983.「恍惚の階段の終わりに」
死角からの攻撃は駄目。ヒット・アンド・アウェイも通用しない。斬撃速度も正確さも威力もわたしより上。シフォンはお腹の傷と左目の充血というハンデ付き。それらはわたしが与えたダメージですらないのに、こっちは血塗れにされちゃってる。だから、もう、舞い上がってしまうくらい嬉しくて堪らない。
どれだけ強いの、シフォン?
実はもっと速いの?
純粋な剣術だけを極めたから、そんなふうになれたの?
「うふふふふふふふふ」
自然と溢れる笑いが止まらない。応戦してはいるけれど、傷ついているのはわたしだけなのに。しかも一方的に。
「シフォン、楽しい?」
もちろん返事なんて――。
「楽しくはない」
あ、ちゃんとお喋りしてくれるんだ。でも決して攻撃の手を緩めない、ちゃんとした子だ。
「あなたはこれで全力なの?」
「知らない」
「あはっ」
ごめんね、シフォン。馬鹿にしたわけじゃないの。つい吹き出しちゃったのは、あなたがわたしと同じだってことが分かって、意外だったから。あなたも強さの頂上にはいないんだね。まだ、自分の頂点を知らずにいる。それを教えてくれる相手にも出会ってない。
「ニコルはあなたと戦ってくれなかったの?」
「戦わなかった」
「そう、残念ね」
可哀想だ。ニコルが相手なら、彼女も自分をもっともっと高められたかもしれないし、もしかしたら限界を思い知ることが出来たかもしれない。
「ねえ、ニコルはあなたよりも強いんでしょ?」
「強い」
「本当に?」
「……」
実はちょっと自信がないんじゃないかしら。自分と相手の力量の差は、戦ってみなきゃ本当には理解出来ないものだ。心を失った冷静なわたしが悟ったシフォンの実力なんて、単なる当て推量でしかない。本物を見たければ、近付かなきゃならない。額が触れ合うくらいまで接近して、命を激しく燃焼させる。それではじめて、『ああ、そっか』と気付くんだ。
だからこうして殺し合うことで、わたしはシフォンの本当の意味での底知れなさを知った。彼女の斬撃は、少しずつ速度が上がってる。わたしも、より素早くなってると思う。でなきゃ、負う傷が一定なはずないもの。
第三者から見たら、わたしたちはどう映るんだろう。踊ってるみたいだろうか。それとも、ひとつの竜巻とか。分かんないや。それに、どうでもいい。他のひとなんか全員、どうでもいい。今この瞬間は、わたしとシフォンだけしかこの世界にはいない。そう思うことで心がさらにときめいて、全身が躍動する。刃も速くなる。思考は置き去りにされて、反射だけがそこにある。刃の雨は持続音で、飛び交う火花の光は自然光のように静かだ。そこにあって当然のもののように感じられてやまない。迸るわたしの血も、そのひとつ。シフォンは返り血すら浴びていない。あえて避けてるわけじゃなくて、お互いの繰り出す斬撃ですぐに消し飛んでしまうし、わたし自信の治癒能力ですぐに止血がはじまってしまうのだ。
わたしだって、押されてるばかりじゃない。致命的な一撃を覚悟して、シフォンを殺すための一撃を放ったりもしてる。それで手酷い反撃を受けるのはこっちばっかり。でも、嫌にはならない。そういう小さな仕掛けをするたびに、またひとつ階段を昇った感覚が確かにあるから。すると、一段分だけシフォンに近付いたことになる。あとどれくらい、なにをすれば、シフォンと同じ段までたどり着けるだろう。ちっとも分からない。一緒に並んで、手を繋いで、仲良く昇っていけたらいいな、と思う。殺し合いなのに、仲良くだなんて矛盾してるかな。でも、わたしはそんな次元で瞬間瞬間を捉えていない。殺し合わなきゃ、仲良くなんてなれないの。理解し合うって、そういうことじゃない?
ああ、でも。
もう終わってしまう気がする。
もうじき、この楽しい時間が終わっちゃう。
永遠に続けばいいのに。哀しくて哀しくて、涙が出そうだけど、現実のわたしは落涙で視界を乱すことなんてない。全力で今を感じている。そうしないと、シフォンとの剣戟は一瞬でケリがついてしまうもの。
わたしが悟ってしまっているのは、遥か階上でこちらを見下ろすシフォンに、どうやら追いつくことはないんだろうなということ。一段ずつ上がっているし、シフォンは立ち止まってる。それでも追いつかないんだ。
なぜって、死ぬから。
わたしが。
時間にして――そう、あと一分にも満たない。
わたしの腕はとっくに限界を超えている。もうじき決定的な崩壊が訪れるだろう。骨が折れるか砕けるかして、わたしの斬撃は止まる。けれどシフォンは止まらない。わたしは全身を切り刻まれて絶命する。簡単で、寂しい結論。
もっともっと遊びたかったな。
残念。でも、仕方ないことなの。どうやっても勝てない相手はいるから。それがたまたまシフォンだったというだけ。
この戦争がどうなるかは、恍惚状態にいるわたしにとっても、あんまり興味がない。心残りがあるとするなら――やっぱりヨハンかな。なんだかんだずっと一緒に旅してきたわけだし、ここでわたしが死ぬのは『志半ば』と思われちゃうんだろう。
そうだ。
今、気付いた。
わたしが死んだら、たぶん、ヨハンは哀しむ。泣いちゃうくらい。
理由は全然分からないけど、なぜか、そうとしか思えない。
それは嫌だな。
わたしが死ぬのは本望なんだけど、ヨハンが泣いたり悔やんだりするのは、見たくない。死んでるから見れないんだけど、そうなるのが分かってしまっていて、でも死ぬこと、つまりこのまま戦い続けることも決して止める気はなくて、だからジレンマだ。
最後にどんなことを喋ったっけ。覚えてないや。だってわたしは薄情を通り越して、情そのものを失ってしまったんだもの。
現実の世界で、刃が火花を散らす。あと二回ほど互いの武器がぶつかり合えば、それで終わる。分かってた。
分かってたのに――。
「氷の終末機構――起爆!!」
あまりに必死な声の直後、剣を握っていたシフォンの右腕に氷の魔術が展開された。それがいつ用意されたものなのかは分からない。シフォンの身体全体に固着した魔力のせいで、意識出来ていなかった。
氷は手首から肘にかけて満遍なく広がり、内部で鋭いトゲが彼女の肉を刺し貫くのが見えた。そして、シフォンが自分の右手から左手へと武器を持ち替えるのも、動作から読めた。
一瞬。そう言っていい時間を、シンクレールの魔術は作り出したのだろう。わたしは身体の命じるままに、一瞬の隙を逃すことなく、シフォンに斬撃を浴びせた。何発かは数えていない。
気がつくとシフォンの全身から力が失せていて、仰向けに倒れるのが見えた。それでも武器を手放していないあたり、正真正銘の戦士だと思う。
シンクレールの魔術が展開された瞬間には、もうわたしの心は恍惚状態から脱していた。今では、ヨハンが泣こうが喚こうがなんとも思わない。シンクレールへの感謝もない。自分が強くなった実感さえ薄かった。なにせ、最大のチャンスを生み出したのが自分ではないのだから、実感がないのは当然といえば当然である。
無数の傷を負って地に横たわったシフォンは、目を開いて、薄く呼吸している。つまり、死んでいない。
さて、やることはひとつだ。
刃を振り上げると、シンクレールがなにやら叫んでいるのが聴こえた。でも、剣戟音に侵された耳には遠いノイズとしてしか入ってこない。届かない言葉に意味はない。
再びシフォンが立ち上がったなら、わたしは今度こそ殺される。だから彼女を殺そうとしているわけではない。彼女がニコルに与する猛者であるからこそ、ここで命を断つ必要があった。テレジアのときとなにも変わらない。
刃を振り下ろす。
彼女の首に。
心臓に。
何度も、何度も。
「……どういうこと」
まるで意味が分からなかった。わたしはわたしの意志でシフォンの身体に刃を突き立てようとしているのに、どれだけ力を籠めても、切っ先は彼女に届く数センチ先で止まってしまうのだ。何度やっても駄目だった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて