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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Sinclair.「簒奪卿の交渉」

※シンクレール視点の三人称です。

「シャンティ様! シャンティ様!! おれの声が聴こえますか?」


 横たわったシャンティに決して触れず、視線を(さえぎ)ることもなく、リクは彼女を見つめて何度も声を発した。膝を(そろ)え、身を乗り出して。


 彼女の恢復(かいふく)を掛け値なしに願っていたのは、おそらくこの場でリクただひとりだろう。リリーとクラナッハは息を呑み、シンクレールの背後に隠れている。カリオンとエイミーは緊張を(ともな)った沈黙を続けていた。


 警戒。


 彼らは一様(いちよう)にそれを共有していることだろう。シンクレールとしても、彼女の覚醒(かくせい)を手放しで喜ぶ気にはなれなかった。自分を拷問した相手であり、この戦争における敵なのである。ただ、リクにとってシャンティは姉であり、どれほど(しいた)げられても愛し続けている点はシンクレールとしても否定するつもりはない。血族は邪悪な存在でしかない、などという人間世界の一般論はとうに捨て去っているのだから。


 シャンティはシンクレールから目を離すことなく、何度かまばたきをした。リクの声には相変わらず反応しない。シンクレールもまた、そんな彼女に釘付けになっていた。


 過度な装飾品に彩られた唇が薄く開く。


「――んっ」


 何事か喋ろうとして()せたシャンティに、リクが這い寄った。「大丈夫ですか!? 水を――」


 シャンティはゆっくりと、ぎこちなく身を起こした。支えようとしたリクの手を、弱々しく、しかし充分に鬱陶(うっとう)しそうに払いのける。


 彼女の右腕が震えつつも持ち上がった。指が開き、手のひらがシンクレールへと向けられる。


 いつでも攻撃出来る、という意思表示だろうか。寝起きの病人という要素だけを拾えば失笑ものの態度だったが、相手はシャンティである。シンクレールは(いや)(おう)にも自分の魔力が(たかぶ)るのを感じた。


 やがて、やや(かす)れていたが(まぎ)れもなくシャンティの声が小部屋に流れ出た。


「おはよ。シンクレールくん」


「……よく眠れたかい?」


「どうかな。よく分かんない。記憶がはっきりしなくって。でも、嫌な夢を見たよ」


「そうか。どんな夢だった?」


「昔の夢」


 リクが目を見開くのが視界に入ったが、シンクレールは頓着(とんちゃく)せずに言葉を返す。「悪夢のほうがまだマシかもしれないな。現実よりも」


 シャンティは左手で自分の腹部を押さえ、ほんのりと顔をしかめた。シフォンとの戦闘で()った傷が痛んだのだろう。


「だいたい」絞り出すような声で彼女は言った。「今の状況は分かるよ。あの小娘にやられた私を、シンクレールくんが助けたんでしょ? 檻のなかに閉じ込めるっていう条件でリクを説得した。そうでしょ?」


「正確には違うけど、だいたいのところは合ってる。細かい話はあとでリクに聞くといい。ともかく、君は今捕虜(ほりょ)の立場だ。君が納得するかどうかは関係なしにね」


 包帯の内側で、手のひらが湿り気を()びはじめていることに気付いていた。彼女の瞳から発散される不穏な気配に、身体が無意識に反応してしまう。


「捕虜になるって合意したのはリクだけでしょ? 私は初耳。だから、シンクレールくんはあらためてお願いすべきじゃないの? 捕虜になってください、って。ふふ……。そんなお願いされても聞いてあげないけどね」


 彼女は明らかに軽視と余裕を見せつけていた。決闘の最中と同じように。


 ただ――。


「君はシフォンとの戦闘で負傷した。もう戦える状態じゃない。どれだけ(おど)したって、僕は君を解放するつもりはないよ」


 シャンティは身体に複数のスライムを仕込み、それらを操作することによって自由自在な攻撃を可能としている。シフォンとの戦闘でどれだけの数のスライムを失ったのか分からないが、派手に戦えるほどのリソースは残っていないだろうとシンクレールは推測した。リクとの決闘でも、彼女は何体かのスライムを喪失しているのだから、万全とは言い(がた)いだろう。


「解放? しなくていいよ、別に。自力でなんとかするから。……あのさ、私がどれだけの数のスライムちゃんを(まと)ってるか知らないでしょ? ほとんどあの小娘に散らされたけどさ、まだあるんだよね。それも、とびきり危険なやつが」


 シャンティは依然(いぜん)として腹部を押さえたままクスクスと笑ってみせた。


「ハッタリだ」


「なら、試してみよっか。アシッド・スライムって聞いたことある? 普段はただの液体なんだけど、衝撃を加えるとあたり一面に飛び散るの。飛び散った体液は岩も鉄も一瞬で溶かすんだよ。……この狭い空間で飛び散らせたら、誰も逃げられないね。もちろん私は飛沫(しぶき)をコントロール出来るから無傷だけど」


 彼女の表情も声も、なんら破綻(はたん)はなかった。シンクレールの知る通り、余裕と高慢さに満ちている。そしてその態度が彼女の実力によって完璧に裏打ちされていることも確かだった。


 そしてこれは、交渉ではない。シンクレールは生唾(なまつば)を呑み、いつでも魔術を展開出来るよう、意識を()ぎ澄ました。


 スライムの使役(しえき)と液体操作はシャンティの絶対的な秘密である。それを知った者は死あるのみ――現にシンクレールはあと一歩で殺されるところだったのだ。シャンティが今、あえてスライムのことに言及(げんきゅう)したのも、シンクレールを経由して秘密のすべてが漏れていると判断したからだろう。隠す必要はない。皆殺しにすればいいだけなのだから。そんな思考が透けてみえた。


 しかし、シャンティの攻撃はなかなか訪れなかった。


 彼女は相変わらず高慢な表情でシンクレールを見上げ、手のひらを向けたままでいる。


 なにを待っているのだろう。シンクレールが(いぶか)しく思った矢先、シャンティがせせら笑った。


「どうしても死にたくないなら、こうしよっか? 立場を逆転させる。つまり、君たち全員私の捕虜になること。私は君たちを引き連れてみんなのところに戻るよ。なに、心配しなくても大丈夫。ちゃんとごはんは食べさせてあげるからさ」


 おかしい。そう思って即座に言葉を返そうとしたが、シンクレールはなんとか思いとどまった。そして、逡巡(しゅんじゅん)と呼ぶに充分な()を置いて口を開く。


「どういう風の吹き回しだ? お前は僕を殺したがってたじゃないか。大切な秘密を握られたんだから」


「ああ、そのことね」彼女は小さく鼻で笑い、()いているほうの手をひらひらと振った。「よく考えれば、別に知られてることくらい大した問題じゃないし。もちろん、みんなに言い触らすような真似をしたら殺しちゃうけど、君たちだってそれは嫌でしょ? 私としても、殺したらなにも得られない。だから、お互い損しない決断をしようね。まあ、どっちでもかまわないんだけど」


 シンクレールの脳裏に、箱型に圧縮された血族たちの姿が浮かぶ。地獄のようなその光景をもたらしたのは、ほかならぬシャンティだ。秘密を知った側近たちに、苦痛に満ちた緩慢な死を与えたのである。


 そんな彼女の行為を知っているからこそ、今しも提示された比較的穏当(おんとう)な提案は、シンクレールにとってまったくの虚構としか映らなかった。そんな交渉をしなければならない事情が彼女にある。そうに違いない。


「お前は――」


 シンクレールの言葉は、リクに(さえぎ)られた。


「シャンティ様。聞いてください。我々は負けたのです。部隊のうち、生き残ったのはおれとシャンティ様だけなんです。人間もまた、ほぼ殲滅(せんめつ)されました。あの小娘――シフォンによって、ここは地獄に変わったのです。仮にこの地を逃れても、ご承知の通り、我々がほかの貴族と合流出来る可能性は極めて低いものと存じます。なにしろ、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われておりますから。付け加えて申し上げますと、シフォンはいまだにこの地に(とど)まっております。この洞窟は隠されているため安全ですが、外に出れば奴の餌食になることは間違いありません」


 一気に()くし立てるリクを、シャンティは一度も遮らなかった。視線を少しの間、彼へと流し、再びシンクレールへと戻す。


 刹那(せつな)、彼女の手のひらから黄色く濁った液体が(にじ)み、球体となってシンクレールへと放たれた。


凍花(グラス・フルール)!」


 液体は格子(こうし)に触れる直前で凍り付き、そのまま空中で静止した。


 霜が結晶となって液体を中心に広がっていく。


 それもじき収まり、凍り付いた液体――スライムは床に落ちて砕け散った。液体は飛び散ることなく、通常の魔物の消滅時と同様に、薄靄となって霧散した。


 やっぱり、とシンクレールは内心で呟いた。アシッド・スライムが実在するかはさておき、彼女はそれをストックしていなかった。だからこそ、なんとかこの場を切り抜けるために口先を使ったのだろう。もしかすると、今放ったのが最後のスライムなのかもしれない。しかし、だとしたら貴重なリソースをこんなタイミングで消費する意味は――。


 シャンティの右手がだらりと床に垂れたのを契機(けいき)に、シンクレールの意識に彼女の顔がはっきりと映った。


 高慢な笑みはいつの()にか無表情に変わっていて、そして今、崩れようとしている。口元がわなわなと震え、しかし頬はホッとするように(ゆる)んで――。


「よかったぁ……やっと、やっとバチが当たったんだ」


 彼女は確かにそう言った。左目からひと(すじ)、涙を流して。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果としての行動。可哀想な人の味方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』


・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『スライム』→無害な魔物。詳しくは『10.「使命と責任 ~スライムゼリーを添えて~」』にて


・『凍花(グラス・フルール)』→冷気を花開くように拡散させる氷の魔術。シンクレールが使用。詳しくは『530.「ひとり五十発」』にて

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