119.「タソガレ盗賊団の悲劇」
アーヴィンにまつわる話のせいか、どうも張り詰めた雰囲気が広間に充満していた。
夜を徹して困難な道を歩んだにもかかわらず、盗賊たちは誰ひとりとして眠たげな表情を浮べてはいない。ハルキゲニアの悲劇は彼らとも決して無関係ではないのだ。女王の作り出した騎士たちが盗賊団を襲った事実は、ドレンテの敗北まで遡ることが出来る。
息苦しい空気に耐えかねて、わたしは疑問を口にした。
「ひとつ知りたいことがあるんですけど、いいでしょうか?」
「どうぞ」とレオネルは促す。
「どうして女王は自分で魔道具を使わなかったんでしょう? 等質転送器で支配魔術を広めたらやりたい放題出来るのでは……」
それが可能ならアーヴィンを動員するまでもない。そもそも選挙をする必要もなくなるだろう。支配魔術の影響下においては自由意思を操作してしまえるとの話だ。完璧な統治だって造作ない。
「そう考えるのが自然でしょうな。儂にも彼女がそれをしなかった理由が正確に掴めているわけではありません。ただ、事実として女王は支配魔術を使わなかった。絶好の道具があるにもかかわらず、です。それはつまり……」
レオネルの眼光が鋭くなる。「出来なかった、と同義です。支配魔術が等質転送器で拡散出来ない類の魔術だったのか、特別な使用制限があるのか。あるいは、支配魔術の成立過程において等質転送器を通せない理由があるのか。……可能性の話ならいくらでも出来ますが、実のある内容ではないでしょう。重要なのは、支配魔術は等質転送器を通して使用することは出来ない、という一点のみです」
「確かに、筋が通ってますね。それが出来たらとっくにやっているはずですもの」
「いかにも」
対象を意のままに操れてしまうような強力な魔術。それがハルキゲニア全体に広がっていたなら、都市は女王の箱庭だ。
おそらく支配魔術は、ひとりに対してかけるだけでも膨大な魔力を消費する。だからこそ、二度や三度、それを使用することが出来ないといったところが真相なのだろう。
不意にぱちん、と音がした。またもレオネルが手を叩いたのである。
「さて、今は先のことについて話をするべきでしょうな」
「そうです。今後は動き方次第で随分状況が変わってきますから」とドレンテが引き取った。
彼はテーブルの端を指でこつこつと叩きながら続けた。「現在、我々は動きを封じられているも同然です。盗賊の皆さんやクロエさんは勿論、この機に乗じて疑わしい者は捕らえられてしまいます。市民街区にも我々の同志がおりますが、このタイミングで動かすのは危険でしょう……。ただでさえ騎士たちが警戒していますからね。あとはヨハン次第ですが、まだ意識がはっきりしていない以上、彼の恢復を待つほかありません。それまでは申し訳ないが、クロエさんもこちらに潜伏していてください」
万が一発見されてしまったら、盗賊たちも貧民街区に潜んでいる疑いがぐっと高くなる。そうなれば、貧民街区に警備を集中させて身じろぎさえ出来ないようにするだろう。
王都行きがどんどん遅れていく。刻一刻とニコルは準備を進めているに違いない。王都を、ひいてはグレキランス全域を掌握し、その上で『最果て』やほかの地方を落とすために。
レジスタンスには悪いが、女王など比ではない脅威をわたしは知っている。
とはいえ、ヨハンが肩入れしている組織を困難な状況に追いやったのはわたしのせいでもある。責任まで問われたら困ってしまうが、彼らにとって更なる不利益をもたらしてしまうわけにはいかない。
ドレンテはじっとこちらを見つめている。その目には別段脅すような色はなかった。慈愛に満ちた眼差しではなかったが、少なくとも配慮は見て取れる。
「分かりました。暫くはここにいます」
そう答えると、ドレンテは儚げに微笑んだ。「ありがとうございます」
「さて、皆様」とレオネルは立ち上がって言う。「夜更かしは終わりです」
思わず「え」と声が漏れた。今は昼前の時刻だったが、ドレンテやレオネルまで夜を徹しているとは欠片も思わなかった。
レオネルはくたびれた笑いを零し「やんちゃなお嬢さんが兎退治に漕ぎ出したのに、儂らがぬくぬく眠れるはずがないでしょう」と残して広間を去って行った。
「クロエさん」とドレンテは呼びかけた。「状況は好ましくないが、貴女の勇気と行動に感謝します。なにより、盗賊たちと手を結ぶことが出来たのは幸甚です」
彼は弱々しく立ち上がり、杖を支えに辞去した。去り際に、先日使用した部屋を引き続き使うよう残して。
レオネルはわたしが『白兎』と戦闘したことを知った瞬間から、今後の動き方について夜通し、レジスタンス内でやり取りをしていたのだろう。それとともに、わたしが『魔の径』を通って戻ることも予期して待っていたに違いない。
ありがたくはあったが、自分の身体を大事にしてほしいものだ。
わたしも部屋に戻ってひと眠りしよう、と立ち上がった。
すると「姉さん」と盗賊のひとりが呼ぶ。
盗賊たちを見回すと、彼ら全員がこちらを向いていた。
「……無謀な真似して悪かった。俺たちのせいで姉さんに余計な面倒をかけちまった……」
「いいのよ。タソガレ盗賊団にはちょっと思い入れがあるから」
盗賊たちは顔を見合わせて首を傾げている。その中でひとりだけ息を呑み、わたしの顔を指さした。それはハルキゲニア正門襲撃の直前で逃げた小男だった。
「あ! あぁあ! 俺、思い出したよぉ! 姉さんアレだろ、ほら、あの、でっかい化け物を倒した……」
「あの伝説の女戦士か! 姉さん本当かよ!?」
頷くと、彼らは感嘆の声をあげた。
「もっと、こう、筋肉質な大女だと思ってた」「化けてるのかもしれねえ」「すげえな、ウォルターたちの話とは全然違う」
一体ウォルターはどんな説明をしたのだ、全く。語るのは構わないが、もっと、こう、素敵に乙女チックな話に仕立ててくれないものだろうか。
そういえば、彼らに聞きたいことがあったのだ。
「ねえ、みんな。マルメロが襲われたって言ってたけど詳しく教えてくれないかしら?」
「あ、あぁ」
急に憂鬱な調子になった盗賊たちは、口々にマルメロの惨状を聞かせてくれた。
彼ら自身はハルキゲニア寄りの地域で活動していたので直接見たわけではないらしいが、身振り手振りを加えて話した。
マルメロにハルキゲニアの騎士を名乗る集団が訪れ、新たなボスの就任を祝いたいと申し出たらしい。そして、有益な関係を結びたい、とも。
ウォルターは騎士代表のひとりが交渉の席に来ることを条件にこれを承知。盗賊たちで代表ひとりを囲んで交渉を進めていたという。騎士は『ユートピア号』を魔物警護の対象にするよう要求し、ウォルターは――値切らせる前提か、交渉をあえて決裂させるためか――とんでもなく高い金銭を見返りとして求めた。意外なことに騎士は承知し、書類にサインをしたらしい。
その晩、ウォルターの私室で保管することになった調停の書類が爆発し、様子を見に来た盗賊団員の前に騎士たちが現れたのだという。
彼らは次々と盗賊たちを殺した。ウォルターが生きているのか死んでいるのかは分からず、ただ、爆発で無残に崩れた建物からウォルターの死体は見つからなかったという。
この事件はまたたく間にタソガレ盗賊団に広がり、そして今回の独断に満ちた襲撃に至ったとのことである。
「それにしても無謀よ。悔しい気持ちは分かるけど、勝算がなければ命を散らすだけになるわ」
「そりゃあ、分かってるさ……」
「それに、ウォルターの死体もなかったんでしょ? きっと生きてるわ。たかだか爆発で死ぬような男じゃない」
したたかで肝が据わっており、そして根底には情熱が燃えている。そんな男だ、ウォルターは。
「俺たちもそう思ってるよ……。けど、許せねえんだ、騎士の奴らを。特に代表の男は書類に魔術をかけやがったに決まってる! それでウォルターを殺そうとしやがったんだ」
書類が爆発したというのなら、それは魔術に違いない。それが本当に爆発の魔術なら並大抵の努力で習得出来る術ではないはずだ。都市を守れるくらい熟達した魔術師なら、あるいは有り得るかもしれない。
女王の軍門に下った魔術師グレイベル。その男を想像した。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダー。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『マルメロ』→商業の盛んな街。タソガレ盗賊団のアジトから近い。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて
・『タソガレ盗賊団』→マルメロを中心に活動する盗賊団。詳しくは『第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて
・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照。
・『でっかい化け物』→ここでは、クロエが討伐したキュクロプスを指す。詳しくは『51.「災厄の巨人」』にて
・『ユートピア号』→子供を乗せてハルキゲニアへ向かう馬車。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて




