982.「嵐の本領」
飛ぶ斬撃。
以前のわたしはなぜだが内心でそれに憧れていたようだった。決して口には出さなかったが、格好良いとでも思っていたのだろう。今となっては、便利、以上の感想はないが。
シフォンの攻撃をコピーするという発想は、スピネルに抱えられて移動している最中に思いついたものである。前線基地から、シフォンの攻撃方法の連携があった直後のことだ。
氷と炎。わたしのサーベルが記憶している魔術はその二種類である。いささか心許ない。そこに風が加われば、多少なりとも優位に立ち回れる場面も多くなるに違いない。そうした打算のもと、ひたすらシフォンの攻撃を刃で受け続けたわけである。
ただひとつ、意外な点があった。
次にわたしが斬撃――無論、風の刃――を放ったとき、シフォンは身動きひとつしなかった。応戦する様子もない。それも当然で、わたしの刃は放たれてから五メートルほどの地点で急激に減退し、消滅したのである。研鑽が足りないのか、はたまた所詮模倣でしかなく、それが限界だったのかは定かではない。シフォンの風の刃とぶつかれば相殺されることは初撃で証明済みだったが、おそらくは切れ味もオリジナルとは比較にならないだろう。なんにせよ、たった一撃を目にしただけで、わたしの稚拙ともいえる攻撃のリーチを把握しきったシフォンはお見事である。
落胆は感じないが、かつてのわたしだったならため息をこぼしていたことだろう。それに比べてシンクレールのなんと楽観的なことか。
「君も風の力を習得したのか……!」なんて慨嘆を漏らしている。
「互角……いや、それ以上かも知れない……!」なんて呟きも聴こえてきて、当然のごとくなんとも感じないわけなのだが、少しは論理的に考えたほうが彼自身の今後の人生にも悪くないだろう。そう思っただけで、口にはしない。無駄だからだ。
無駄を嫌うあたり、わたしとシフォンは多少なりとも似ているのかもしれない。先ほどの斬撃に一切の動作を見せなかったあたりにも、そんな印象がある。無駄なことはしない。言葉も、動作も、感情の動きさえ、無駄であるなら捨て去る。
こればかりは知りようのないことではあるが、ヨハン曰く、彼女には思考さえもないのだそうだ。この点はわたしと明確に異なる。わたしは今の状態になっても、思考だけは残されている。それがこの戦闘においてどれほどの差を生むことになるのかは未知数だ。ただ、少なくとも、思考という通路を経由することなく、すべてを反射的に行為するのであれば、わたしよりもシフォンのほうが遥かに迅速なのは明白だ。
そのあたりの事情を、そろそろ確かめてみよう。
それに、わたしの胸も静かにではあるが、高揚の予感を強めている。
竜人たちとの乱戦で味わった恍惚感は、まだ記憶に新しい。冷静な自分の目から検分するなら、無感情であるより、あの状態のわたしであるほうが強い。これは確信を持って言えることだ。
だから――。
シンクレールの、息を呑む音がした。
風の刃を相殺しながら、わたしはほぼ全力で駆けている。わたしにきっとなにかをもたらしてくれるであろう、無表情の剣士へと。
彼女へと近づくにつれ、気持ちが溶け出していく感覚になった。サーベルの動きに淀みはなくて、けれど蕩けていく。無くした心が、戦場の高揚で呼び戻される。
やがて、お互いの刃が本来のリーチでぶつかり合った。火花が散る。閃光が目に焼き付く。苛烈な金属音が心地良い。
なんだ、やっぱり。
貴品の力に頼らないほうが、ずっと速いじゃないの。
わたしの斬撃速度よりも、ずっと、ずっと。
どこにどの角度で振るわれるか分かっても、追いつくのが難しい。
腕の負担は尋常じゃないし、肌に伝わる熱い痛みも数を増していく。わたしの恢復速度なんて簡単に上回ってくる。しかも、全部の攻撃に無駄がない。無数と言ってもいい斬撃なのに、どれもわたしを殺す箇所に狙いを定めてきてる。
そう。こういうのが欲しかったの。
長距離での小癪な斬撃の飛ばし合いなんかじゃなくて、まばたきひとつで死んじゃうような、この感じ。
シフォンには傷ひとつつけられないのに、わたしは致命的な攻撃に対処するばかりで、逸らした刃が肌を斬る。わたしだけが血を流す。
でも、フェアじゃないなんて思わないよ。
だって、あなたはそれくらい強いんだから。ちゃんと強いし、容赦なんて欠片もない。それに、きっとこれ以上の速度も出せる。
ふう、ちょっと危ないから休憩。彼女の刃がギリギリ届かない位置まで一歩退いて、呼吸をしてから、今度は彼女の左側に回り込んでみよう。
彼女の左目がまだ完全には恢復していないことは、充血具合で分かる。だからこれは、死角からの一撃だったはずなんだけど、本当に、本当に、感動しちゃった。だって、一瞥もしないでわたしの刃を弾いたんだもの。
本能。第六感。気配。
どんなふうに呼んでもいいけど、シフォンはそれを持ってる。ううん、きっと、彼女のなかで曇ってたものが晴れたんだ。
完全な魔力察知。風の貴品。それらはシフォンにとって、本来必要なかった邪魔な装飾品。それらが取り払われたこの接近戦こそ、彼女の本域が見られる。感じられる。
タイミングを見計らって、後ろに回り込んでみる。一瞬で。けれど代償は小さくない。なにせ、わたしの右の頸動脈が斬られたんだもの。今頃自分が血を噴き出してることぐらい分かるし、ちゃんと痛い。でも、じきに塞がる。
それ以上に、背後からの攻撃に彼女がどう対処するのか知りたい欲求が勝って仕方なかった。
シフォンの背に、サーベルを突き立てる。
突き立てた。
そのはずだったけど――。
「っ!」
なんで逆に背後を取られちゃってたのか、全然分からなかった。だから不意打ちみたく、お腹を刺されたわけで、シフォンとしては、そこから心臓に向けて刃を走らせて終わりにするつもりだったみたい。でも、痛みへの反応はわたしのほうが速かった。最前までシフォンの背中があった場所に踏み出し、刃が抜ける感触を得て、それから振り向く。
シフォンがいない。
そっか。
死角を狙ったのはわたしだけじゃないってことね。
実を言うと、ちょっとだけ油断してた。だって、接近戦に移行してからもずっと、シフォンは一歩も動かなかったんだもの。本当は風のごとく素早く動けるのに、それを使う必要がなかったから、しなかった。とことん無駄のない子。今は少しだけ本気になってくれたってことなのかな。だったら嬉しい。
でも、唐突な消失はこれで二度目なわけで、わたしだってキチンと対応出来ます。少しは感心してください、シフォンさん。
死角からの刃を弾く。どこを向いてもシフォンの姿はない。でも斬撃はやってくるし、こっちもちゃんと弾く。
百花狂乱。かつてわたしがそう名付けた技。魔物の察知能力を魔力の察知に転換させる技術。以前のわたしならほんの少しの間しか維持出来なかったけど、今なら永久にその状態を保てると思う。自分で自分の底が知れない。だから知りたい。連れて行ってよ、シフォン。
殺し合いは、わたしにとって快楽なのはもちろんのこと、自己探求でもある。わたしの知らないわたしが見つかるのは、とても幸せだ。強さという名の、血塗られた階段をスキップで昇っていく感じ。
でもこれ、頂上までたどり着けそうにないや。
なにせシフォンは、わたしの遥か遥か先にいるんだもの。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『百花狂乱』→騎士団ナンバー9のシンクレールとともに編み出したクロエの技。視覚に頼らずに魔力を感知し、高速で斬撃を繰り出す。詳しくは『169.「生の実感」』にて