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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Sinclair.「刹那の時間を捕まえて」

※シンクレール視点の三人称です。

 フリルのあしらわれた大仰(おおぎょう)なドレスと、紫の肌の少女。彼女の(かか)げた両手の先に浮かぶ巨岩たち。それらが等しく月光に照らされ、どこか静謐(せいひつ)な印象を振りまいていた。


 カリオンの加勢だけでも意外だったというのに、本来は地下で待機しているはずのリリーまでどうして地上にいるのか。そこに彼女の強い意志を感じないほど、シンクレールは鈍い男ではなかったが、この瞬間は呆気(あっけ)に取られて思考が空白になってしまった。


 震えがちに、彼女の唇が開かれる。


「わ――」


 最初の一音はひどく上擦(うわず)っていて、リリー自身もそのことに気付いたのだろう、一度口を閉じてから、大きく息を吸い込むのが見えた。


「ワタクシは高貴なる姫君、リリーよ! ワタクシにかかれば――」


 彼女の瞳がシフォンを捉え、そして傍目(はため)からも分かるほどに、表情に(おび)えが広がる。しかしながら、彼女のそうした反応は一瞬のことだった。


「ワタクシにかかれば、貴女(あなた)なんて簡単にボロボロに出来るわ! だから今すぐ降参なさい!」


 言葉の途中で、シンクレールは何度か彼女の名を呼んだが、見向きもされなかった。『やめろ』だとか『逃げるんだ』だとか叫んだ気もする。いずれも、彼は無意識に言葉を発しており、自分がなにを口走っているのか不明瞭だった。強烈に高まった悲劇の予感に押し流されるようにして、声が飛び出しただけのことである。


 リリーの背後にはクラナッハがおり、必死で彼女の暴挙を止めようと、それこそ羽交(はが)()めにしているのだが、宙に浮いた巨岩も、彼女自身の身体も、微動だにしなかった。


「リリー! 地下に戻るんだ! シフォンは君の手に負える相手じゃない!」


 そう叫んだシンクレールと、一瞬だけリリーの視線が交差する。


「ワタクシは高貴なる者として、弱者を守る義務があるのよ。だから――あっ」


 刹那、リリーの巨岩がシフォンに放たれた。(ほか)ならぬシフォンが刃を引いたからだろう。


 彼女の言葉の最後の響きは、自分自身の行為への驚きと後悔に染まっていた。リリーの瞳はほとんどずっとシフォンを捉え続けていた。それは、敵の動きに注視するというより、どうか撤退してくれという願いであったのだろう。その感情は恐怖心に(から)め取られている。だからこそ、シフォンの行動に対し、無意識に攻撃を行ってしまったのだ。彼女には、他者を決して殺さないという信念がある。それはシンクレールも重々承知していた。樹海でのこともさることながら、前線基地の悲惨な光景を目にして、彼女はひどくショックを受けていた。殺し殺されることを決して歓迎しない彼女の性格にとっては、シフォンは受け入れがたい存在に違いない。それでも彼女は他者を殺すことなど出来ない。(いな)、しない。だからこそ、充分な殺傷力を持って放たれた巨岩は、リリーにとって意図的な行為でなかったのは明らかだった。ゆえに驚きと後悔が咄嗟(とっさ)(あふ)れ出たのであろう。


 (こう)か不幸か、彼女の後悔は杞憂(きゆう)に終わった。


 巨岩はシフォンに到達する数メートル先で垂直に割れ、彼女の左右を猛烈な勢いで転がっていったのである。それがシフォンの手にした武器――風の力を(ゆう)する貴品(ギフト)の斬撃に(ほか)ならないことは明らかだった。


「リリー! あいつはリリーじゃ絶対に止められねえって! だから――」


「うるさい!!」


 クラナッハの必死の声が、ほとんど涙混じりの叫びに()き消された。


(かな)わないからなんだって言うの!? ワタクシはシンクレールを助けにここまで来たのよ! それに――こんな状況で黙って大人しくしていられるわけないじゃない! ワタクシはもう誰にも死んでほしくなんてないの!!」


 死を前提として、敵の足止めのために作られた前線基地。そこに響く彼女の言葉は、どこまでいっても理想論でしかなくて、だからこそシンクレールはハッとした。


 どんなに頑張ったところで死を()けられないことは、もはやシンクレールも肌で理解している。死ぬ覚悟も持っている。


 リリーの(かか)げた言葉は綺麗事だ。ただし彼女の言うそれは、もはや理念といっていい。正しさに裏打ちされた理念は、高貴であり、他者を鼓舞し、それを口にした当人をも奮い立たせる。


 自分にはそれがあるだろうかと、シンクレールは自問した。多くの場合、自問の答えは用意されていないものである。


「あの少女を死なせてはならない」


 前方で刃を構えるリクがそう呟いたのを、シンクレールは確かに聞き取った。そして、リクがその身を(ひるがえ)し、リリーへと疾駆したのも、同時に見えた。


 リリーの巨岩が斬られてからも、シンクレールはシフォンから決して目を()らしてはいなかった。ただ、変化があったのである。巨岩の攻撃ののち、シフォンは脱力したように剣を右手にぶら下げていた。そのはずだった。しかし、まばたきすらしていない()に、彼女の右腕は伸び切っていて、剣は四時の方角を()していたのである。一瞬のうちに、なにかを斬ったとでも言うように。


氷壁(グラス・ミュール)!!」


 シンクレールは咄嗟に、リリーとシフォンを結ぶ直線上に分厚い氷の防御魔術を展開した。猛烈な風音とともにそれが砕け散ったのは、直後のことである。


 決して視認できない風の斬撃。それがリリーへと放たれたことは、疑いようがなかった。そして、自分の魔術では止めきれなかったことも。


 これまでシフォンは、風の斬撃を使う際には刃を引くという予備動作を見せていた。それがシンクレールの油断を生んだのは間違いない。シフォンは貴品(ギフト)の効力を充分に理解していなかったがために、余計な動作を行ってしまったに過ぎない。武器の使用者が効能に気付くまで少々時間がかかっただけのことである。


「リリー!!」


 逃げろ、という叫びが風に掻き消される。シンクレールはただ呆然(ぼうぜん)と、見えない刃の()(すえ)を凝視することしか出来なかった。


 青褪(あおざ)めた表情で立ち尽くす少女の前に、オオカミに似た獣人――クラナッハが両手を目一杯広げて仁王立ちした。その身体がひどく震えていることも、涙が(ほとばし)っていることも、シンクレールはちゃんと目にしている。見えないのは、彼らに迫る凶刃だけだ。


 ほんの刹那の時間で、クラナッハは真っ二つになるだろう。シフォンの刃が氷の魔術でどれほど減退しているかなど、計算出来るものではない。仮に威力が弱まっていたとしても、たったひとりの勇敢な獣人の命を散らすのが容易であることくらい、これまでのシフォンの異常ぶりで簡単に理解出来てしまう。


 しかし、刹那の時間を決して逃さなかった存在がいた。


 クラナッハの前に(おど)り上がった紫の影。漆黒の長髪が翻り、二人を(かば)うように刃が構えられる。


 はたしてリクは、風の刃の軌道を完全に読み切ったのだろうか。


 (いな)、である。


 リクの持つ刀が風の斬撃とぶつかり合い、金属質の轟音が鳴り響いた。そして、武器を手にした彼の右腕が――骨が見えるほど――切り裂かれたのである。


 無惨に血を散らしながら、リクは、リリーの立つ岩塊の下へと落下した。


 シンクレールは、ほとんど無我夢中で彼のもとへと駆けていた。シフォンから目を離さないように意識して。


「リク! 大丈夫か!」


 リクのもとへたどり着くまでに、彼はすでに立ち上がっていた。右手にはしっかり武器を握っている。ただ、もはや存分に戦えるほどの余力が残っているようには見えなかった。


「シンクレール」リクは決して敵から目を逸らすことなく、言い放つ。「お前の魔術でおれの腕を補強できるか?」


 シンクレールは、悪寒(おかん)に近いような武者震いを感じた。


 左腕を欠損し、右腕さえも今の攻撃で負傷したのだ、リクは。それでも意志は、意志だけは折れていない。


 敵を討ち取り、勝利することだけを考えている。だからこそ、シフォンの見えざる攻撃にさえ、いち早く行動することが出来たのだろう。自分の腕が犠牲になることさえ、予期していた(おもむき)がある。シンクレールは(われ)()らず歯噛みし、拳を強く握り締めていた。


 そんな彼とは対照的に、頭上へと一瞬目を走らせ、小さく呟いた。ひどく満足気な調子で。


「美しい魂は生きねばならない」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『貴品(ギフト)』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて


・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果としての行動。可哀想な人の味方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』


・『氷壁(グラス・ミュール)』→氷の壁を作り出す魔術。魔力の籠め具合によってサイズと硬度を調整出来る。初出は『370.「今だけは一緒に」』

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