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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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幕間「或る少女の足跡① ~髭の男~」

 王都北東の街道沿いに、ひとつの村があった。名はオルテシア。肥沃(ひよく)な土壌を(ゆう)しながらも、戸数(こすう)は五十にも満たず、最低限の畑で作物を育てて自給自足をしているような、そんな村である。決して閉鎖的な風習を持っていたわけではなく、満ち足りていたのだ。ときおりは近隣の町や村と交易することもあったが、それも豊作の年に限られる。そもそも村民に発展や発達といった価値観自体が根付いていない。


 魔物対策についても、(うれ)いはなかった。夜は村外れの魔術師一家が魔物を退治する任を()っており、重大な問題など起きたことがない。そもそも村人のほとんどは小指の先程度の魔力しか所持しておらず、したがって魔物の襲撃も村外れに集中しており、また、大した規模でもなかった。大型魔物が出没したのは一度きりである。魔術師の女性が妊娠し、同じく魔術師である夫がひとりで夜を任された日の晩、三つ首の魔物ケルベロスが現れた。王都の騎士であっても苦戦を強いられるほどの強敵である。しかも彼は防御魔術を専門にしており、攻撃方面の知見は薄い。いかに卓越した防御術を持っていようとも、朝陽が昇るまで自分と、妻の寝ている家屋の両方を守り続けるのは困難である。現に夫は、ケルベロスが(あかつき)の光で消える瞬間を見届けることは出来なかった。防御の大半を家屋に回し、自分はというと必死で敵の攻撃を引き付け続けたのである。そんな無謀な方策で一夜を乗り切れるほど弱い敵ではなかったが、それでも魔物の自然消滅の寸前まで事切(ことき)れなかったのは、彼の執念の賜物(たまもの)と言えよう。両足を食い千切られ、全身に傷を負っていたというのに、命だけは諦めなかった。無論、自分のそれではない。妻と、腹に宿った子供の命だ。術者が生きてさえいれば、そして集中力を持続してさえいれば、防御魔術は消滅しない。


 我が子の顔を(おが)めなかった彼のことを、村人は(いた)んだ。そして、彼が繋いだ命が産声(うぶごえ)を上げた瞬間を祝福した。村人の多くは、昨夜の魔物がどれほどの強敵だったかを知り得ない。彼らには魔物を感知する能力もなければ、夜間防衛に対する義務感も持ち合わせていなかった。魔術師夫妻に依存し、安心しきっていたのである。そんな村人を責める気など、妻には――今や母親となった彼女にはなかった。夫の死はもちろん、胸が張り裂けそうなくらい哀しい。ただ、人には人の領分というものがある。魔術師である自分たちにしか(にな)うことの出来ない仕事の(せき)を、無力な村人に向けるほど彼女は弱い人ではなかった。ほとんど奇跡とも言える大仕事だったことを知らしめるつもりもない。ただ、村人たちが、魔術師の系譜(けいふ)が繋がったことに安堵(あんど)している様子を見せたことだけが、彼女の心に五年間、消えることのない小さな傷を与えることとなった。奇跡的に産まれたその女の子は、きっと魔術師になれないであろう程度の魔力しか有していなかったのである。一部の例外はあれど、個人の有する魔力は生まれながら一定だ。


 彼女が魔力についての残念な事実を我が子に伝えることはなかった。夫がどうやって死んだのかも、教えなかった。あなたが産まれる前に遠くに旅立ってしまったのだと、やんわり(なだ)めた程度である。もちろん、いつかは真実を明かすことがあったかもしれない。しかしながら、あり得た未来は訪れなかった。


 少女は魔術師である母親の庇護(ひご)のもと、すくすくと育った。いかにも利発な顔立ちで、髪は母親譲りの銀髪。五歳に近くなってもあまり話そうとしなかったのは、言葉が遅れていたというより、その子自身の性格に()るところが大きい。はにかみ屋ではなく、気後(きおく)れや人見知りをするタイプでもなかったが、感情表現が(とぼ)しく、無口だった。その点だけは父親譲りだったことを、少女は死ぬまで知ることはないだろう。とはいえ、無感情だったわけではない。心のうちでは、五歳の子供らしい感受性を持っていたし、ときどきは笑ったり、泣いたりもした。そして母親のまったく知らなかった授かり物もある。少女はほとんど生まれながらにして、魔力が感じ取れた。魔物の気配も同様である。幼い少女は自分のなかで、それらを光と呼んでいた。人が持つ光は真昼のそれに似た色味で、魔物のそれは夕暮れの色。なかでも母親は、眩しいくらいだった。


 さて、その日五歳になった少女は、母からはじめてお使いを頼まれた。隣町まで買い物に行くだけの簡単な仕事である。少し道草をしても、半日あれば帰ってこれる。


『帰ってきたら、オムレツ、作ってあげるね』


 母はにっこりと微笑んで少女を見送った。その日が少女の誕生日で、特別な料理を作ってやりたかったのだろう。村では鶏を飼育していないので、卵料理は特別視されていた。


 オムレツってなんだろう。でも、お母さんが楽しそうに言うんだから、それはきっと、とても美味しいに違いない。そんなふうに感じて、少女の心は(はず)んだ。知らないものを知るのは嬉しい。新しいことに出会うとわくわくする。村人から『無愛想な子』と言われるのは少し悲しかったけど、きっと上手に、誰とも仲良くしていける。これから。きっと。


 早朝に出かけた少女が帰還したのは、日暮れ時だった。以前、母に連れて行ってもらったことのある町ではあったものの、たったひとりの道中で、何度か道に迷ってしまったのである。目的のお店で品物を買ったのは昼過ぎだった。それから、母から昼食用にと持たせてもらったパンを頬張り、町のベンチで小休止し、今度は町なかで迷ってしまって、帰りが遅れてしまったのだ。


 とはいえ、無事帰還したわけである。村は無事ではなかったが。


 あちこちで人が倒れており、ところどころ地面が血で染まっていた。そして、村人の代わりとばかりに、顔も知らない男たちがいたのである。温厚な村人と()して、彼らはいずれも粗野(そや)で、野蛮で、いかにも卑劣そうな連中だった。もちろん、このときの少女に相手の人格を判断する能力もなければ、そんな余裕もなかったのだが。


『おいガキ。お前、この村の人間か?』


 男のひとりが、そんなふうに()いてきた。薄笑いを浮かべて。


 少女は小さく小さく頷いた。以前から母に『聞かれたことは素直に答えるのよ』と優しく(さと)されてきたから、上手に話すことは無理でも、意思表示だけはちゃんと出来るように育ったのである。


『そうか』と男は言って、周囲の連中に目配せした。『じゃあお前も例外じゃないってわけだ』


 このときの彼の言葉は、少女にはまったく分からなかった。分かるわけもない。連中が、魔術師以外の村人を皆殺しにするよう命じられていたなんて。


 ただ、少女がその場で殺されることはなかった。大変不幸なことに。


『ガキだし、一応頭領に判断してもらおうや』


 今度は別の男が言って、少女の腕を引いた。優しさなんてひと欠片も感じられない強さで。


 いきなり引っ張られたものだから、少女はせっかく買ってきた品を、籠ごと地面に落としてしまった。品のひとつひとつを少女は覚えていない。ただ、落下の衝撃で跳ねた籠から飛び出した卵が、地面にぶつかって割れたのははっきりと目にすることが出来た。連中のひとりが籠を蹴散らし、まるでそこになにもないかのように呆気(あっけ)なく卵黄を踏み潰したのも、見えた。


 少女が引かれて向かった先は、村外れの自宅だった。木造りの小屋で、裏手には井戸がある。室内は台所を()ねた居間と、寝室、手洗い場に、ほんのささやかな浴室、そして少女は上がったことが無かったが、屋根裏部屋があった。居間には暖炉があって、冬は暖かく過ごせる。危ないからと、母は火かき棒だけは少女に決して触らせなかった。柄の部分まで鉄製だったので、素早く灰や燃え殻を出さないと火傷してしまうから。


 男のひとりが扉をノックすると、なかから見知らぬ男が現れた。身長は低く、筋肉質で、ぼうぼうに髭を生やしている。野卑(やひ)な顔には、随分と沈んだ表情が浮かんでいた。


『殺しちまった』髭の男は、確かにそう言った。誰にともなく。瞳には生気が宿っていない。『あいつ、俺のことなんてちっとも覚えていやがらなかった。しばらくして思い出したみてえだけど――クソ! 忌々しい!』


 少女にはなにも分からなかった。男が中空(ちゅうくう)をぼんやり見つめて話した単語は、まとまりを欠いていた。唐突な罵倒も、意味が分からない。


 これもまた少女には知り得ないことだったが、髭の男はこの村の出身で、昔、少女の母親に何度も求婚したのだ。が、その(たび)に断られ、別の男と結婚したと知るや(いな)や、農具を手にして夫を殺そうとした挙げ句、返り討ちに()い、しかもその様子を他の村人に目撃されていたものだから、当然のごとく追放されたのである。


 髭の男が遠い町で、ならず者たちを集め、まとめ上げ、虎視眈々(こしたんたん)と復讐の機会を(うかが)っていたことを、村の人間は誰も知らなかった。当然、少女の母親もだ。


 少女の父親が死んだことを、風の噂で聴いたのだろう。男はならず者どもを結集し、まずは村人を血祭りに上げ、自分を(そで)にした女魔術師に関係を迫ったのである。


 本来、髭の男なんぞ魔術で簡単にどうにか出来る相手だった。しかし、彼は村の男の子を人質に取って、決して抵抗せぬよう脅したのである。それでも罵倒の嵐を浴び、カッとなった男は、持っていた剣で――。


 少女は、開け放たれた扉の先に、母親が倒れているのを見た。床には(おびただ)しい量の真っ赤な液体が、夕陽を吸い込んでいる。


 髭の男には、ほんの少しの光しか見えなかった。けれど、あんなに眩かった母の光は、ふっつりと消えている。


 やがて、男の目に再び活気が宿ったのを、少女は見ていない。頭上から『お前、あいつの子供だな? 顔みりゃ分かる……よく似てやがるな……本当に……』と聴こえても、少女の瞳は床の母親に固定されていた。


『おいガキ。名前を教えろ』


 ようやく顔を上げた少女は、男の視線を真正面から受け止めることになった。残酷な好奇心に満ちた眼差し。ご馳走を前にして、空腹を(おさ)えきれないような、そんな口元。


 少女が名乗ることはなかった。母親にもらった大事な名前だから。母親にひどいことをしたであろう相手に、大事なものを教えたりなんて、しない。


 男はたっぷり数分は黙ったままだった。やがて、少女が答える気がないのを悟ったのか『まあ、名前なんてどうでもいいか』と呟き、それから他の連中に向かって声を張り上げた。『この村は俺たちのもんだ! 全部好きにしていいぞ! ただし、このガキだけには指一本触れるな! もし下手なことをしやがったら、ぶっ殺すぞ! 分かったら、とっとと散れ!』


 髭の男の声に、他の連中は大人しく従った。村外れの家には、髭の男と、少女と、母親の新鮮な死体だけ。


 男はドアを閉めると、少女を床に突き飛ばした。そしてしゃがみ込み、含んで聞かせるように、ゆっくりと、平坦な語調で言い放った。


『お前の母親は死んだ。俺が殺した。……いいか。よく聞け。この世は弱肉強食なんだ。つまりよお、強いやつには絶対に従わなきゃならねえってことだよ。分かるだろ? なあ。お前の母親よりも俺は強い。だから俺は生きてて、あの女は死んでるんだ。で、もっと言うとだな、ここにいる誰よりも俺のほうが強い。これで伝わるか? どうだ? 強いやつは誰で、誰に従わなきゃならねえか分かるよな?』


 少女は薄っすらと、ほとんど無意識に頷いてしまっていた。


 男は満足したように短く笑う。


『分かったらまず、服を脱げ。いいな? 強いやつには逆らっちゃいけねえ。従わなきゃ殺される。それが世の中のルールだ。これだけ覚えておきゃ、弱くたって生きていける』


 それから、どうなったか。


 端的に言うと、少女は毎晩犯された。何度も何度も気まぐれに切りつけられ、殴られた。いくら泣き叫んでも男がやめることはなく、一生分の涙を流しても状況はひとつも変わらなかった。与えられた食い物はなく、土を食えと言われた。その通りにすると、男は随分満足そうに笑った。それから、熱された火かき棒で身体中を焼かれた。柄の部分で局部をかき混ぜられ、子供を産めない身体になった。


 二年。


 それだけの期間、ずっと少女は髭の男の玩具にされた。村を乗っ取ったならず者連中のなかに裏切り者――つまり少女の身体に手を出した者がいたので、髭の男は人殺しを命じ、少女はその通りに実行した。男は懇切丁寧に、人体の壊し方を説明した。急所はどこで、どのくらい深く切れば死ぬ、とか。渡されたナイフで裏切り者を処分するとき、少女はなにも感じなかった。なにも思考しなかった。男の所有物になって一年もする頃には、人形みたいになっていたのだ。少女が生きるために思考と感情を放棄したのか、それとも現実を捨て去ってしまうためにそうしたのかは、誰にも分からない。ただひとつ言えるのは、そうなって以来、少女はなにも苦しくなかった。苦しいというのも分からなかったのだ。


 男は少女の身体に二度と消えない傷を無数に作り上げたが、顔だけは決して傷つけなかった。




 二年後に訪れた変化にも、少女はなにも感じなかった。遅すぎるとさえ思わなかった。そもそも『思う』という能力が失われていた。


 王都から出征(しゅっせい)した人々により、村のならず者はひとり残らず成敗されたのである。髭の男も例外ではない。


 多くの物事を失った少女だったが、生まれ持った素質は残っていた。


 だから、村に出征したなかに、たったひとりだけ異様に強烈な光を持つ人間が混じっていることにも気がついた。その男はまだ年若く、せいぜい十代後半か二十代前半か。白衣を身に着け、ボサボサの短髪。丸眼鏡をしており、あまり特徴のない顔。ただ、表情はなにかしら雄弁だった。


 男は少女に近寄ると、ニンマリと口の端を持ち上げたのである。それが邪悪なものなのかどうか、思考も感情も、過去の記憶のほとんどさえ失った少女には知り得なかった。


『こんにちは、おチビさん。自己紹介をしよう。私はビクター。君のお名前は?』


 耳も聴こえていた。言葉も理解出来ていた。


 ただひとつ、少女にとって発見があった。


 喋ることが出来なかったのである。薄く口が開くだけだった。


 五歳のあの日から、少女はひと言も言葉を話したことはない。それでなんの問題もなかった。頷く。首を振る。指をさす。それだけで充分だったし、髭の男は言葉に関してなんの要求もしなかったのだ。むしろ、そのほうが都合が良かったのかもしれない。


 自分の名前は忘れていないので、思考も感情も経由しない反射として、名乗ろうとしたのは確かだ。ビクターなる男に命じられた通りに。ちゃんと。


 シフォン、と。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『ケルベロス』→三つの頭を持つの魔犬。機動力が高く、火炎を吐く。詳しくは『286.「魔獣の咢」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)朝月夜(あさづくよ)」』にて

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