Side Riku.「歩く死神」
※リク視点の三人称です。
兵士たちを次々と斬り伏せながらも、リクはシフォンから目を離すことが出来なかった。
一定の歩調で急坂を降りる少女は、あまりに華奢である。身長はせいぜい百四十センチ強といったところ。手足は枝のように細い。
だから異常なのだ、とリクは歯噛みした。彼女の肌や鎧に付着した夥しい血液と、完璧なまでの無表情が、一見ひ弱な少女の印象を著しく歪めている。
むろん、リクはグレキランス地方への道中でもシフォンの様子は目にしていたし、彼女が大型魔物を易々と討ち取る場面も観察していた。ただならぬ実力者であるのは知っていたし、極端に感情表現の少ない彼女を幾分か薄気味悪く感じてもいた。しかしながら、血族のなかに混じって人間を――すなわち同族を殺戮しようとするような存在なのだから、凡庸な人格ではあるまいとして思考停止していたきらいがある。理解の出来ない存在に対して有効な、そしてもっとも安易な解決策は、意識の外に置いてしまうことだ。無視してしまえば思い煩うこともない。安逸な気持ちで食卓に向かっているそのときに、床下に蠢く無数の細かな生き物のことを思い浮かべる必要などないのだ。ただし、それらが目前に迫れば、これまで目を向けてこなかった時間分のツケを払わされることにもなる。
もっと仔細に観察していれば、シフォンの裏切りを見抜けたろうか。
そんな自問に対して、リクは瞬時に否定した。見抜けるわけがない、と。血まみれのシフォンが浮かべる無表情には、感情や思考への推測をすべて拒絶する堅固さがあった。
血族たちが彼女に殺害される様子を、リクは目にしていない。裏切りの報せを耳にしただけである。仲間たちがどのようにして死んでいったのか、具体的なところはなにひとつ分からない。ただ、彼女の纏った血液には疑いようのない『結果』が表れていた。同胞の多くをこの少女が殺したのだという結果が。
その上で、彼女は無表情なのである。裏切りの以前と以後で、その顔にはなんら変化がない。血族を憎く思っていたのなら、ほんのわずかでも達成感を示す表情があっていいはずだった。あるいは、命を奪ったという興奮や戦慄があるはずなのだ。
顔面に広がった異様な静けさを視認し、シフォンが理解を超えた存在であることは疑いのない事実となってしまった。そんな者の心情など、どうして推し量れるというのか。
しかも、異常はそればかりではなかったのである。
シフォンが姿を見せてから、急坂を越える兵士はひとりもいなかった。先ほどまで絶えず雪崩れ込んできていた人間たちが、彼女を最後にぴたりと止んでいる。
人間たちの隊列は、彼女が最後尾だったのだろうか?
否。
「――!」
言葉未満の叫びが谷にこだました。
シフォンの目の前にいた兵士が、二つになったのである。ちょうど臍のあたりから真横に、上半身と下半身が離れ離れになって、そのコンマ数秒後に上半身が悲鳴を上げたのだ。
注視していなければなにが起こったか決して分からなかっただろう。ただ、彼女に視線を固定していても、そのすべてを目で捉えていたなどという自信はリクにはない。
シフォンの華奢な腕が持ち上がり、背負った剣の柄に触れ、それからは一瞬だった。抜刀、横薙ぎ、納刀。すべてが瞬く間に行われた。その間、彼女は歩みを止めることなく、身体の芯をわずかに傾けることさえなかった。右腕が別の生き物のように、単独で兵士を瞬殺しおおせたのである。
新たに三人の兵士の意識を奪いながら、リクはシフォンのこれまでの歩みをはっきりと想像してしまった。
シャンティを吹き飛ばしたのち、シフォンは標的の息の根を止めるべく前線基地を進行した。その過程で現れる障害物の一切を薙ぎ払いながら。やがて彼女は、血族たちの群れる東側とは反対の方角へ向かう人々を発見する。彼女の足は隊列のしんがりに追いつき、そこから順々に人間たちを殺していく。隊列に合流する人間も、すべて切断する。その行進において、彼女は常に最後方であろう。生きている者のなかでは。
シフォンがこうも素早くシャンティの落下地点を突き止めることは、リクも予想していなかった。しかし、今にして考えてみればなんと容易い道のりだろう。彼女はただ、後ろから歩いて来ればよかったのだ。血族の匂いを認識した狂犬の列を、まっすぐ辿るだけでゴールに到着出来るのだから。
「シフォン!!」
リクは思わず、彼女の名を叫んでいた。怒りよりも、当惑の声色で。
彼女とリクとの間には、まだ数十の兵士が生存している。彼らはシフォンには目もくれなかった。誰もがリクへと突進し、意識を奪われて地に伏していく。
兵士たちが無力化される速度は、最前よりもさらに加速していた。なぜなら彼らの後方には、無感情な死神がいるのだから。リクに意識を奪われるか、シフォンに両断されるか。ふたつにひとつの結末が兵士を待っている。
シフォンの返事はなくとも、リクは思いのままに言葉を投げた。
「なぜ人間を殺すのだ! お前は我々を裏切ったんだろう!? ならば、人間どもはお前の味方ではないか!!」
血族を裏切った以上、シフォンは人間の側にいるはずである。裏切りの動機や目的は分からずとも、当たり前に考えれば彼女が同胞の命を奪うのはナンセンスだった。
坂を下り終えたシフォンの姿が、兵士たちの陰に遮られて見えなくなる。が、彼女の位置は明白だった。悲鳴と血しぶきが、兵士たちの後方から一定の速度で進行していたから。
答えなど返ってくるはずがないことは、リクも承知していた。こんな狂った行動に論理的な解があろうはずはない。しかも相手は、顔色ひとつ変えずにいくつもの命を奪うことが出来る狂人なのだ。
それゆえ、悲鳴の合間に届いた返事に、リクは率直に驚いてしまった。
「あなたたちの質問には答えなくていいって、ニコルが言った。だから、答えない」
答えないという応え。普段のリクならば、その調子外れに苦笑のひとつでも見せただろうが、鮮血迸る悪夢の戦場においては、気が緩むはずもない。むしろおぞましさを感じた。
「お前が裏切ったのも、人間を殺しているのも、ニコルの命令なのか?」
「あなたたちの質問には答えなくていいってニコルが言ったから、答えない」
鮮血が接近する。悲鳴が折り重なる。
「……ニコルの――あの男の目的は、なんなんだ」
リクの刃が兵士の意識を奪う。崩れ落ちるはずのその肉体は、上半身と下半身が別離することとなった。
シフォンの姿が、男の背後にあった。もう一体も兵士は立っていない。
リクは咄嗟に、腹部を守るように刀を構える――その直後、刃越しに強烈な衝撃が襲い、彼は数メートル後方の地面に転がった。
「あなたたちの質問には答えなくていいってニコルが言ったから、答えない」
シフォンの返事が、自身の心音に混じって聴こえた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




