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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Riku.「妄信者回想録㉛ ~死を撒く者~」

※リク視点の三人称です。

 マシモフなる小男の説明するルールを、リクはほとんど聞き流していた。案山子(かかし)側と攻撃側に分かれ、前者は十分間身動きひとつ出来ず、後者は攻撃し放題。勝敗は意識の喪失あるいは死によって決する。なにがあろうと中断はなし。勝った者は(しか)るべき報酬――相手の所有する一切を手にする。すでにシャンティとの間で合意の取れた内容だ。あえてマシモフが繰り返す意味を、リクはさして重視していなかった。


 勝敗の行方(ゆくえ)はどうだっていい。もう決着はついたようなものだったから。


 それでも、開始の合図とともに四肢(しし)が奇妙に固定されたのには、多少の驚きがあった。両足の(かかと)はぴったりとくっつき、両腕は水平にピンと伸びている。身体に力が入らないというわけではなく、まるで目に見えない拘束具によって(はりつけ)にされているようだった。


『あんたは』


 シャンティは悠然(ゆうぜん)とした足取りでリクの周囲をめぐる。


『私に支配されたがってたんだよね。大昔(・・)から』


 彼女の()す『大昔』が、お互いの十代を意味していることは考えずとも分かった。


 あまりに清浄で、純粋だった頃のシャンティ。


 なにひとつ(けが)れを知らず、一挙手一投足が不思議なほどの敬虔(けいけん)さに満ちていた彼女。


 ダヌが存命だった時代。


 確かに、あの頃のシャンティへの憧れは否定出来なかった。リクは彼女だけを見つめていたのだ。彼女とともに過ごすことが出来たならどんなに素晴らしいだろうと、そう思っていた。ただし、彼女を正しく認識出来ていたとは言えない。願望を押し付けていただけだ。自分の置かれた状況に不満ばかり感じていて、(つか)()であれそこから逃れるすべを求めていたのだろう。彼女に甘い幻想を背負わせていただけであり、つまるところ、自分ひとりで現状を打破する勇気のなさが恋慕(れんぼ)らしき形状で彼の心をくるんでいたに過ぎない。


『そうかもしれないな。おれはあの頃、どうしようもなく我儘(わがまま)だったから』


 かつての自分なら、なにがあっても認めなかった汚点だった。胸を圧迫する痛みの原因が貧弱な我欲だなんて、口が裂けても言わなかったはずだ。


『今も我儘でしょ。ブロン全部を差し出しても私の玩具(おもちゃ)になりたいんだから。ねぇ、みんな』


 シャンティの呼びかけに誘われて、玉座のあちこちで嘲笑(ちょうしょう)が鳴った。


 こんなふうに誰かを笑い者にするだなんて、かつての彼女からは考えられないことだった。しかし、それすらアンフェアな評価だということはリクも重々承知している。かつての自分が見ていたのは彼女の一側面でしかない。単なる表層で、それ以上のものではないのだ。もともとシャンティに、弱者をいたぶる嗜好(しこう)がなかったとは言えない。清浄さという外皮の奥で、悪辣(あくらつ)な願望が(うず)を巻いていたとしても、どうしてリクにそれが分かるだろう。自分しか見えていなかった少年に、彼女の本心など見抜けるはずがない。


 今だってそうだ。


 彼女の表情や仕草(しぐさ)声色(こわいろ)にはなんの違和感もない。見事に発露(はつろ)した(あざけ)りの態度と見える。にもかかわらず、シャンティの本心は欠片(かけら)も見えてこなかった。


 本心から(たの)しんでいるのだろうか。


 そうあって欲しいものだと、リクは思った。そうでなければ本物の悪ではなく、したがって彼女に本物の幸福があるとも言い(がた)いから。


 とはいえ、彼女の悪に少々の動揺を与えねばならない。それは、リクが磔になっている理由の大部分だった。


『そうだな。おれはブロンを私物化してる。負けたらブロンのみんなも君のものになってしまうだなんて……顔向けが出来ない』


随分(ずいぶん)さっぱりした言い方だね。まるでなんとも思ってないみたい。……ブロンのことは今でも大嫌いだから全然欲しくないんだけど、でもまあ、私の持ち物になるんなら、少しくらい可哀想な目に()わせてあげようかな。あんたの目の前で何人か拷問してみようか』


『……そうなるくらいなら、おれが息の根を止めるさ。痛みも苦しみもなく、一瞬で』


 もう三分ほど経過したろうか。しかし、シャンティが攻撃を仕掛ける素振(そぶ)りはなかった。無抵抗の相手など一分あれば充分と考えているのかもしれない。どちらにせよ、大したことではなかった。彼女がすぐに攻撃してくるのなら喜んで受け入れるし、会話を続けるのなら、それはそれで心が(はず)む。ブロンの窮状(きゅうじょう)はもちろん頭の中心にあったし、シャンティとは決して昔のような交流は不可能だろうと思ってもいたが、それでも、かつて心の支えにしていた(りん)とした音色(ねいろ)は耳を(うるお)してやまない。


『あんたが殺すって? そんな自由、許すわけないじゃん。あんたは、あんたのせいで苦しむ人を眺めてればいいよ。無力さに震えながら』


『別に、おれが手を下さないでもいいんだ。なんなら別の町の奴にでも頼むさ。ブロンの人々を殺してくれ、って。……そうだ、こうしよう。おれが君に負けたら、すぐに別の貴族に依頼しようか。ブロンを滅ぼしてくれってね』


 そうすれば、君が得るのはおれだけだ。


 リクは我ながら不思議なほど(なめ)らかに笑顔を浮かべた。とても自然で、諦念(ていねん)に満ちた笑み。


 シャンティの手が、リクの首にかかった。呼吸が出来ないほどではないが、多少の圧迫がある。


『誰にも手出しさせやしない。あんたの敗北でブロンは私のものになるんだから。ブロンの土地にも、そこで暮らすお馬鹿さんたちも、みぃんな私のもの。だから、手を出した奴には容赦(ようしゃ)しない。後悔してもしきれないほど苦しませてやる……。どう? これでもほかの間抜けな貴族に呼びかけたい? それとも、こう言ったほうが分かりやすいかな――あんたの愚行(ぐこう)で、よその奴にまで死を振り撒きたいの? 昔みたいに(・・・・・)


 ぐ、っと首に圧力がかかった。頸動脈(けいどうみゃく)が皮膚の内側で押し潰され、脳の奥に甘い痺れが広がる。


 死を振り撒く。言い得て妙だ。確かにかつてのリクは、ブロンとマナスルの重要人物を結果的に死に追いやっている。シャンティから見れば、まるで疫病神だったろう。


 そして今も、リクは疫病神だった。極めて確信犯的な。


『それは……』(のど)(しぼ)って声を出すと、首の圧迫が消えた。『残念だ』


『残念って? あんたのせいで死ぬ奴はみんな運が悪いって言いたいの?』


 シャンティの声には()てつく響きがあった。目も口も笑っていない。


 嗚呼(ああ)


 やっぱりシャンティは、怒っているんだ。


 おれに。


 おれのしたことに。


『申し訳ない』


 謝罪の通用する物事ではない。一切は過ぎ去ってしまったし、どれほど()いて見せたところでシャンティが溜飲を下げることもないだろう。むしろ不快感しかないはずだ。


 だからこの謝罪は、意味が違う。過去に対してではなく、未来に対してのものだ。


『この決闘に勝っても負けても、シャンティ、君には負担をかけてしまう』


『……どういうこと?』


『ブロンは今、轟魔卿(ごうまきょう)の部隊に占拠されている。いずれ君の土地になるはずのもの、君が従えることになる人々、君が手にする品々……その全部が、蹂躙(じゅうりん)されつつあるんだ』


 玉座はその瞬間、時間が停止したかのように静まり返った。誰も声を漏らさず、身じろぎひとつしない。シャンティもまた、じっとリクに視線を固定して(たたず)んでいた。その瞳にはなんの感情も見出(みいだ)せない。呆れも、驚きも、怒りも、(よろこ)びも、そしてもちろん悲しみも――なかった。


『決闘は中止しましょう!』


 室内で誰かの叫び声がした。彼に追従し、『その通りです! そもそも報酬に瑕疵(かし)がある!』だとか『卑怯者め!』といった声が反響する。


 しかし、彼らの主張は(むな)しかった。この場を取り仕切るマシモフは(うつむ)き、『決闘に中止はありません。決着をつけねばなりません……』と噛み殺すような声を発したのである。


 それからきっかり二分ほど、沈黙が続いた。


 張り詰めた緊張――それが破れたのは、シャンティの微笑によってだった。


『いいよ。それでいい。リク、あんたは最初からそのために来たんだね』


 シャンティの顔が接近する。潤った唇が、ゆるく亀裂する。


 唇が接触し、舌が交合(こうごう)し――ひと(かたまり)の液体がリクの喉を通過していった。そして、急激に息苦しくなる。


『望み通り、私が死神になってあげる』


 遠のく意識のなかで、リクは確かに彼女がそう言うのを聞いた。

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