Side Riku.「殺戮と沈黙と轟音と」
※リク視点の三人称です。
「目覚めたか」
カリオンの声がして、リクは目を開けた。鉄格子の先で、厳めしい大男が胡坐をかいている。心地良い目覚めの光景とは言い難かった。
どうして自分がこんな殺風景な空間にいるのか分からずに一瞬だけ混乱したが、すぐに思い出した。戦争のこと。シフォンの裏切りのこと。そして、シャンティのことを。
「シャンティ様……!」
首を捻った瞬間に右肩と左腕に違和感があったが、さして気にならなかった。彼女の状態のほうがよほど気がかりで、だからこそ、依然として目をつむり横たわったシャンティを見るや、安堵とも落胆ともつかない吐息が口から漏れた。
「エイミーと交代で様子を見ていたが、一度も目を覚まさなかった」
檻の向こうで厳粛な声が響く。そこに嘲笑は含まれていなかった。
断片化した記憶を手繰り、リクはカリオンの態度に違和感を覚えた。
自分とシャンティは捕虜となった。この地の動乱が収まった暁には、グレキランスへと運ばれることになっている。そこでカリオンは、戦果として二人の血族――グレキランスにとってどれほど価値があるのかは定かではないが、爵位持ちの血族を捧げるのだ。人間たちの言う『前線基地』の崩壊と引き換えになるかも微妙なところだが、なにもないよりはマシだろう。しかし、それもこれも無事連れ帰ることが出来た上での話である。カリオンから見れば、リクは大人しく従うだろうが、シャンティは未知数だろう。否、捕虜であることを良しとするなどとは思えないのが自然なはず。なにせ彼女は、自分の能力を目にした味方をことごとく殺害するような悪党なのだから、穏当にはいくまい。となると、カリオンとしてはシャンティが昏睡状態であってくれたほうが都合がいいはずだった。少なくともグレキランスの牢屋なり、然るべき場所に閉じ込めるまでは。したがって彼女が目覚めないことに安堵か喜びはあってもよさそうだったが、カリオンは渋い顔で、渋い声を出したのみである。この状況を不服に感じてでもいるように。
「目覚めてほしくないんじゃないのか、お前としては」
挑むようにたずねる。するとカリオンは、不満げに鼻を鳴らした。
「当初はそうだった。が、どうにも……」
「どうにも?」
「どうにも、芳しくない」
なにがどう芳しくないのか追求しようとした矢先、カリオンの背後で影が揺らめいた。目を真っ赤に充血させたエイミーが、毛布にくるまったままゆらゆらと檻に近付く。
「やっと起きたんですね。良かったです……もう二度と目を覚まさないんじゃないかと思って」
「貴女の治療のおかげだ。礼を言う」
頭を下げ、リクは自分の左腕を一瞥した。真っ白な包帯が巻かれている。顔を上げて右肩を見ると、そこの包帯もまっさらな色をしていた。思わず手足を検分すると、全身についていた無数の切り傷の多くが消えるか、痕になるかしている。古傷とそう見分けがつかない。
「治りが早いですね、血族は」と、エイミーが悪意のない口調で言った。
人間と比較して自分たち血族が壮健であることは、リクも知識として知っている。だが、ひと晩の眠り程度で傷がすっかり治ってしまうなんてありえない。
短くなった左腕と、包帯に覆われた右肩を動かしてみたが、痛みと言えなくもない違和感が残っているだけで、恢復と言って差し支えないように感じた。
「おれは、どれだけの時間眠っていたんだ?」
エイミーはきょとんとした顔で、「二日と少しです」と答えた。
二日以上。それだけの時間を敵地で眠りこけていた事実に戦慄した。いくら疲労していたとはいえ、ひどすぎる。衝動的に立ち上がった。
「……外の状況は?」
エイミーはサッと顔を伏せ、カリオンは短く舌打ちした。
シフォンの裏切りからほんの数時間で、シャンティの部隊の半数が死滅した。業を煮やしたシャンティがシフォンとぶつかり、敗北したのち、リクとシフォンが一騎打ちを演じて決着がつくまでの時間を合算しても半日に満たない。二日であの少女がどれほど活動したのか、想像するのも恐ろしかった。
リクはそっと腰の刀に触れる。手のひらを通じ、脳裏にイメージが展開した。意識を奪った者は、リクの想像の上では漆黒の夜空に浮かぶ星となる。覚醒すれば、輝くひと粒はただちに消え去るのだ。シフォンとの戦闘の直後、彼の夜空では満天の星がまたたいていた。が、今はひとつも光を見出せない。
いつの時点かは不明だが、やはりシフォンは覚醒している。意識を取り戻してからすぐに、彼女にとって必要な仕事へと戻ったことだろう。それがシャンティの捜索なのか、血族の殲滅なのかは定かではないが、まだ発見されていない以上、後者である可能性が高い。
人間の部隊もまた、大きな変化が生じているはずである。谷の入り口にあたる箇所から、血族の隊列へと次々兵士が雪崩れ込んだことまではリクも把握しているが、その後の戦況はまるっきり分からない。普通に考えれば血族たちが返り討ちにしただろうが、シフォンの撒いた混乱のせいで、そう上手くは運ばなかっただろう。それに、昼夜問わず随伴するはずの魔物も、『常夜時計』の破壊によって霧散していた。五分五分とまではいかないが、人間にとって悪くない状況だったのは確かである。
「エイミー殿は」カリオンがいかにも重々しく口を開いた。「この地に生存している者を、魔力で感じ取れる」
そう言って、彼はエイミーを顎で促した。喋れ、ということだろう。
エイミーは目を潤ませながら、ひどく沈んだ声で言う。
「感知出来るといっても、完璧ではないです。たくさんの人や血族がいるか、あまりいないか、それくらいの精度しかありません」
「謙遜はいい。リクに状況を教えてやれ」
「……はい。リクさんが眠りに落ちてからしばらくして、この地にあったたくさんの魔力が一気に減りはじめました。遠く離れたわけではありません。離れて消える魔力と、そうではない場合の消失は、その、感じ方が違いますから。ひとりひとり、その……殺されていったんです、きっと。一日以上、それが続きました。あとは、ぱったりと止んでいて……」
魔力を察知する能力それ自体の存在は、リクも知っている。世のなかには、生物の身体に流れる微細な魔力さえ感知する者がいる。訓練の賜物ではあろうが、多くの場合、持って生まれた素質とされていた。
だからこそ、エイミーの言葉は事実としての重みを備えている。
「およそ何人、残っているんだ……? この地に」
エイミーは顔を覆い、首を横に振った。そしてぽつりと、聞き取れるギリギリの声量で「ほとんど、死にました」と呟いた。
頭の奥に、痺れに似た感覚が広がる。
ほとんど死んだ。
それはきっと、血族と人間を区別した言葉ではない。生ける者の多くが、わずか一日のうちに骸となったのだ。
「エイミー殿が言うには」カリオンが腕組みをする。「ほぼ一日続いた魔力消失ののちは、ほとんど範囲内の魔力量に変化がないそうだ。つまり、それ以降は誰も死なず、この地を離れていない。ただ、生きている者はごく一部だろうな。俺とエイミーとお前たち二人、あとは――」
シフォン。
カリオンの口にした最後の名前が持つ意味は、この場合、途方もなく重い。リクが眠っていたのは二日間のうち、一日で殺戮劇が演じられた。残り一日、シフォンはシャンティとリクの捜索をしていたと考えるのが妥当である。あるいは、外に姿を現すのをじっと待っているのかだ。
「そこで、だ」カリオンの視線がシャンティへと落ちた。「俺たちにはいくつかの選択肢がある。そこの女を起こしてシフォンと戦ってもらうか。食料が尽きるまでここで待機するか。それとも、イチかバチか逃げ出すか」
カリオンが内心でどの道を選び取っているか、リクには考えずとも分かった。
「駄目だ。シャンティ様は戦える状態にない。仮に今すぐ起きたとしてもだ」
シャンティのほうを見やると、その腹部の包帯はいまだに膿んでいる様子だった。彼女はまだ完治しているとは言えない。
「なら、餓死するまで賭けを続けるしかないな。食料の心配はしなくていい。もともと一部隊が一週間は潜伏出来る程度は用意してある。だが、この我慢比べに負けたときはどうなるか分かっているな? 俺は躊躇いなくお前らを食う。エイミー殿がなんと言おうとも、食料がなくなった段階でお前たち二人のうちどちらかを殺して食う」
「ふざけたことを! おれはどうなってもいいが、シャンティ様に手出ししたら許さんぞ!」
思わず檻を掴むと、カリオンが一瞬だけ身を震わせ、目を丸くした。どんな状況であろうとも、この大男は臆病さを常に所有しているらしい。
「リクさん、落ち着いてください。そのときはそのとき考えましょう。ね?」
エイミーがそう言った矢先、カリオンが性懲りもなく続けた。
「貴様らは捕虜だ。その命をどう使おうと俺の自由だろう」
「カリオンさん! やめてください!」
「エイミー殿、よく考えたほうがいい。シフォンは化物だ。この先一ヶ月でも二ヶ月でも、俺たちが姿を見せるまで待ち続けるだろうよ。それ以前に、見つかる可能性だってある。巧妙に隠してあると言っても、前線基地のあらゆる場所を綿密に調べられたら、さすがに見つかるだろう。そうなったら俺たちは殺される。ならば、血族の女を差し出すべきだ。シフォンはあれに執心しているからな。その隙に逃げるべきだろう」
リクは身の内に猛烈な熱を感じた。制御出来そうにないほどの熱量の怒りが、腹の底から湧き上がってくる。恩人であることと、その怒りとは直接関連しない。恩人ならば喜んで命を捧げよ、などという思考に彼は正義を感じなかった。
あと数秒もすればリクは腰の刀を抜き去って、鉄格子の隙間からカリオンを突いていたことだろう。命こそ奪えないが、それで何時間か彼を黙らすことは出来る。
――が、結果的にはそうならなかった。
不意の地鳴りが、リクの背後の岩を通じて轟いたのである。振り返ると、轟音とともに岩が変形していくのが見えた。やがてそれは一本の通路となり、闇の先から三つの影が躍り出た。
血族の少女。
オオカミに似た獣人。
そして、人間。
リクが知っているのは、そのうち一人だけだった。
「シンクレール……?」
呆然と呟いたリクに対し、その青年は苦笑した。
「やあ。生きてたんだね、お互い」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて