Side Riku.「妄信者回想録㉖ ~大変じゃのう~」
※リク視点の三人称です。
マナスルとの交流断絶から五十年が経過したある日のことである。街に数名の武装した一団がやってきた。豪壮な馬車で訪れた彼らは、遥か南方の火山地帯を領地とする侯爵――轟魔卿の使者を名乗った。
彼らはマナスルの領地奪還を目論んでおり、ブロンを駐屯地として使用することと、物資の提供を要求した。使者の代表は轟魔卿の参謀を自称するカーライルという名の男であり、慇懃な態度ではあったが、切れ長の目の奥に、どこか気を許せない妖しげな光を宿しているようにリクには見えた。
『リク伯爵。これはお互いのために必要な負担なのですよ』
議会での発言を許されたカーライルは開口一番、そう口走った。壇上で手を後ろに組み、口元を柔和に崩したまま、背筋をピンと伸ばして議場を睥睨する様子には余裕が表れていた。
『簒奪卿は今や誰にとっても敵であることは、皆様も重々承知のことと思います』
シャンティが簒奪卿なる悪名を得ていることは、周知の事実であった。彼女が侵略をおこない、度重なる報復をことごとく退けるなかで、自然とその名が定着していった。
『侵略行為は決して放置してはなりません。ひとつの例外が、我々ラガニア人全体の秩序を崩壊させることはお分かりでしょう。現に、各地で小規模な侵略騒ぎが起こっております。領民主導の侵略行為と言われていますが……実態は不明です。嘆かわしいことでありますが、裏で領主が糸を引いているのは見え透いているでしょう。そのうち、必ずや貴族主導の大規模な侵略がおこなわれるのは間違いありません』
カーライルの言う小規模な侵略が実際におこなわれているのかどうかは、リクはじめブロンの人々の知るところではなかった。が、実際にそのような秩序の乱れが生じていてもなんら不思議ではない。シャンティが貴族社会の禁忌を犯し、秩序崩壊の引き金を引いたのは明らかなのだから。
『簒奪卿討伐の意味をはっきり申し上げましょう。秩序の恢復です。罪には罰を、ですな。そもそも四十年以上も簒奪卿に罰を下せずにいた現状は憂うべきです。より厳しい見方をすれば、貴族社会全体の怠慢とも言えます。むろん、奪還作戦は幾度もおこなわれてきましたが……残念ながら非力を晒す結果となりました。そこで、我々は居ても立ってもいられなくなったのです。どうにかして窮状を打破せねばならない。これまでは移動距離がネックとなって二の足を踏んでいたのでありますが、ブロンの皆様にご協力いただければ、その問題はクリア出来ます』
カーライルは言葉を切ると、両手をゆったりと広げ、一場を見渡した。
『簒奪卿の粛清が成功したあかつきには、負担に対する然るべき補填を約束いたします。そも、社会全体の問題でありますので、本来は引き受けていただくべき痛みですが……皆様も利害を無視することは出来ないかと思いますので、そこは我々が埋め合わせます。そして肝心なのは、皆様は一滴の血も流さない点です。充分な食料と寝床の確保、その他サポートをおこなっていただくだけで良いのです。かつての隣人を直接手にかけるのは、皆様も心苦しいでしょうからね。物理的な痛みはすべて、我々が肩代わりいたします』
このときのリクは知らなかったが、簒奪卿の粛清には多大な報酬が用意されていた。
カーライルが言及した通り、シャンティの侵略行為は社会問題であり、早急に解決が必要な状況である。ラガニア人を束ねる機関は、形式的にはいまだに王城ではあったが――オブライエンによる一件以降、まったく機能していない。
かつてのラガニア王の血を直接継承している唯一の存在――現ラガニアの最高権力者にあたるはずのイブは、侵略騒ぎを報告した諸侯に対して、こう述べたらしい。
『大変じゃのう』
彼女に直接面会した貴族が、酒場で深酒した際に『イブ王女の中身は十歳そこそこの女児である』と漏らした噂は有名である。真偽のほどは確かではないが、大なり小なり彼女を知る者は、この噂を耳にするたび、一様に苦笑を堪える顔つきになるらしい。
イブの側仕えの者たちも彼女を甘やかすばかりで、政治的な役割を完全に放棄している――との共通見解が貴族の間には広がっており、そもそも王城に治世を期待するのが誤りであった。王の直系の子女が生きているというだけで、精神的な支えにはなるものである。それ以上のことを要求するのは、自ら徒労を買うことでしかない。
では、報酬を用意したのは誰か。
ヴラド公爵――通称、夜会卿である。
遠縁ではあるものの、イブ以外に王家の血を継承しているのは彼だけであり、貴族社会全体の問題ともなれば彼にお鉢が回ってくるのはごく自然な流れであった。侵略騒ぎはヴラドにとっては鬱陶しい小蝿程度のものでしかなかったろうが、秩序の乱れへと波及していくのは看過出来ない問題ではある。彼の土地を侵すような無謀な間抜けはいないにしても、彼が出資するオークションに影響が出ないとは限らない。かくして、ヴラドが懐を痛めてまで報酬を用意したのである。ただし、条件は厳密に定めてあった。
ひとつ、簒奪卿は生きて捕らえること。
ふたつ、簒奪卿の所有する土地はすべてヴラドの所有物となること。
みっつ、簒奪卿の所有するあらゆる物品は棄損なくヴラドに上納すること。
これでようやく、報酬と釣り合うだけの利益と見做すことが出来た。
報酬の件は全貴族に対して封書で送られたのだが、リクはそれを受け取っていない。おおかた、封書を受け取ってすぐにカーライルが動き出し、ブロンへと向かう配達人に小金でも握らせて情報を封殺したのだろう。
『さあ、決断の時です。リク伯爵。貴族としての責任を果たしていただけますね?』
この頃のリクは、街の住民の考えはおおむね把握していた。特に、必然的に多くの時間をともに過ごす議員たちの思考は手に取るように分かる。
皆の考えとリクの感情は、ほとんど一致していた。
リクは立ち上がり、壇上のカーライルを見据える。
『大変素晴らしい申し出です。果たすべき責任という点も、まったくその通りだと思います。ですが――』
いつかのシャンティの顔が、リクの脳裏に蘇った。沼のそばで微笑んでいる姿である。それが現実にあったことなのか、それとも空想のなかで作り上げた偽の思い出なのか、彼には判断がつかなかった。
『我々ブロンは、申し出をお受けすることは出来ません。粛清にも、賛同出来ません』
カーライルの笑みが凍り付いた。瞼の切れ目から鋭い瞳が覗いている。
『何故?』
『報復は、美ではないからです』
美しく在ること。
善く在ること。
それは幸福から遠ざかり、不幸を招く。
ブロンは――リクは――それを身を持って知ることになる。
事件が起こったのは、カーライル一行が無言のうちにブロンを去ってから二か月後のことだった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『イブ』→魔王の名。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より