Side Sinclair.「騒乱の再会劇」
※シンクレール視点の三人称です。
シフォンが血族を裏切った理由。にもかかわらず前線基地の人間を殲滅した理由。そのどちらもシンクレールの想像の及ぶものではなかった。推測しようと懸命に頭を働かせても、血まみれの無表情が脳裏にちらつき、冷静な思考を奪っていく。
ただ、すべきことは明確だった。
生き残っている人間を探すこと。しかしながらクラナッハによると生存者は目にしていないという。あくまでも生存者がいる前提だが、前線基地内のどこか安全な場所に潜伏しているのではないか。……というのが、シンクレールがリリーを駆って地中を進んだ根拠である。安全地帯がいくつも用意されているのなら話は別だが、前線基地において血族や魔物の脅威から逃れられるようなエリアはひとつだけ。
かくしてシンクレールは前線基地内の隠し部屋へとたどり着き、そこにいた面々と再会したのである。
「シンクレールさん!? ななな、なんで血族と一緒に!?」
「獣人と血族……。総隊長殿は、もしや秘密裏に我々を裏切っていたのか?」
姿を見せたシンクレールに対し、エイミーとカリオンはほとんど同時に驚嘆と非難の声を上げた。無理もない。獣人が戦争に加担していると知っているのは一部の人間のみである。ましてやリリーは血族で、それゆえ敵と認識するのが自然だ。
「裏切ってなんかいないさ、カリオン。二人は敵じゃない。というよりも味方だよ。女の子のほうはリリー、獣人のほうはクラナッハっていうんだ。僕を助けるために遥々旅してきてくれたのさ」
シンクレールの背に隠れていた二人が、おずおずと彼に並び立つ。檻の向こうでは、カリオンもエイミーも怪訝な顔をしていた。
そう簡単に信じてもらえるはずがないことは、シンクレールもよく分かっている。だから、カリオンたちの警戒心に満ちた反応は納得出来た。ただ、リリーとクラナッハが味方であることを客観的に証明する方法が乏しいのも事実である。経緯を話して、それでなんとか多少なりとも理解を得るほかない。
だが、それ以前にシンクレールにも疑問に思っている点がある。
「どうしてリクが、カリオンたちと一緒に――」
リクへと視線を落としてから、シンクレールは言葉を失った。彼の後ろに、もうひとり血族が倒れている。しかも、見知った顔だった。
シンクレールの袖がぎゅっと掴まれ、直後、リリーが甲高く叫んだ。
「どどどどどうして簒奪卿がここにいるの!? あ、やば、やだ、早く逃げなきゃ! 早く!」
「落ち着いて、リリー」と、地面になかば潜りかけているリリーを引っ張り上げながら、シンクレールは静かに言った。「大丈夫だ。たぶん。……なにかあっても僕が守る」
「オイラのことも守ってくれるよな?」
「もちろん。クラナッハにも指一本触れさせないつもりだ」
リリーもクラナッハも涙目になって、シンクレールを盾にしていた。臆病な態度だが、しかし彼は余計二人に感謝を覚えてならなかった。そんなにも怖ろしい存在を相手に、二人は救出作戦を実行してくれたのである。恐怖の度合いが大きければ大きいほど、それを打ち破った勇気の強さを示している。
「安心しろ」とリクが呟いた。清々しいほど、さっぱりした響きが小部屋に広がる。「おれもシャンティ様も捕虜の身だ。エイミーとカリオンは、おれたちを助けてくれた恩人でもある。下手な真似はしない。……たとえシャンティ様からシンクレールを奪った賊であろうとだ」
壁に背を預けて座り込んだリクを見下ろし、どうしてこんなにも晴れやかな顔をしているのか不思議に思った。
「とりあえず」とリクは続ける。「シャンティ様が怖いのなら、檻の外へ出るといい。シンクレールはもちろん、リリーなる少女もクラナッハなる獣人も捕虜ではないんだろう?」
「ああ。捕虜じゃなくて仲間だ」
「そうか。……カリオン。錠を解放してやってくれ」
リクがそう促すと、カリオンは一同を睥睨したのち、重々しく口を開いた。
「……総隊長殿には悪いが、血族と獣人を自由にするわけにはいかん。人間でない以上、どんな方法を使って我々に危害を加えるか分からんからだ。一時は大人しくなっていても、本質は獰猛な獣……野放しにするわけにはいくまい。たとえ総隊長殿が仲間だと言い張ろうとも、リク同様に捕虜として――」
鈍く歪んだ金属音が鳴り響いた。リリーが触れた瞬間、檻の一部が左右にひしゃげ、ひとりぶんが優に通過出来る隙間が生まれたのである。
檻の外へと出たリリーが、優雅に金髪を靡かせた。
「ワタクシをこんな粗末な檻に閉じ込めようだなんて、浅はかにもほどがあってよ? ワタクシのことをご存知ない筋肉ダルマと薄幸オバサンに説明してあげるわ。感謝してお聞きなさい。ワタクシは高貴なる姫君、リリーよ。何人たりともワタクシを『ほりょ?』にするなんて出来なくってよ! オ~ホッホッホ!! ひれ伏しなさい!」
腰に手を当て、一見堂々たる様子だが、よく見れば腰が引けているし、声にもどことなく震えが混じっているようだった。眠っているとはいえ、この場にシャンティがいるからなんだろうな、とシンクレールはぼんやりと推測する。
カリオンとエイミーは今しも行われた謎の説明に呆れているようにも、檻を捻じ曲げた異能に面食らっているようにも見える。
シンクレールは気を取り直し、リリーと同じく一歩檻の外に出た。
「今見てもらった通り、誰も彼女を拘束したり出来ないんだ。だから申し訳ないけど、檻に閉じ込めたり、捕虜にしたりは諦めてくれ」
「ふん」と鼻息を鳴らし、カリオンが腕組みをした。「ならば、やむをえん。ただし、その者らの行動の全責任は総隊長殿に負ってもらうぞ」
「もちろん。それでいいよ」
「檻が役に立たなくなった以上、すでに拘束している二人の敵についても責任を負ってもらう。異論は――」
クラナッハが檻を出たところを見計らって、リリーが片手を鉄格子にかざした。すると瞬時に檻は元の通り、直線的な格子へと戻っていた。
「檻は直したわ。これで簒奪卿の責任なんて取らなくても大丈夫。それでよくって?」
いかにも得意気に笑うリリーに、カリオンは小さな舌打ちをひとつして、なんとも曖昧な頷きをひとつ返した。そうした彼の態度も、シンクレールはさして気にならないどころか、むしろカリオンらしいとさえ感じていた。こんな状況にあっても血族への敵対意識を持ち続けるこの男は、やはり優秀な兵士に違いない、と。ただ、腑に落ちない点もある。そんな性格の男が、どうしてリクとシャンティを捕虜として捕らえたのか。首を獲ることを最優先にするのが自然なのではないだろうか。
カリオンの選択には、然るべき経緯があるはずだ。
一場の騒乱が鎮まった今、切り出すにはちょうどよかった。
「カリオン隊長。貴方の知る限りの情報を教えてください。特に、リクとシャンティを捕虜にした理由――そうせざるを得なかった理由を」
シンクレールがそう問うと、カリオンは憮然と返した。「こいつらは前線基地を襲った血族どもの大将と、その側近だ。捕らえておけばこの先の戦争において人間側が有利に立ち回れると判断したまでのこと」
なるほど、筋は通っている。ただ、シャンティとの決闘後に現れたカリオンの様子――怒髪天を突く怒りと勇ましさの化身たる姿からは、導くのが困難な結論に思えた。
釈然としない思いを抱えながら黙っていると、檻の内部で声がした。
「なにがあったか、おれから説明しよう。おそらく、おれが一番状況を見てきたからな……。カリオン。訂正したいところがあれば遠慮なく口を挟んでくれ」
かくして檻のなかの伯爵は、淡々と語りはじめた。
――前線基地になにが起こったのか。
――どうして彼らが隠し部屋にいるのか。
――なぜシャンティが倒れているのか。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果としての行動。可哀想な人の味方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて