの前にはガラスのコップに入ったブドウジュースがある。コップにもグラスにも曇りひとつなく、ワインもジュースも、今しも注がれたばかりといった具合に芳醇な香りを(かも)していた。室内は時間の経過による木材の劣化こそあるものの、どこにも埃はなく、窓から射し込む陽射しは塵ひとつ映さない。


 今日この瞬間のためにすべてが整えられているようだった。事実、ジョゼの師は一分一秒の狂いなく、彼が帰還するタイミングを知っていた。『黒の血族』の血を引く彼女が持つ異能、未来視によって。


 テーブルに着くや(いな)や、ジョゼは深々と礼をした。


『随分とご無沙汰して申し訳ございません』


『別にいいさァ。お前が無事に帰ってくることくらい、知ってたからねェ。それより、さっさと顔を上げな。どんなかたちであれ、お前の謝罪を受ける資格なんてないんだよ、アタシには』


 ジョゼは顔を上げると、少し困ったような笑みを浮かべた。それに対する女性は、彼の目線こそしっかり受け止めているものの、表情らしい表情はない。


『紹介が遅れましたね』とジョゼは話頭を転じる。『この子はシフォン。(わけ)あって、俺が引き取りました』


『その訳とやらは、どんなものだい』


『……見ず知らずの女性に頼み込まれて、引き受けたんです。俺と同じ――孤児です』


 女性は短く笑い『お前だって訳を分かってないじゃないか。頼まれて、見捨てるなんて出来なかっただけだろうに』と皮肉めいた言葉を放ったが、そこに嘲笑の響きは一切なかった。


 ジョゼは快活に一笑すると、シフォンに目を落とし、女性を手で示した。『このひとが、おじさんの師匠だ。名前はカトレアさん』


 紹介されてもシフォンは小さく頷いただけで、状況を理解してはいなかった。カトレアと呼ばれた女性はというと、シフォンを冷たく一瞥(いちべつ)しただけである。決してジョゼには気取(けど)られぬよう、素早く。


『そうだ』とジョゼは顔を輝かせ、シフォンに微笑みを投げた。『ここにはおじさんの友達もいるんだ。ウィンストンって名前の。カトレアさんの執事をしていて、真面目な性格だけど、実は優しい男さ。――カトレアさん、彼は今どこに?』


 ジョゼはいつだってこの調子で喋る。シフォンがどのような性質であるかを知り抜いていても、彼女を置き去りにして大人同士の会話をすることはほとんどなかった。十代前後の子供の歩調に合わせるのを怠らない。それでいて彼自身、気疲れするようなこともなかったし、むしろ、自然体に近かった。自分よりも弱い相手に合わせるのが道理だと考えていた(ふし)がある。むろん、夜間の魔物との戦闘はその限りではない。


『うちの執事は町まで使いにやってるところだよ』


『そうですか。是非お会いしたいですね。何時頃に戻られる予定ですか?』


『夜まで戻ってこないさァ。なに、今日は泊まっていけばいい』


 カトレアはワイングラスを揺らしながら、いかにも素っ気ない素振(そぶ)りで口にする。しかし目だけは真剣にジョゼへと向けられていた。彼はというと、口元の微笑はそのままに、視線を手元のワイングラスに落とす。


『それは……残念です。陽が落ちる前には()つ予定ですから』


『一日くらい、この家で過ごしたってバチは当たらないよ。なに、魔物のことは心配しなくていいさァ。お前の体質も心得てる。お前の負担になるような戦い方は絶対にしないよ。それに――』


 言って、彼女は部屋の奥を指さした。開いたドアの先に、ジョゼが何年間か使用していたベッドがある。その向かいには、やや小ぶりの、新品のベッドが備えられていた。この日のために用意したのは明らかだった。


『今夜は、二人でゆっくりと眠るといいさァ。ほとんど昼夜逆転の生活だったろう? たまには羽根を休めたほうがいい』


『なにからなにまで、ありがとうございます』


 一礼したジョゼの顔に、微笑の影はなかった。普段通りの柔和さはそのままに、しかし決然とした雰囲気がある。


『厚意に背くようで申し訳ございませんが、時間の猶予(ゆうよ)がないんです』


 普段のカトレアだったなら、じゃあさっさとどこへなりとも消えてしまえばいい、といった具合の言葉を返したことだろう。元来(がんらい)、歯に(きぬ)()せぬ物言いをする女性なのだ。ただ、ジョゼ相手にそのような態度を取るつもりは一切なかった。


 そもそも、二人がこのように(まじ)わる未来もなかったのだ。二十年以上も前のことだが、書物を購入するために王都に来ていたカトレアに、ジョゼ少年が誤ってぶつかったのである。普段の彼女なら、無視するか睨むか、あるいは脅し文句のひとつでも口にしたろう。しかし少年が懇切丁寧な謝意を口にして、お詫びにと、大量の書物を運ぶのを手伝うとまで言い出したのである。ただ、それも彼女の気を引かなかった。何十冊もの本には軽量化の魔術を施しており、持ち歩くにしても大した負担ではなかったのもある。なにより、少年の体質は、ぶつかられた瞬間に看破(かんぱ)していた。下手に魔術を()めた本を持たせようものなら、死までの時間を早めるだけ。そうであっても、彼が早晩、魔術訓練校で命を落とす未来は視えていた。これも、ぶつかられた瞬間に読み取った情報のひとつであり、彼女の心を動かすほどのものではなかった。物珍しくはある。実際、魔力を否応(いやおう)なく吸収してしまう特異体質の者を直接目にしたのははじめてのことだった。『授業が終わると、いつもふらふらになっちゃって、人や物にぶつかってばかりなんです。本当に、ごめんなさい。でもいつか、王都を守れるだけの大魔術師になって、恩返しさせてください』。そう言って器用に笑った少年から、()りし日のカトレアは目を離せなかった。言い慣れていることはすぐに分かる。その使命感が本物であることも。


 彼女がその場でジョゼ少年に体質のことを告げたのは、気まぐれに近かったかもしれない。自分ならば、この体質を改善させ、適切に導いてやれるという過信がなかったかというと嘘になる。少なからず誠実に見えるこの少年から、死の影を追い払ってやろうとしたことだけは確かだ。だから運命に介入し、未来を変えたのである。結果としてジョゼの寿命は延びた。ただ、吸収した魔力を適切に放出させられなかったことだけが誤算だった。魔力の流れの制御は、当人の意識に()るところが大きい。彼が自分の体質を知った瞬間から、魔力の流れは吸収する方面に固定されてしまったのである。魔術に関して絶大な能力を持ち、畏怖(いふ)を込めて様々な異名で呼ばれる魔女カトレアにも、こればかりはどうにも出来なかった。長い人生のなかで何度も失敗をしてきたものの、生き死ににまつわる失敗ほど(にが)いものはない。そして、そのような大それた失敗はそう多いものでもなかった。ゆえに、彼女はジョゼの未来に介入したことを()いたのだ。なにも知らずに放っておいて、学校で死なせてやったほうがよほど幸せだったかもしれないと。なにせ、彼の体質では王都に戻ることは叶わない。たとえ戻ったにせよ、長生きは出来ない。それどころか、魔術的に発展した都市には足を踏み入れることさえ危険であり、必然的に辺境で生きるほかない。それも、生来の魔力の強さが残滓(ざんし)として土地にこびりついてしまうという厄介な第二の性質も持っているため、ひとつところにいれば強力な魔物を呼び寄せかねないリスクまで()っているときた。畢竟(ひっきょう)、各地を転々とする生活になる。そうなるくらいなら自分がなんとしてでも守り抜こうと決めたのだが、それすら叶わなかった。数年間で剣術を磨いた少年は、いつしか自分の魔力と魔物の事実に気付き、イフェイオンを去ることに決めたのである。カトレアはそれこそ、打擲(ちょうちゃく)してまで少年を引き止めたのだが、いかに策を(ろう)し、言葉を尽くしても、遍歴の旅という未来は変えられなかった。魔術を使ってはならない相手に、魔術師が出来る足止めなど、ないのだ。


『シフォンを、学校に入れようと思うんです。王都の学校に』


 ジョゼの現実の声で、カトレアは過去への追想を断ち切った。


『残念だけどねェ、その子に魔術の才能はないよ。一生かけても実らない』


『でも、剣は一流だ』そう言って、ジョゼはシフォンに笑いかける。少女はジョゼを見上げるばかりで、無反応だった。この地には、これからどうすべきかを決めるために来たのだと聞いている。ジョゼの口振りでは、既に彼女のこれからは決まっているようだった。


『確かに武器の学校もあったねェ。興味はないけど。で、学校に入れて、どうしようってんだい。同年代の友達なんて出来やしないよ』


 カトレアはぞんざいに言い放った。ジョゼは彼女の目を見て、静かに一度、まばたきをする。貴女(あなた)が言うなら、きっとそうなんでしょう、と。けれどシフォンを見下ろして笑顔を作ると、こう告げた。ゆっくりと。噛みしめるように。『きっと色んなことを学べるさ。武器の扱いはもちろん、それ以外の色んなことを。カトレアさんはあんなふうに言ってるけど、きっと友達だってたくさん出来る。経験を積めば、自分になにが出来るか、なにをしたいか、なにが正しいのかも――きっと分かるようになる。それに、学校は、王都は、シフォンの大切な居場所になるさ』


 対面から聴こえた呆れるような吐息に、ジョゼは苦笑を返した。


『まァ、お前のしたいようにするといいさァ。学校に通わせたきゃ、そうさせるといい。ただし、お前の居場所はこの家だよ。……王都までは、アタシがちゃんと連れて行くさァ。お前抜きでねェ。なに、この子の家だって借りてくるよ。だから、安心して送り出せばいい。永遠にお別れってわけじゃない。休暇のたびにイフェイオンまで来れば、お前と再会出来る。なんならアタシが王都まで行って、引っ張って来てやるさァ』


 だからお前は、ここにいな。


 カトレアはそんな具合に(まく)し立てたが、功を奏さなかった。ジョゼはゆっくりと首を横に振り、申し訳なさそうに眉尻を下げる。


『シフォンは、最後まで俺が見届けます。王都に連れて行くのも、住まいを見つけるのも、全部、俺の役目です。たとえ長生き出来なくとも』


『……途中で力尽きても、悔いはないって言うのかい』


『いいえ』ジョゼは今日一番の笑顔をカトレアに向けた。そして、シフォンにも。『きっと悔いは残るでしょう。でも、いつどんなときに倒れたって、きっと少なからず悔いは残ります。それでも、出来る限りのことを全力でやったなら、どこで果てても本望です。そうやって生きてきました』


 いつ死んでも人は後悔する生き物で、けれど、瞬間瞬間を全身全霊で生きてさえいれば、どこで死が訪れようと後悔よりも達成感がまさる。


 それは、ジョゼが遍歴の旅に出る間際、カトレアが彼に送った(はなむけ)の言葉だった。


 一分か二分。それだけの沈黙を置いて、彼女は厳粛に口を開いた。


『なら、教えてやるよ。お前がその子を王都に連れて行ったら、学校にたどり着く前に、その子は死ぬよ』


 ひどく真面目な声だった。表情だって真剣そのものだった。しかしジョゼはほんのりと笑い、シフォンの頭を撫で、『大丈夫、シフォンは死んじゃったりなんかしないさ』と囁いた。


『カトレアさん。貴女の嘘は分かりやすい』


『……アタシが嘘をついたことなんて、一度だってあったかい?』


『いいえ。貴女は嘘が嫌いだ。つくのも、つかれるのも。よく覚えていますよ。だから、慣れない嘘なんてすぐにバレてしまうものです』


 カトレアは長いこと表情を変えずに沈黙していたが、やがてため息をつくと、手近にあったタンスから紙束と小袋を取り出して、テーブルに乗せた。


『分かった。降参だよ……本当に、嘘なんてつくもんじゃないね。嫌な気分になる』


 書類に目を落としたジョゼが目を丸くしたのは無理からぬことだ。王都の魔具訓練校の入学に必要な書類一式が、記入済みの状態で登場したのだから。名前をはじめ、現時点で感情と思考に欠陥があるものの生活に支障はないことまで記載されていた。


『王都まで行く用事があってねェ、もののついでに必要な紙切れを貰ってきたのさァ。それで、暇な時間に書き物がしたくなって書いただけさねェ。で、こっちの袋は先立つ物(・・・・)。……ジョゼ。(だい)の男が、そう簡単に頭を下げるんじゃないよ。それに、アタシはお前に感謝されたくないのさ』


『それでも、ありがとうございます』


『分かったから、顔を上げな。……それで、決心してるのにわざわざこの家に戻った理由はなんだい? 別にアタシの顔が見たかったわけじゃないだろう?』


 久しぶりにカトレアに会いたかった、というのはジョゼの(いつわ)らざる本心である。ただ、別の目的もあった。


『……この子はいつか、笑ったり泣いたりしますか?』


 いささか遠慮気味に(たず)ねたのは、当のシフォンが隣にいるからだった。感情を取り戻せますか、物を考えることが出来るようになりますか。そんな直接的な言い回しをなんとか()けて、それでもなかなか口に出来なかった疑問である。


 ジョゼは、自分のことなどなにひとつ気にしてはいない。ただ、運命の(あや)でもなんでも、自分のもとに訪れた少女の未来を知っておきたかった。無論、すべてではない。感情の行方。それだけを知りたかった。人並みの幸せが感情や思考に依拠(いきょ)しているとまでは思わないが、幸福を幸福と感じるだけの力を持てるのかは、感情の有無にかかっている。ジョゼはそのように考えていた。


 カトレアはさして間を置くことなく、『アタシにも分からない』と返したのみである。


 なにもかもが分かるわけではないことは、ジョゼも昔、カトレアから聞かされていた。『黒の血族』と呼ばれる存在が関連すると、途端に未来が見通せなくなるのだと。


 ジョゼは『黒の血族』への偏見は持っていなかった。カトレアが血族とのハーフであることも知っていたし、旅の途中で何度か彼らと交流することさえあったのだ。ジョゼにとって血族は不快でもなんでもない、単なる隣人だった。ゆえに、シフォンの未来が血族との関連を示していても、それを悲観するつもりは毛頭ない。


 むしろ――。


『それが聞けて、良かった』


 ここまで来た甲斐があったと、本心から思った。


 未来は分からない。つまりは、決して希望がないわけではないのだと、知ることが出来たのだから。


『満足かい?』


『ええ、とても』


 それから、他愛ない世間話をしたり、和音ブドウ――ジョゼもカトレアも、それを喉打ちブドウと呼んだ――の食べ方をシフォンにレクチャーしたりと、牧歌的な時間が流れた。シフォンは最初、ブドウを皮ごと食べてしまった。()を押し出すように力を込めると、軽快な音と共にブドウが飛び出すのだと教えても、ぶちゅ、と可愛げのない音を出して失敗した。次の挑戦では、随分控えめな、ぷち、という音が出るようになって、それからは何度繰り返しても結果は同じだった。


『短い時間でしたが、お会い出来て本当に良かったです。どうか、これからもお元気で』


 ハナニラの散る小道で、ジョゼとシフォンは、カトレアと向き合っていた。


『ジョゼ。少しの(あいだ)、目を閉じな』


 カトレアがそう言うので、ジョゼはすぐに応じた。訪れた暗闇に、華やいだ香りが近付く。すると、彼の身体は華奢な腕に抱きしめられた。そうして、ゆっくりと背中をさすられる。


『お前の力になれなくて、悪かったねェ。その身体をどうにか出来なくて、本当に――』


『謝ったりしないでください、師匠。俺は貴女に出会えて幸せでした。後悔なんてしてほしくはありませんが、もしも次、俺みたいな子供がいたら……そのときは、もっと幸せにしてあげてください』


『ああ。誓うよ。次は絶対に……』


 失敗しない、とは口にしなかった。ジョゼの人生に、これ以上泥を塗るつもりはない。




 暮れかかる光のなか、一頭の馬が王都の方角へと去っていく。ジョゼと少女を乗せて。じきに、その姿は見えなくなった。もうこの地に戻ってくることもない。


 カトレア――近頃はもっぱら『毒食(どくじき)の魔女』と呼ばれる女性は、遍歴の旅に出たときと同様、今度も彼の未来を変えられなかったことに一抹の寂しさを感じながら、帰る者のいなくなった家を、周囲の庭ごと焼き払った。


 風はなく、火はまっすぐに立ち昇る。


 その厳かな赤を、彼女はいつまでもいつまでも、眺めていた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音(わおん)ブドウ』を交易の材としている。『毒食(どくじき)の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『魔具訓練校』→魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。卒業生のほとんどは騎士団や内地の兵士になる。


・『魔術訓練校』→王都グレキランスで、魔術的な才能のある子供を養成する学校。魔具訓練校とは違い、卒業後の進路は様々


・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『未来視』→『毒食(どくじき)の魔女』の持つ異能。『黒の血族』に関する未来は正確に視えず、また、視えた未来も変わりうる。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』にて


・『毒食(どくじき)の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。オブライエンの策謀により逝去。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』参照


・『ウィンストン』→『毒食(どくじき)の魔女』の邸の執事をしている魔術師。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。魔女を殺害したオブライエンへ、並々ならぬ復讐心を持っている。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照


・『和音(わおん)ブドウ』→イフェイオンの特産品。皮から果肉を出す際に独特の音が鳴ることから名付けられた。詳しくは『230.「和音ブドウと夜の守護」』にて

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