981.「風華一閃」
元騎士ナンバー2、シフォン。勇者一行のひとりであり、したがってわたしの討つべき相手のひとり。
無口、無表情、無感情。ただし剣技は随一。わたしの知る前情報なんて、まとめるとその程度だ。ただし、それらは以前のわたしの持っていた情報だが。
「クロエ! シフォンは風の刃を――」
背後で響いたシンクレールの叫びと、わたしのサーベルが見えざる斬撃を弾いたのは、ほとんど同時だった。
魔力を事前に察知したわけではない。もしそうなら、わたしは多少なりとも振り遅れ、後退を余儀なくされていただろう。
「シフォンの貴品のことも、片目のことも知ってる。移動用の竜人と一緒に交信魔術師も連れてきたから」
あえて伝える必要性はなかったが、頭上高くをサーベルで示してみた。そこには夜闇に紛れて、薄黄色の鱗が天の高みで待機している。もちろん、ナルシスも。飛行中に、何度か前線基地の名も知らぬ交信魔術師から情報共有があったのだ。おそらく地上でシフォンの戦闘を目にしながら、逐一様子を伝えたに違いない。
シンクレールがなにやら落胆した調子で「移動用って……」と呟いたが、無視した。
わたしに同行することに対し、ナルシスは少しばかりの異を唱えたが、非番のはずだった交信魔術師を叩き起こしたことで最終的には首肯することとなった。性格に難のある男だろうが、今のわたしにとってはさして気にするものでもない。それに、『煙宿』に配置された交信魔術師のなかでもトップクラスであることは、とうに見抜いている。なにかと詠嘆しがちであるために煙たがられている様子もあったが、どこにいようとも送受信が自由自在に出来るのは彼くらいのものじゃなかろうか。王都に配置されたケロくんほど卓越してはいないと思うが。
不意にシフォンが斬撃の予備動作を取ったので、一瞬で距離を詰める。
一度だけ激しい金属音が鳴り響き、わたしは再びシンクレールの前まで後退してみせた。
「次、上空を狙ったら容赦しないから」
シフォンに向けて言い放つ。彼女の腕が見せた肉の微細な動作は、狙いがスピネルたちにあることを示していた。それを察知して一瞬で間合いに飛び込み、彼女の刃の標的をわたしへとズラしたわけである。普通なら対処出来る速度ではない。彼女の風の刃がスピネルへと放たれ、そして代わりにわたしの刃がシフォンの胴を切断したことだろう。異常な相手であることは対峙した瞬間に悟ったけれども、こうして実感するのとでは別物だ。
「シフォンは」と、まだシンクレールが何か言っている。絶え絶えな息で。「完璧な魔力察知を持ってる。けど、僕がそれを封じた」
なら伝える必要はない。そこまでは知らなかったけれど、さして価値のある情報ではないと思った。
刹那――と表現するのが相応しいだろう。シフォンはコンマ何秒かの間に、五発の風の刃を放った。刃の重みと斬撃の速度を逆算し、彼女の刃に重ね合わせる。甲高い音が連続で五度鳴り、それからは重奏が続いた。
横薙ぎや袈裟斬り、逆袈裟などなど、シフォンの斬撃は絶え間なく、そしてバリエーション豊かだ。惜しむらくは、いずれの攻撃も一定の強度しか持たないこと。これは、彼女の扱っている風の貴品の制約によるものだろうか。それとも使いこなせていないだけなのかもしれない。いずれにせよ、種明かしの済んでいる攻撃はひたすら単調に感じてしまう。無論、わたしにとっては、だが。
今まさに背後で座り込んでいるシンクレールが血まみれなのは知っている。ただ、これだけの攻撃を彼がどうにか出来たとは思えない。
「……手を抜いていたのか」
ぼそり、と後ろから聴こえた声に、そうだろうなと思ってしまう。彼女の斬撃ならば、一撃でシンクレールの防御は破壊出来るだろう。そして、肉を細切れにしてしまうほどの速度で斬るのも容易いはずだ。要するに、シフォンにとって彼は脅威ではなかったということになる。
奇妙なのはシフォンの負った腹部の傷だが、これも油断の産物なのではなかろうか。今わたしに放たれている連撃は、常人ならば異様に感じる間もなく絶命することであろう。けれどこれが彼女の本領なのだとしたら、対峙した瞬間に味わった感覚は誤りだったことになる。
今のわたしよりも強い。
この地に降り立って数秒以内に抱いた率直な印象である。それを修正する必要は、今のところ感じていない。あくまでもシフォンの一側面として風の刃があり、それがわたしにとっては対処可能な攻撃の範疇に留まっているに過ぎないと考えるのが妥当だ。
ふ、と一瞬の凪ぎが訪れた。斬撃が数瞬だけ途切れたのである。
わたしとシフォンとの距離は十数メートル程度。まあ、ギリギリ届くだろう。
――氷炎一穿。
かつてのわたしなら、たぶん、そんなふうに名付けたのではないだろうか。
サーベルに氷をまとわせ、リーチを極限まで伸ばした刺突。それは当然、シフォンの生身の斬撃で砕かれる。しかし、内部に籠められた炎の刃まではそうはいかない。その炎は彼女の剣に触れもせず、その身を傷つけることなく、しかし貫いた。痛みだけを与えて。
氷も炎も、この一撃で充分だ。
氷の内部から現れた対処不能の炎に貫かれても、シフォンは顔色ひとつ変えず、異様なことには、まだ痛みを感じているであろう最中に、風の連撃を再開したのである。
当然、こちらは通常の状態のサーベルでの応戦に戻っていた。わたしの持ち駒がほぼ通用しないことが分かっただけでも収穫である。
「クロエ、シフォンは君のサーベルの破壊を狙ってるかもしれない。リクも――僕の仲間も、それが原因で……」
破壊、か。確かにそうなれば、わたしは一瞬でシフォンに敗北する。疑う余地なく。しかしながら、自分のサーベルの強度くらいは把握しているつもりだ。風の刃ごときでは決して壊せない。そしておそらくは、接近戦の、本来の剣戟であっても。
一度はトリクシィに破壊され、そして因果なことにオブライエンにより復活を遂げたこの魔具は、これまで一切の刃こぼれもなく、崩壊の予兆さえも見せなかった。それだけの攻撃に出くわさなかったと言ってしまえばそれまでだが、不思議と破壊への不安はない。今のわたしは不安という感情を持ち合わせていないので当然だが、以前のわたしでさえ、その類の感情は抱かなかったはずだ。奇妙と言えば奇妙だが、答えのない問題に取り組むほど、今のわたしは愚かで無駄な存在ではない。
シフォンの斬撃は途切れることなく続いている。加速も減退もせず。かれこれ十五分程度。
そろそろ、この無意味極まりない応酬も終わりにしていい頃合いだろう。
もうすっかり馴染んだに違いない。
わたしがあえてシフォンの刃を逸らすのではなく、腕の負担を無視して、斬撃の軌道にぴったり沿うように刃を重ねてきたのには、もちろん理由がある。
少しだけ息を吐く。そして、サーベルに意識を溶け込ませる。
「風華一閃」
この呟きはおそらく、シンクレールの耳にも届いていないだろう。言葉も、名付けも、ある意味では無駄なものだが、無意識に口に出していた。この瞬間、わたしのなかで芽生えた恍惚の現れなのかもしれない。
わたしの攻撃ののち、シフォンの斬撃は一旦静止した。
相も変わらず無表情なので判断がつかないが、少しばかりは驚愕を味わっているのかもしれない。
なぜならわたしの放った刃は、シフォンのそれと同じく、風による『視えざる斬撃』だったのだから。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ケロくん』→ハルキゲニアで魔術の講師をしているカエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃以降、生死不明。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて




