Side Sinclair.「銀色の嵐」
※シンクレール視点の三人称です。
深さを増していく夜の下、剣戟音は豪雨のごとく鳴り響いていた。
銀色の嵐。
その単語をはじめて耳にしたのは、魔術訓練校に入って間もなくのことである。目にも止まらぬ速度で魔物を切り刻む剣士がいるのだと言ったのは、噂好きの同輩だった。まるで我がことのように語られる武勇の数々は、到底信じられるものではなかった。グールの大軍勢に突っ込んで切り傷ひとつ負わずに殲滅しただとか、キマイラをものの数秒で塵に変えただとか、単身でケルベロスを仕留めただとか、どれもこれも嘘くさく響いたものである。おまけにその剣士が年端もいかぬ少女だなんて、作り話としても程度が低い。
『見たんだよ、俺。噂の剣士を。この目で。……って言っても、壁の上からだけど。でもよ、痺れたねぇ。その剣士に魔物が近づくたびに、身体がぼろぼろに崩れていくんだ。よく見ると剣の、こう、残像みたいなのがいくつもいくつも剣士のまわりにあってさ、きっと目に見えない速さで斬ってやがるんだ。あれじゃ却って魔物のほうが気の毒だね。近付けば命がないんだからさ』
空返事を繰り返すシンクレールに対して、同輩が陶酔交じりにこぼした締めの言葉が『まるで銀色の嵐だった』である。
今の今まで忘れ去っていた遠い過去のやり取りをシンクレールが思い出したのは、きっとその同輩と同じ印象を抱いたからだろう。シフォンの周囲を飛び交う銀の残像は、まさしく嵐の様相を呈していた。
ただ、嵐はひとつではない。
シフォンとの剣戟を繰り広げるリクもまた、同種の存在に見えた。
ふたつの嵐が月下で激しくぶつかり合っている。ときおり空中に散る深紅は間違いなくリクの血だろうが、彼が作り出す刃の嵐は一向に止む気配を見せなかった。岩塊に立って見下ろすシンクレールは、怖気とも武者震いともつかない震えを覚えた。
しかしながら――互角とは言えない。
「氷の矢!」
空中に展開された複数の氷柱が、曲線的な軌道を描いてシフォンへと放たれる。が、それらは彼女の剣の射程範囲に入るや否や、木端微塵になって消えた。
まだ戦闘がはじまって二分も経過していないが、力の差は歴然だと悟らざるを得ない。シンクレールの遠距離攻撃と、リクの高速の接近戦。そのいずれも、シフォンは完璧に対処している。否、対処というより自然現象じみていた。半径一メートル強に入ったあらゆるものが切り刻まれる。そんな嵐が地上に存在すると考えるほうが容易だった。
「シンクレールくん」
後方からシャンティの声が流れてきた。
「シフォンちゃんの左側を狙うといいよ。さっき左目を潰したから」
朗報には違いなかった。だからこそシンクレールは反射的に「ありがとう、シャンティ」と返したし、リクにも「奴の左目は見えてない! 左側を狙うんだ!」と叫んだのだが、ふと苦々しい気付きに囚われた。
――片目が見えていない?
戦慄が背を這い上がる。
――さっきから右からも左からも、満遍なく攻撃してる。リクだってそうだ。なのにシフォンは、たった一瞬さえ怯んでないじゃないか。剣が振り遅れる様子も見えない。
結論は、そう深く考えずとも出てくれた。
シフォンは魔力を視ている。あるいは、感じている。リクの持つ武器は魔術が籠められており、シンクレールの攻撃は魔力の塊である。彼女が周囲の魔力を敏感に察知しているのなら、視界を半分喪失したところで大きな問題はない。少なくとも、貴品使いと魔術師が相手では。
「氷墓!!」
シフォンの頭上に魔力が集中し、彼女を押し潰すに足る巨大な氷の柱が出現した。が、彼女はまったく意に介さない。頭上を見上げる素振りはなく、淡々と刃を振るっていた。シンクレールの手の動きと連動し、氷の柱が落下をはじめても、その態度は一切崩れることがなかった。
シフォンは一瞥さえ投げることなく、頭上数センチのところで柱を突き崩し、残骸をさらに細かく砕いていった。リクへの攻撃を緩めることなく。
格の違いは明らかだった。シンクレールがこれまで放ったのは、数発の低級魔術と一発の中級魔術だけだが、それでも『届かない』と知るには充分過ぎた。シフォンの実力は底知れない。対する自分は、あまりにも小さい。敗北のイメージだけが時々刻々と脳を焼いていく。
「氷牙!!」
足場の岩塊に両手を突き、シンクレールは魔力を放出した。魔力の塊は彼のイメージした通りに地中を移動していき――。
シフォンの足元の地面を突き破り、鋭い円錐型の氷塊が出現した。
直撃したと思って歓喜のあまり握りしめた拳を、シンクレールは脱力させていく。
氷塊が展開されるコンマ数秒前に、シフォンは半歩だけ後退したのである。氷の柱は彼女の顔面から数ミリのところで天を衝き、その直後、木端微塵に吹き飛んだ。シンクレールが魔術を解除したのではない。魔術が完全に展開されるタイミングでシフォンが打ち砕いたのである。手にした刃によって。
「嘘だろ……」
勘がいいという言葉で片付くものではない。シフォンの動作は、魔術のサイズ、位置、速度をあらかじめ知っていなければ不可能だった。
未来視が実在することは彼も知っている。かつて自分たちを導いてくれた毒食の魔女が、その力を有していた。ただ、彼女は血族と人間のハーフであり、それゆえ異能を持っていたに過ぎない。純粋に人間であるシフォンが、魔女と同等の力を所持しているとは思えなかった。
たったひとつ、ごく自然な可能性がシンクレールの頭に浮かぶ。
魔力の察知力には個人差がある。周囲の数メートルであれば微かな魔力さえ漏らさぬ者もいれば、逆に広範囲に点在する魔力量を漠然と感じられる者もいる。展開された魔術に宿る魔力の濃淡により、練度を計測出来る者もいた。しかし、展開されてもいない魔術を完璧に予知するような手合いは、シンクレールも出会ったことがなかった。この瞬間までは。
常軌を逸した魔力察知。その結論を受け入れがたく感じてしまうのは、シンクレールが魔術師だからこそだろう。彼は歯噛みし、再び足元の岩塊に魔力を注ぎ込んだ。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。合計四発分の魔力の塊を放出し、軽い眩暈を覚える。が、意識はこれ以上ないほど研ぎ澄まされていた。
「四つ首の氷牙!!」
シフォンの前後左右。合計四本の円錐が地面を突き破る。シフォンが少しでも回避すれば、その身は氷の柱に貫かれただろう。その場から一歩たりとも動かなければ直撃しない――そんな位置取りで魔術を展開したのである。
四本の氷塊は最前と同様、一瞬のうちに砕け散った。銀の嵐は平然と続いている。その中心にいるシフォンは無傷に見えた。
シンクレールは自分の呼吸が短く、浅く、激しくなっているのを知りながら、平静を取り戻せずにいた。
――なにもかもお見通しなんだ。
頭のなかで言葉が溢れ出す。止めようと思っても抑えがきかない。
――僕が、いつ、どこに、どんな魔術を打ち込むか。
――魔力を集中した瞬間から見抜かれてる。
――なんの意外性もない攻撃にしかならない。
――僕じゃ、絶対に。
リクがいなければ死んでいる。あまりに呆気なく。
噛んだ下唇に血が滲んだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『魔術訓練校』→王都グレキランスで、魔術的な才能のある子供を養成する場所。魔具訓練校とは違い、卒業後の進路は様々
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて
・『ケルベロス』→三つの頭を持つの魔犬。機動力が高く、火炎を吐く。詳しくは『286.「魔獣の咢」』にて
・『氷の矢』→氷柱を放つ魔術。初出は『269.「後悔よりも強く」』
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『氷墓』→空中から氷の柱を降らす魔術。初出は『Side Sinclair.「裏切りの日の思い出」』
・『氷牙』→氷のトゲを展開する魔術。地中にも空中にも展開可能。初出は『Side Sinclair.「憧憬演戯」』
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。故人。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』参照
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて