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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Sinclair.「氷の終末機構」

※シンクレール視点の三人称です。

 (たたず)むシフォンを前にして、シンクレールは自分の無能さと自責の念に駆られずにはいられなかった。自分がもっと冷静であったなら、もしかするとリクを死なすことにはならなかったかもしれない。そしておそらく、カリオンも死の運命から救えただろう。


 過ぎたことを悔いてしまうのはシンクレールの性格の(しゅ)たる要素だった。しかし今は、それを上塗りする程度には決意を固めている。


 ――死は敗北を意味しない。むしろ、勝つために僕は死ぬんだ。


 死を前提とした勝ち筋に向かって、シンクレールの脳は焼け付くほどに駆動していた。


 先に動いたのはシンクレールである。(なめ)らかな動作で片手を地面に密着させ――。


氷魔の古城(グラス・シャトー)!!」


 直後、周囲数十メートルに魔力が拡散する。氷の魔術が、壁、床、天井までを形成し、さながら城のエントランス部分を()した形態に様変わりするまで、ものの二秒もかからなかった。


 そう、二秒。


 シフォンならば、空間が生成される前に脱出することも、破壊することも、あるいはシンクレール自身を攻撃することも楽に出来ただろう。しかし彼女は今、氷の密室にシンクレールと二人で閉じ込められている。


 やっぱりそうだ、とシンクレールは独白した。シフォンには無駄がない。この魔術が単なる空間形成であり、攻撃に転じるものではないことを、魔術の展開直後に察知している。だからこその無反応なんだ。


 でも、とシンクレールは続ける。


 無駄なものなんてないんだ。一見するとなんの意味もないことだって、そこに重大な仕掛けが隠されていたりする。ヨハンなんかは、そういうのが(だい)の得意だ。


 そう。僕は今、彼の真似をしようとしている。あまりに稚拙(ちせつ)だとしても。


「解除!」


 手のひらを地面から離すと、氷の空間は一斉に霧散した。濃い魔力を漂わせて。無論、そこには攻撃の意志などひとつもない。シフォンもそれを心得ているのだろう。ゆえに、動きは見せなかった。


 ただ――。


 彼女の様子が変化したのは魔力が飛び散ってから数秒後のことである。


 自分の身になにが起きたのか、把握しただろうか。


氷の重戦士(グラス・ゴーレム)!」


 シフォンの周囲に、合計三体の戦士をかたどった氷像が現れた。シンクレールが魔術で作り出したものである。彼らは両手に剣を(たずさ)え、三方からシフォンへと斬りかかった。


 シンクレールは、自分の呼吸が乱れがちなのを意識して、深呼吸をした。今しも彼が生成した魔術は、通常の氷の魔術とは異なる。魔術を形成し、放つだけなら集中力の維持も消費する魔力も多くはない。ただし、生成された魔術製の物体を動かすとなれば別の話だ。物体を魔力製の糸で操る人形術に近い要素を備えている。決してシンクレールの得意とする分野ではない。もっぱら氷の魔術ばかり――つまりは魔術の生成や維持を得手として、魔力の繊細な操作技術は磨いてはこなかったからだ。


 それゆえ、シンクレールの作り出した氷像の攻撃は(あら)かった。シフォンならば一瞥(いちべつ)せずとも、攻撃圏内に入った氷像を木端微塵に出来ただろう。


 そう、少し前のシフォンなら。


 今、彼女は氷像のひとつひとつを目で――片目で――視認し、迎撃可能な攻撃は剣術で破壊し、いかに高速の剣技とて()に合わない攻撃は回避している。周囲を目まぐるしく見やる彼女の表情は完璧な()だったが、自身に起きている異常は充分に察していることだろう。


 今のシフォンには、魔力を察知することが出来ない。


 彼女が肌で魔力を感じ取っていたことは既に判明している。それゆえシンクレールは大掛かりな氷の城――なんの攻撃にもならない魔術を展開し、解除し、拡散させた魔力を彼女の全身に固着させたのである。その魔力は決して攻撃のトリガーになるものではないが、彼女の第六感とでもいうべき魔力察知を無力化するには充分な貢献を()たしたといえよう。


 彼女の皮膚は今現在、全方位からの魔力を察知し続けているはずだ。肌を(おお)う魔力の先の、本物の魔術――氷像の持つ魔力は、まるで感知出来ないに違いない。


 この発想が生まれたのは、リクに決定的な一撃が振るわれたあとのことである。もしもそれ以前に自分のアイデアを活かすことが出来たなら――そう思って歯噛みしたところで、(うしな)われた生命が戻るものではない。とはいえ、あったかもしれない未来を思い描いてしまうのは自然なことだった。


 ――僕がもっと賢ければ、死なずに済んだ命がある。


 リクの姿が頭を駆ける。


 ――僕がもっと強ければ、流れずに済んだ涙がある。


 シャンティの姿が脳裏に浮かぶ。


 ――だから、これで最後にしなくちゃならない。誰かが死ぬ必要があるとするなら、それは僕で最後にする。


 死も痛みも、シンクレールは当たり前のように恐れていた。今もそうだ。ただ、それ以上の決意と覚悟が彼を支えていた。


 十秒。三体の氷像が生成されてから、破壊されるまでにかかった時間である。シフォンにしては長過ぎる対処時間を稼いだのは、シンクレールの発想――魔力察知封じ――の賜物(たまもの)だろう。


 氷像を破壊するや(いな)や、シフォンは(くう)を一閃した。それが風の刃であることはシンクレールも熟知している。それゆえ転がるようにしてその一撃を回避し、シフォンとの間を詰めた(・・・・・)


 シンクレールの魔術は一部を除き、後方支援に(るい)するものばかりである。すなわち彼の場合、シフォンから距離を取るのが最前の策であるのだが、それを選び取らなかった。


魔術換装(ドレスアップ)


 シンクレールの小さい呟きの直後、彼の全身が氷の鎧で覆われる。自身を凍結しないよう調節し、可動域を申し分ないほど確保し、硬度を上げた鎧。それがものの数秒で顕現(けんげん)したのは、シンクレールのひとつの達成でもあった。魔術製の鎧を作るのは、決して簡単ではない。集中力を研ぎ澄まし、魔力消費を一定に維持する必要がある。心が揺らいだ時点で鎧は瓦解(がかい)するだろう。()いだ精神が必須である。そしてもちろん、コップの(ふち)ギリギリまで(たた)えられた水を一滴もこぼすことなく踊るような、魔力操作の精度と技術も要求される。精神的に揺らぎやすいシンクレールにとっては、扱うことをほとんど諦めていた魔術のひとつだった。それでもこの瞬間実現出来た背景には、もはや言うまでもなく、シンクレールの内心の不動さが大いに働いている。


 そして、鎧だけではない。


氷衣(グラス・ルジレ)


 クロエを相手に何度も生成した氷の刃。それを片手に練り上げる。過剰な魔力消費で頭痛がしたが、そんなものに気を取られてはいなかった。


 シフォンの風の刃をかわしながら、疾駆する。ときおり、魔術製の氷の矢を彼女の背後に発生させながら。そうでもしないと接近出来るものではない。


 シンクレールにはリクのように、シフォンの刃の軌道など見えない。剣の振り終わりから逆算して、風の刃の位置と角度と計算してようやく回避に繋がっている。が、それでも何度か攻撃がかすった。肩に、腕に、足に、腰に。氷の鎧でいくらか減退されてはいても、強烈な痛みと血が流れる感覚はあった。


 やがてシンクレールの剣がシフォンを捉える。


 一瞬で砕かれ、鎧もまた、粉砕される。


 刹那の合間に再び同じ魔術を練り上げ、応戦する。


 その繰り返しは、もはや一方的といえるほど希望の見えない戦いだったろう。


 片や剣術の素人。片や底知れぬ達人。小枝ほどの棒切れでキマイラと戦うようなものだ。何度魔術で態勢を整えようとも、傷は増えていく。そして鎧と剣が砕かれるたび、魔力を消耗していく。


 シフォンから距離をおいて魔術を主体に戦っていたなら、こうはならなかっただろう。それでも、とシンクレールは思う。それでも、シフォンを討ち取るなんて出来ないに違いない。彼女を討つ前に、魔力の枯渇(こかつ)で身動きひとつ取れなくなって、なにもかも終わりになる。


 接近戦ならば()があると思うほど、シンクレールも愚かではない。むしろそれはシフォンの得意分野だ。


 つまるところ、どちらを選んでも死は(まぬか)れなかったといえる。


 ならば勇猛に前進しようと思ったのか? そうではない。


 死に急いでいたのか? 近いが、正解ではない。


 絶望的な刃の嵐のなかで、シンクレールは鎧の硬度を腕に集中させた。そして片手が、彼女に触れる。息も()()えで、思考はかたちを()していない。魔力は枯渇寸前。それでも、自分がすべきことは決して忘れていなかった。


氷の(グラス)……終末機構(セラヴィ)


 通常、魔術が展開されるのは術者による行使(こうし)が行われたタイミングである。


 そして原則として、術者の死後、魔術は霧散の一途をたどる。


 ただ、原則はあくまで原則でしかなく、例外もあるのだ。


 シンクレールがこの瞬間、シフォンの利き腕に触れて放った魔術は、即時発動するものではなかった。もちろん魔術である以上、任意のタイミングで展開することも出来るが、術者の死をトリガーとして発動するよう、あらかじめ計算されていたのである。シンクレールがシフォンの剣で粉微塵になった瞬間、彼女の右腕の表皮に魔術製の氷柱が展開され、肉を食い破る。そんな仕掛けだ。度重(たびかさ)なる魔術の行使により空気中に分散した魔力を、死を契機に寄せ集め、一度きりの魔術として展開させる。そのようなロジック。シンクレールはこれまで一度も死んだことなどなかったのだから、絶対に上手くいくと言い切れるだけの保証はない。しかしながら、検証は実施済みである。眠りによる意識喪失を擬似的な死と仮定して実験し、何度か成功を収めていた。ゆえに、まったく勝算のない賭けではない。


 これでシフォンの片腕を破壊出来るかもしれない。そうすれば、以後、彼女と相対(あいたい)する仲間への絶大な贈り物になるだろう。


 (いな)なった(・・・)だろう。


 確かにその魔術は、シフォンの右腕に固着した。シンクレールもまた、数瞬後には絶命するはずだった。


 しかし彼が死ぬことも、そして魔術が発動することもなかったのである。


 シンクレールによる魔術行使の直後、シフォンが大きく後退したのだ。未知の魔術への懸念ではない。そもそも今の彼女には、魔術の内実を把握するほどの察知力はないのだから。


 では、なぜか。


 刹那、ひとつの影が空中から降り立った。静かに、しかし土煙を上げて。その人物がシンクレールに背を向けたまま、シフォンと対峙するまで、そう時間はかからなかった。


 栗色の髪が、死の臭いに満ちた風に踊る。


「……クロエ?」


 なぜこの場に彼女がいるのか、という疑問は感じなかった。今しもシンクレールが行おうとしていた魔術は、クロエに対する贈り物として強く意識していたものだったから。それでも、こんなタイミングで訪れるのは意想外だった。


「シンクレール」彼女は振り向くことなく、はっきりと言った。「生きてて良かった」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『氷魔の古城(グラス・シャトー)』→地形も巻き込み、周囲を氷の空間に閉じ込める魔術。さながらミニチュアの城。詳しくは『Side Cranach.「薄明の涙」』にて


・『人形術』→魔力製の糸で物体を操作する魔術。複雑な機構のものを操るのは不可能とされている


・『魔術換装(ドレスアップ)』→魔力製の武装を施す魔術。形態や効能は術者によって様々。詳しくは『Side Sinclair.「感情彷徨」』にて


・『氷衣(グラス・ルジレ)』→氷を成形し、武器や鎧として扱う魔術。詳しくは『269.「後悔よりも強く」』にて


・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて

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