Side Sinclair.「宵闇と煌めき」
※シンクレール視点の三人称です。
靄が晴れ、得意気なリリーの表情が見えた。彼女の後ろで安堵の息をつくクラナッハも。今にも気絶しそうなくらい蒼白な顔色のエイミーや、しかめ面のカリオンも。
「ありがとう、リリー。本当に助かったよ。……でも、どうしてここに?」
「連れ去られたシンクレールを見て、急いで駆けつけただけよ」
本来、彼女は前線基地の地中でじっと待機していたはずである。クラナッハたちと一緒に。遠ざかっていくキュクロプスの足音に嫌な予感を覚えて、地上を窺い、事態を把握したのだろう。
「勝手なことをしおって」とカリオンがリリーを睨みつける。
すると彼女は勝ち誇ったように鼻で笑った。「ワタクシの判断が的確だったことは、ここにいる二人の生存者が証明でしてよ。分かるかしら? ワタクシはシンクレールを助けるために行動して、望んだ通りに助け出したの」
どうやらこの救出劇はリリーの独断だったらしい。
ありがたいと思う気持ちに偽りはない。が、シンクレールとしては希望に陰りを感じもした。それはおそらく、リクも同じだろう。
前線基地を離れてから既に三十分近く経っている。魔物の軍勢があの少女を相手にして三十分も持つだろうか。
魔物が全滅していたなら、それはすなわちシャンティの死を意味する。今の彼女は無力な存在だ。そしてシフォンが前線基地内の血族と人間の殲滅を目的としていたなら――それ以外の目的はシンクレールには考えつかない――相手が無力かどうかなど関心事ではない。
「でも、なんでまた巨人が暴走したのかしら? 二人を連れて走り出すだなんて意味が分からないわ」
肩を竦めるリリーに、リクが呟きを返す。「シャンティ様が命じたのだ。おれとシンクレールを連れて戦場を逃げ出すように。……生かしたまま」
「ふぅん? なるほど?」
頷いているものの、リリーはいまいちピンときていない様子だった。理解したふりをしているだけだろう。
「じゃあ」と口を挟んだのはクラナッハである。「あのデカい女はお前たち二人を逃がして、自分だけ戦ってるってことかよ……」
「その通りだ。シャンティ様は今もたったひとりで……早く、早く戻らなければ!」
駆け出そうとしたリクの前にカリオンが立ちはだかった。
「戻る意味はない。まあ、貴様ひとりで戻ると言うのなら止めぬが? 全力で走ったところで、戦場に帰還するまで一時間以上かかるだろうな。その頃にはシャンティも――」
「カリオン」リクの片方だけの腕が、カリオンの胸倉を捻り上げた。「それ以上言ったら、ここでお前の息の根を止める」
「貴様は自分の立場を忘れているようだな? 捕虜でありながら我々に危害を加えるつもりなら命はないと思え」
リクはしばしカリオンを睨んでいたが、やがてゆっくりと胸倉を解放した。
「カリオン……お前には感謝している。いかなる動機であれ、シャンティ様の命を救ってくれたのは事実だ」
「そうだ。貴様は俺に大恩がある。大人しく我々に従っていれば悪いようにはしない」カリオンは胸元を正し、ぐるりと一同を見やった。「これより我々は王都に帰還する。捕虜はひとりに減ってしまったが、やむをえん。今我々が取るべきは無事王都にたどり着き、一切を遺漏なく報告し、その上で次なる作戦行動に参加することだ。シャンティもそれを望んでいるからこそ、リクと総隊長殿を逃がしたに違いあるまい。再び戦場に戻るなどという愚行を犯すのではなく、彼女の意志を汲み、我々は我々にとって最善の行動を選び取るべきなのだ」
カリオンの後ろでエイミーが小さく頷いている。彼女も彼と同じく、このまま王都への帰還を願っているらしい。
クラナッハは眉間に皺を寄せて俯き、リクは無表情のまま絶句している。リリーもまた口を結んでいたが、両手でスカートの端を握っていた。
「エイミー」シンクレールはひどく落ち着いた気持ちで、カリオンの後ろに縮こまった女性へと呼びかける。「今、各拠点に交信を飛ばすことは出来るかい?」
「出来ます……けど、精度はかなり落ちます。長距離交信を正確に行うには、交信を受け取る相手の位置も大事ですけれど、自分の位置も完璧に把握してる必要があるんです。相手と自分との直線距離や、間の障害物の有無も重要になりますけど、一番肝心なのはイメージなんです。私の位置から相手の位置までの魔力の放物線をちゃんと頭で想像出来ないと、交信は届きません」
エイミーの説明はシンクレールとしても納得のいくものだった。カリオンやリクが理解を示さずとも、魔術師であるシンクレールにとって想像の重要性は身に染みて分かっている。魔術を現実にするためには、かたちの定まらない魔力を、想像力という鋳型に注ぎ込んでやらねばならない。
「今すぐ交信したとして、どのくらいの確率で相手に届くと思う?」
「多分ですけど……五十パーセントもないかと……」
エイミーがおそるおそる答えた直後、カリオンが意気揚々と割って入った。「ならば、やはり王都に帰還して直接真実を伝えるべきだな。それともなにか? 前線基地に戻って交信するとでも? もしエイミー殿の発言が事実なら、そもそも交信魔術はそれだけ不安定な代物ということになる。これまで前線基地から送っていた交信も届いているのかどうか怪しいものだ。エイミー殿。届いている保証はないのだろう?」
「……保証は……ない、です」
もとより前線基地からの交信は一方通行の前提である。エイミーは交信を送る力にはそれなりに長けていても、受信する能力はさほど強くない。それを織り込み済みで彼女は配置されたのだ。ほかの大規模拠点――たとえば煙宿は王都から距離も近く、戦略的にも重要な場所であるからこそ、複数の交信魔術師を置いて送受信の両面が機能するようにしている。前線基地はその役割において撤退はなく、ほかの拠点への移動も想定されていない。この地で死に行く運命にあるからこそ、送信能力だけで充分であると見做されたのだ。もちろん、交信のエキスパートと言えるだけの魔術師が不足していた背景もある。
エイミーの交信魔術自体に疑いの目を向けるなら、カリオンの言った通り、このまま王都に向かうのがベストなのだろう。それはシンクレールも分かっていた。
「これ以上話している時間はない。おれは行く」リクは前線基地の方角へと踏み出しかけてから、ふと動きを止め、シンクレールへと振り返ってみせた。「シンクレール。お前は生きてくれ。……美しき魂は生きねばならない。魂の煌めきをあまねく届けるために」
それだけ言うと、リクはもう振り返ることなく宵闇のなかを走り出した。
今度はカリオンも止めることなく、ただじっと、リクの去ったほうを見つめていた。
美しき魂。
シンクレールは声に出すことなく、リクの言葉を一度だけ繰り返した。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果としての行動。可哀想な人の味方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて