118.「恋は盲目」
支配魔術にかけられるというのはどんなものだろう。見る限り彼は支配魔術を認識してもいればレジスタンスの一員ともなっている。
「彼にかけられた支配魔術は、一体どのような性質なんですか?」
わたしの問いに、レオネルは慎重に答えた。「明示出来るものはありません。現時点で把握出来ているのは、女王の目の前ではドレンテが彼女の言うがままになってしまう、ということだけです。……つまり、女王から離れてさえいれば支配魔術は及びません」
それならどうしてドレンテを放置しているのだろう。躍起になってでも自分の傍に置いておきたいと考えるのが普通ではないだろうか。
「だったら女王はドレンテさんを手放さないでしょう?」
レオネルは何度か頷き、ドレンテを一瞥した。彼らは一瞬だけ目を合わせて、それからドレンテは俯き、レオネルはこちらを凛と見据えて返した。「彼女がドレンテを手放した理由があります。……そして、今も手出しをしない理由が」
重い口調だった。
「それを話すためには、ある男について語らねばなりません。元議会議員であり、ハルキゲニアを去ったアーヴィンという男について……」
テーブルの中央で燭台の火が揺れた。
アーヴィンは議員の中でもドレンテに近い存在だった。ドレンテの意見には賛同し、彼が是とする政策には必ず賛意を示すような人間である。ゆえに、ドレンテが女王の傀儡になっていた時期は彼女にひたすら同調していた。
ドレンテとレオネルが議会の場で反旗を翻した際に、アーヴィンも二人に賛同した。しかし結果は惨敗。ドレンテは初め、引き続き女王の下で暮らすよう彼女自身から言われ、支配魔術により同意したのだが、その晩アーヴィンがドレンテを連れ出したのだそうだ。そして翌日、アーヴィンは女王に食ってかかったのである。今後一切ドレンテに干渉せぬように、と。
女王は合意し、ドレンテには貧民街区の廃墟を邸宅として与え、代わりにアーヴィンが彼女によって監禁されることになった。それを助け出したのがレオネルである。
「レオネルさんは女王の城に忍び込んだんですか?」
レオネルはかぶりを振って否定した。「女王がアーヴィンを監禁したのは地下深くです。儂がハルキゲニアを追放されてから地下に住んでおったのはご承知でしょうな?」
手記が見つかったということは、そういうことなのだろう。頷くと、彼は微笑を浮べた。
「結構。ハルキゲニアの地下は元々蟻の巣のように地下空間が広がっておったのですが、儂は地下を彷徨い歩くうちに監禁されておったアーヴィンを偶然見つけたのです。そして彼を脱出させました」
「それで、アーヴィンとレジスタンスを立ち上げたんですか?」
老魔術師の目が暗く沈む。燭台の灯りがその瞳の中で揺れていた。
「彼はハルキゲニアに関する一切から逃げたのです」
「けど、ドレンテさんに心酔していたんでしょう?」
「それが、違うのです」と、レオネルは大きなため息をついた。「……アーヴィンはドレンテの先妻が産んだひとり娘に惚れておっただけなのです。彼女は女王のやり方には不満を持っておった……。選挙の前日、彼女はハルキゲニアから逃げ出しました。たっぷりの荷物と、おまけに女王の私物まで盗んで。……手助けしたのはアーヴィンです。ドレンテの娘に選挙の影響を受けさせないために」
思わず首を傾げた。確かに父の敗北は並々ならぬショックだろうが、わざわざ都市から逃がすほどのことだとは思えない。そもそも、逃がすこと自体が選挙結果を予測していたことにならないだろうか。
「すると、アーヴィンはドレンテさんが選挙に負けることを予期していたんですか?」
「いかにも。……アーヴィンはドレンテが敗北するように仕組んだのです。ドレンテのひとり娘の命を助けるために」
レオネルは沈痛な表情を浮かべた。「アーヴィンは惚れた相手のこととなると躍起になるようで、女王にありきたりな脅しでもされたのでしょう。それを真に受け、ハルキゲニアを危機に追いやった」
恨めしい口調だった。
なるほど。ドレンテやレオネル、ひいてはレジスタンスのメンバーにとって彼は憎しみの対象であるのだ。
「しかし、どうやってアーヴィンは負かしたんですか? 洗脳魔術でも使ったとでも?」
レオネルは満足気に頷いた。「慧眼ですな……その通りです。アーヴィンは儂ら魔術師のなかで最も早く命を散らせた男の息子です。基礎的な魔術の訓練は勿論、変則的な魔術もひととおり仕込まれておりました」
都市を守る四人の中で最初に亡くなった魔術師。確か手記では防御壁の案を女王が提出する少し前、魔物に殺されたと記されていた。魔術師の子が全て秀でているわけではないが、一般人よりは力を持っていることが殆どだ。死霊術を維持し続けるほどの力を持つ、ネロのような例もある。
しかし、話が些か強引に思えた。「洗脳魔術にも限界はあるはずです。同時にかけられる人数は術者の力に依存しますし、人数を増やすごとに精度も落ちるかと。どの種の洗脳魔術であってもこの原則は変わりません」
ぱちん、と音がした。レオネルが柏手をひとつ打ったのだ。彼は感心するように柔らかく何度か頷いて見せる。
「良くご存知ですな。相当勉強したのでしょうね」
思わず頬が緩み「えへへ」と声が漏れてしまった。
「仰る通り、アーヴィンの魔術だけでは住民全員を洗脳することは不可能です。そこで、道具を使ったのです」
道具?
「それは、魔道具のことですか?」
「いかにも」
魔術師は基本的に魔具の使用は出来ない。魔具の出力と術者の魔力及び魔術が干渉し合って悪影響を及ぼすからだ。魔具自体が、魔術を使用するに至らない程度の魔力を有する者を対象として作られている。
一方で魔道具は術者の魔力に干渉しない。その代わりごく単純な機構のものが殆どである。永久魔力灯や、ハルキゲニアの噴水を彩る光の帯がその筆頭である。
「お嬢さん、時計塔は目にしましたかね?」
「え、ええ」
シンボリックに屹立する豪奢な塔を思い出す。青空を突くごとく聳えていた。
「あの場所から選挙の告示が行われました……アーヴィンの声によって。儂らと女王はあくまで対立した者同士ですから、時計塔には一切入れませんでした。……アーヴィンは塔の最上階に設置されていた拡声器を使ったと後に語ったのです。真相を知ったときには儂もアーヴィンも地下の闇におりました。……その拡声器が魔道具であること、そしてアーヴィンが魔術を使用したことは儂にも見抜けませんでした」
距離的な問題だろうか。時計塔の最上階と地上とは随分距離がある。魔力を感知するのは困難だろう。それとも、レオネルほど勘の良い魔術師を欺けるほど卓越した隠蔽技術をもっていたのだろうか、アーヴィンは。
「その拡声器がどういう魔道具かも、アーヴィンは地下で語ってくれたんですか?」
「ええ。……それは拡声器というより、声を等しく届けるだけの魔道具という話でした。等質転送器と名付けられているそうです。洗脳魔術を撒くのにうってつけの道具でしょうな。なにせ等しく届かせるのは魔道具の側ですから、人数や精度といった制限は取り払われる……。アーヴィンはどういう結果が待っているのか半ば知りながら、それを実行しました。……地下で彼の口から聞いた事実です」
悔恨と衝動。倫理と感情の問題。どこかアーヴィンに親近感を覚えてしまう。それを口に出したら顰蹙を買うのは間違いないが。
「けれど、アーヴィンはドレンテさんを連れ出したんでしょう? 助けているようにも見えるけれど、罪滅ぼしでしょうか? それとも……」
レオネルはため息混じりに返した。「ドレンテの娘から頼まれただけですよ。父を助けてあげて、と。それを忠実に実行しただけです。……これも彼自身が白状した内容です」
どこまで惚れていたらそうなるのだろう。都市を破壊し、右に左に大立ち回り。理解が出来ない。
「翌日女王に食ってかかったのも、ドレンテさんを助けるためということですね」
「いかにも。アーヴィンは洗脳魔術の前提条件を女王に明かしました。『ドレンテが生きていること』と『自分が生きていること』です。これでドレンテとアーヴィン二人分の保険が出来たことになります。その上で、彼は女王に告げました。自分が生きていることは女王にとっても利益になる、と。……時計塔の魔道具には彼の魔術の残滓が強く残っており、そこから声を届ける者が誰であれアーヴィンより多少薄まった程度の洗脳をかけることが出来る、と。……無論、魔術の残滓なんて長くはもたないものです。どれだけ強力な魔術でも、せいぜいひと月くらいのものでしょうな。その事実を伏せて交渉したのです。そして残滓は、アーヴィン自身が死を迎えることで急速に霧散が始まるという見え透いた嘘までついて……。加えて彼はこう宣言したらしいです。ドレンテに干渉したなら自分は舌を噛み切って死ぬ、と」
常軌を逸している。狂気の恋心。しかし、それによってドレンテが生かされているのだ。
「女王は魔力を読む力がありません。力の殆どを支配魔術に注いだせいでしょうな。だから、今でも等質転送器の力を信じてドレンテを襲えないわけです」
住民を洗脳しておく必要がなくなるまで、女王はドレンテに干渉出来ない。つまり彼の身と、邸宅であるアジトは安全というわけだ。
「……けれど、なぜドレンテさんとレオネルさんをはじめとするレジスタンスたちは洗脳にかからなかったんですか? 等しく届かせる魔道具なら洗脳されるのが自然ではないでしょうか?」
レオネルは指を一本立てて見せた。
「それがアーヴィンの語らなかった部分です。どうして影響を受けない者や、影響の薄い者が出たのか。アーヴィンは自分が使用した魔術を特定されぬよう、伏せたのでしょう。彼は儂にも警戒していましたから」
影響の差異に、アーヴィンの使用した洗脳魔術特定の糸口があるのではなかろうか。
「ひとつ、興味深い事実があります。……面白いことに、この貧民街区は丸ごとなんの影響も受けなかったのです。アーヴィンの魔術が等しく届いたとなると、影響がないということはありえない。となると、かなり細かい範囲まで魔道具の側で決められるということでしょう。範囲の指定に関しては事前に女王の耳打ちがあったと考えるのが自然です」
「なぜ貧民街区の住民は洗脳しなかったのでしょうか?」
「ヒエラルキーの問題でしょうな。貧民街区の住民に選挙権はありません。……そして、たとえ彼らが蜂起しても、叩き潰して見せしめにするための良い口実になるわけです」
ぐっ、と拳を握った。なんて卑劣な考えだろう。
「アーヴィンのことに話を戻しましょう。……彼を地下の監禁場から解き放ったあと、儂は彼の意志を確認したのです。選挙の件を悔いているのなら、儂と共にレジスタンスとして活動してくれ、と。もし助力が得られるなら、儂はこの身が果てるまで彼をかばい続けようと覚悟して言ったのです。……しかし、奴は逃げた。協力する、と口にした翌日の晩にこっそりと逃げ出すその姿を見ていました。彼も、儂に見られていることに気がついていました。なにしろ、敏感な男ですからね。……それでもアーヴィンは足を止めなかった」
それきりレオネルは口を閉ざした。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダー。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『手記』→ここではレオネルの書き記した紙片を指す。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて。
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照。




