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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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幕間「或る少女の足跡⑤ ~暗記~」

 二十体超のグールを素手で倒してすぐ、ビクターはシフォンを裸でベッドに寝かせた。例の、診断用の部屋にあるベッドである。そして彼女の()った傷の数々を、ひとつずつ丁寧に処置した。必要なものには止血を施し、既に血の止まっている箇所は縫合する。彼には多少なりとも医術の心得があったが、決して消毒はしなかった。意図的に。


 すべての傷をどうにかすると、ビクターはひと息もつくことなく彼女の全身を例の指先――魔力の籠もった指先――で検分した。


『……筋肉も脳も、何もかも変化はない……残念だ』


 独り言だったが、もちろんシフォンの耳には届いている。彼女が小首を傾げたのが目に映ったのだろう、ビクターは取り(つくろ)うように笑みを浮かべた。


『昨晩の戦闘で君の筋肉がようやく目覚めたのかと思ったのだよ。しかし、違ったね。ただ、グールの血肉も呑み込んだだろう? 身体に劇的な変化があるかもしれない。ここ二日はお勉強もトレーニングも無しだ。ずっと寝ていなさい』


 ビクターの言葉は上辺(うわべ)の優しさこそあったものの、薄皮一枚下の好奇心が隠せていなかった。この少女がどのような変調をきたすのか。それが楽しみで仕方がなかったのだろう。あえて傷の消毒をしなかったのも、グールの血液が体内に入ったことによる変化を期待してだ。よもや死ぬとは考えていない。彼にとって彼女は未来の体現であり、こうして生き延びた以上、死ぬ定めにはないと思い込んでいる。


 生存に関するビクターの思い込みはその通りとなったが、期待は実らなかった。


 二日二晩、徹夜でシフォンの肉体を検査し、血液を採取し、例の薬液を注射し、それでも身体にはなんの変化もなかったのである。


 三日目の朝『残念だ』と呟くと、彼はそのまま部屋で倒れ込んでしまった。ほとんど飲まず食わずで躍起になっていたものだから、呆気(あっけ)ない結論に直面して意識を失ったに違いない。なにも食べずにいるビクターに()して、少女は横になりながら丸パンを与えられていた。彼女がもそもそと食事を()っている(あいだ)も、ビクターは変化を期待して検査の手を止めることはなかったのである。


 膨大な徒労感は、しかしビクターの心を折らなかった。ただ、シフォンが素手でグールを相手にすることもなくなった。


 三日目の晩は、ビクターの指示通り、短剣でグールを無力化して口枷(くちかせ)()め、ビクターが研究室と呼ぶ一室へと連れて行くのが彼女の仕事だった。まだ息のあるグールを切開し、肉を削ぎ、反応を検分する彼の様子は、研究者のそれである。王都では多くの魔物の研究がなされていたものの、それは習性に重きを置いたものばかりだった。ビクターのように、グールの肉体に手を入れて、その内奥(ないおう)に秘められた真実を探ろうとまでした者はいなかっただろう。少なくとも記録には残っていない。


 切開した肉も、採取した血液も、朝を迎えると同時に消滅した。


 それから毎晩のようにグールの捕獲、あるいは子鬼といった小型魔物の捕獲が続けられたが、彼の研究に進展はなかった。


『シフォン。魔物はどこからやってくると思う?』


 ビクターにそう(たず)ねられたのは、隣町の呉服屋でのことだった。彼は彼女の服を一式新調するために、わざわざ本人まで連れて歩いたである。彼女に選ばせるためではない。そもそも彼女に何かを選択するという能力が欠如していることは承知していたのだから。このところビクターは、多少の変更はあれど、勉強やトレーニングなどの日課を復活させていた。その(かん)も、彼女から離れるのはほんのひとときである。ほとんどなにをするにも付きっきりの状態だった。ありえないことだと知りつつも、シフォンが逃げ出すのを危惧(きぐ)していたのである。


 未来が失われる。それは、研究に進展がないこと以上に、彼の心に不穏な影を落としていた。


『魔物は夜に出るだろう?』


 首を傾げたシフォンに、ビクターが(さと)すように訊ねた。その質問にはシフォンも頷くことが出来た。


『そして朝がやってくると蒸発する』


 それにも頷く。魔物が朝に消えることは、彼女も自分の目で見ていた。


『彼らにとっての夜とは、なんだろうね。我々にとってのそれと違うのだろうか。仮に同じだとすると、夜と昼の条件とはなんだろう』


 暗室に監禁したグールも、朝の時間帯になると蒸発することは実験済みだった。つまり彼らにとっての昼と夜は、光に依存しない。


 彼がグールにとっての夜を知ったのは、シフォンとの共同生活から()もなく一年といったタイミングである。


 ところで、それまでにシフォンの生活にはいくつかの変化と発見があった。シフォンはランニングであればほぼ無制限に、息も切らせずに行うことが出来るようになっていたし、懸垂や腕立て伏せも同じだった。筋肉は依然(いぜん)として休眠していたのだが、体力という意味では確実な成果を上げていたと言えよう。そして、短距離走も目覚ましい進歩があった。鍛えた大人に引けを取らない速度で駆け、やはり息切れひとつしない。自分では教えられないからと、ビクターが用意した剣術指南の本を教師に、剣技も磨いた。


 そして勉学はというと、ビクターを苦笑させる発見が待っていたのである。高度な魔術書の内容まですべて、シフォンは読破済みである。もちろん、他の分野もそうだ。ビクターが質問をすれば、書物の内容を一言一句漏らさず、手元の紙に書いてみせる。ただし、彼女はほとんど理解していなかったのだ。


『君……暗記してるだけだね。……よし、一から数え上げられるなかで、君の知ってる一番大きい数字を書いてみたまえ』


 シフォンは、一億も一兆も書物の知識で知っていた。しかし、一から連綿と数えられる数字として認識してはいなかった。だから、百、と書いた。


『百の次は、なにか分かるかい?』


 シフォンは首を傾げるばかりだった。いかに高度な内容を暗記出来ても、決して理解まではしていない。それが露見したのである。


 ビクターは呆れ混じりに『まあ、いいさ。記憶したことを忘れないようにするんだよ。そうすれば、いつかなにかの役に立つ。誓ってもいい』と言うのが精一杯だった。


 事実、シフォンは暗記した内容を決して忘れることはなかった。ただし、思い出はその限りではない。過去の記憶はほとんどが剥落(はくらく)してしまっている。先日ビクターと行った町で擦れ違った人々の顔や会話や町並みも、ほとんど覚えていなかった。一週間分の衣服を誰が買ってくれたのかも、きっといつか忘れてしまう。


 さて、グール――魔物にとっての夜である。ビクターが発見した夜の条件とは、空気中に微量の魔力が一定程度(たも)たれている状態を()す。グールを監禁した小部屋で、彼が器用に魔力を霧状に噴霧したところ、魔物は朝になってもしばらくその姿を維持し続けたのだ。興奮のあまり魔力のバランスを欠いてしまったのでグールは消滅したものの、長らく進展のなかった研究に一筋の光明が見えたのは確かである。


『これで私の研究も一気に加速するだろう。なにせ、彼らにとっての夜を維持してやればいいんだからね。魔力の霧さえあれば、血液の維持も不可能ではない。ただし、越えるべきハードルはいくつもあるね。ハードルが見えただけでも俄然(がぜん)、やる気になるというものだよ。ハムは美味しいかい、シフォン?』


 今朝のビクターは上機嫌そのものだった。ハムはなんの味もしなかったので、首を傾げてみせた。ハム以外にも、すべての食事の味がしない。土と変わらない。


『君についても、劇的に進化を(うなが)す薬を作ってる最中だ。期待してくれたまえ』


 ビクターはにこやかに言う。シフォンにはなんのことやら、分からなかった。




 それから数日後の午後のことだった。村に一頭の馬が到着した。降り立ったのはひとりの女性で、まっすぐにビクターの邸までやってきて――。


『卒業おめでとう! 久しぶりに目にする君は、いつにも増してエレガントで美しい』


 ビクターは言うや(いな)や、彼女を抱きしめた。すらりと高い背。腰まである真っ直ぐな黒髪。鼻筋がくっくり通っていて、目付きは柔和。


『あなたは相変わらずね、ビクター。研究は進んでる?』


『ああ、ようやく(きざ)しが見えたところだ。君にもぜひ、手伝ってほしい』


『ええ、もちろん。……ところで、この子がシフォン?』


『その通り、シフォンさ。君には手紙で伝えた通り、私の大切な助手であり、貴重なサンプルだ』


 サンプル、という言葉に彼女は一瞬嫌な顔をしたが、すぐに表情を戻し、玄関口に立つシフォンの前へと来ると、視線の高さを合わせて微笑んだ。そして、右手を前に出す。


『はじめまして、シフォン。わたしはメアリー。これからよろしくね』


 握手のために差し出された手を、シフォンが取ることはなかった。そして、言葉に反応を示すこともなかった。握手など知らないし、よろしくというのも理解出来ない。


 ただ、彼女の持つ光が、ビクターの半分にも満たなかったことは、ちゃんと把握していた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)朝月夜(あさづくよ)」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて


・『子鬼』→集団で行動する小型魔物。狂暴。詳しくは『29.「夜をゆく鬼」』にて


・『メアリー』→ビクターの妻。『鏡の森』で亡くなっているが、ビクターの実験によって蘇った。意思はないとされている。巨人となるもルイーザに討伐された。精神は『鏡の森』で生きている。詳しくは『153.「鎮魂と祝福、祈りと愛~博士の手記~」』『154.「本当の目的地」』『184.「エンドレス・ナイトメア」』参照

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