Side Riku.「妄信者回想録㉕ ~悪徳が栄えるならば~」
※リク視点の三人称です。
丘の上の惨殺劇は、ブロンが経験してきた悲劇のなかでも特異な事件であった。被害という意味では、魔物の襲撃や不作による飢饉には到底及ばない。丘で流された血はたった二人分であり、それもブロンの住民のものではない。ただ、良好な関係を維持してきた隣人の急激な変転は、災害や魔物被害以上に人々の精神を揺さぶった。数十年もの時が流れても、マナスルの一語にどことなく呪わしい響きが漂ってしまう程度には尾を引いている。ただし、それ自体は傷跡がいつまでも膿んでいるだけであり、人々の生き方や精神性をがらりと変えてしまうものではなかった。住民は相変わらず、かつてマナスルがもたらしてくれた『魂の美』を信じていたし、死後の幸福を約束する『聖印紙』も大切に保管していた。
丘の事件によって極端に変わった人物はただひとり――リクだけだった。領主として献身的に行動し、夜を脅かす魔物どもを斬り伏せる。生活は質素で禁欲的。いつからかリクは『魂の美』の体現者として賞賛の眼差しを得るようになったが、彼自身は自分を敬虔だなどとは一度も思わなかったし、賛辞を受けるたびにやんわりと否定した。そんな態度も、人々の目には謙遜という美徳に映ったに違いない。
本当は真逆なのだ。
リクは美の価値を信じていない。信じていないがために、自らを無価値な存在に――美的な存在に変えようとしてきた。そのきっかけとなったのは、ほかならぬ丘の上の惨殺であり、シャンティの心変わりである。彼女はブロン全体を一緒くたに『善ではない』としたが、リクはその言葉を鵜呑みにはしていなかった。『善ではない』のは自分だけであり、彼女から見放されたのも自分だけ。マナスルとブロンが分断された原因も自分の軽率な行動の数々にある。それを直観したのが丘での出来事であり、その後何年もかけて、その直観に理由付けを行い、心に浸透させてきた。
自分が美的な存在になればシャンティももとに戻るのではないか、という考えは一度も持ったことがない。そもそも取り返しのつくことではないのだ。死者が生き返らないのと同様に。
実態がどうあれ、ダヌもハイデアも善人とされてきた。しかし、その死に様はどうだろうか。片や実の娘に殺され、片や自ら命を絶った。二人とも真に美しい存在であるならば、なぜ悲惨な最期を迎えねばならなかったのか。これが答えのない問いであることはリク自身重々承知していた。いかなる結論も真実ではなく、単なる願望でしかないことも知っている。それでも彼は、信仰めいた結論を導き出した。
美は当人の幸福を意味しない。死後の国などあるはずもなく、善人は常になんらかの重荷を背負って生き、そうして死んでいく。ただそれだけの話。
それとは逆に、美の対極にある者は私腹を肥やす。
これが世の真理とまでは断言出来ないものの、リクはその正しさを証明したかった。善人であることで幸福から遠ざかり続けるのならば、悪しき行いを重ねる者は幸福な生涯を送る。自分の不幸とシャンティの幸福は密に接続している。リクはただ、シャンティが自由に享楽を貪ることを望んでいた。一生かけてそれを証明出来るなら本望である。そのために、ダヌやハイデアと同じ末路を辿ろうともかまわなかった。むしろそれさえ、不幸のひとつとして喜んで引き受けるつもりもある。
善、あるいは美という名の苦行を続けるなかで、少しずつではあるがリクの内面も変化していった。母やハイデア、そしてダヌの心情に思いを馳せるようになったのである。これは、リクにとっては新鮮な精神的営みだった。かつての彼は、自分の視点からしか物事を捉えていなかったし、それを顧みることさえしなかったのである。肥大した自尊心が他者への軽視に繋がっていたことは、ハイデアやダヌに対する態度からも明らかだった。シャンティはじめ、一部の人々は尊重していたものの、結局のところそれすら近視眼的であることの証明といえる。自分にとって快い相手だけを過分に評価していたに過ぎないのだから。
冷静に他者の視点でものを考えることで、ハイデアやダヌに関しての憎悪は目減りしていき、一方で自尊心は必然的に低下していった。それによってリクの禁欲的生活がさらに盤石のものとなったのは確かである。
注意深く自制しつつの思考は、水が低きに流れるように、自然とシャンティのことにまで及んだ。
彼女はなぜ心変わりしたのか。そのきっかけがリク自身やダヌの死にあるとしても、彼女の心の動きはどうだったのか。
例の丘での事件から数十年が経過しても、依然としてマナスルの悪評はブロンに届き続けていた。彼女がほかの貴族の領地を侵したのは、丘での惨殺事件から数年後のことである。彼女が奪取したのは、周囲を川に囲まれた涼やかな土地だった。報復に訪れる貴族たちの部隊を退けながら、シャンティはその地に城をかまえたらしい。
領地の強奪は貴族にとって禁忌である。いかに狭い土地であろうとも正式な取り決めを結ぶことなく奪うなど、あってはならないことだった。貴族として守るべき紳士協定である。そんな行為がまかり通ってしまったら、あちこちで同様の事件が発生するだろう。各貴族が所有する土地はしばしば分散しており、私兵を持たない者もいる。一度でも侵略が正当化されてしまったら、どの貴族であろうとも領地警護に多大なるリソースを払わねばならないし、ほかの貴族の所有する自治体同士は睨みを利かすようになるだろう。交易は緊迫し、秩序の維持にも困難が生じるのは容易に想像出来る。ほぼすべての貴族にとってそれらは共通のリスクであり、だからこそ紳士協定があるのである。
とはいえ、これまでも侵略行為は何度かあった。が、すぐにほかの貴族によって奪還され、然るべき報いが与えられた。
シャンティの場合も、おおむね同じような道のりを踏んでいる。彼女の侵略に対し、領地所有者である貴族が奪還に打って出た。が、返り討ちに遭った。今度は別の貴族がそれなりの戦力を引き連れてやってきたが、これも半数ほど死者が出たところで撤退したらしい。特定の貴族による奪還作戦が三度ほど続き、それから貴族たちの連合部隊が彼女の侵略した土地を囲んだ。一週間ほど攻防が続いたが、これも先のケースと同様、逃げ帰ることとなった。この一連の奪還失敗の特徴としては、毎回膨大な死者と、少なくない数の離反者を生んだ点にある。彼女――つまりマナスル側はさして死者を出すことなく、寝返った者のほうがむしろ多いくらいで、人的リソースという意味では消耗するどころか利益を得ていた。戦場にこだまするシャンティの高笑いがどれほど悪魔的だったか、ブロンにもその噂は届いている。
数十年が経過しても、彼女は悪徳を良しとしているのだろう。
彼女もまた、自分と同じなのかもしれない。リクはときどきそう思うことがあった。
美や善の価値が無であると悟ったがために、彼女は真逆の存在として生きようとしたのではないか。幸福を得ようとしたのかどうかは分からないが、結果的に愉快な日々を送っているのなら、それでいいのかもしれない。リク自身は無価値を知り、無価値へと自身を埋没させていくだけだ。真逆であれど、両者ともに同じ土台の上に立ってはいる。真相がどうあれ、この類推はそれほど的外れではなかろうとリクは考えていた。
シャンティの予告通り、マナスルとブロンとは数十年間、没交渉にある。彼女が侵略を企てるまでの間は、それでもブロン側からの好意的な接触はあった。マナスルの土地のギリギリ外側の街道に作物を放置したのである。彼らの喫緊の問題は間違いなく飢えであり、それを見過ごすわけにはいかないという善意だった。もちろん、彼らの改心を促す意味も籠められている。しかしながら、この唯一にして最大の好意が受け入れられることはなかった。数週間後、様子を見に行った元交易担当者の報告によると、作物はすべて手つかずだったという。周囲に腐臭を放つそれらの品々を持ち帰って処分する様子は、街の人々も目にしていた。それでも、想いの通じない贈り物は数年に渡って断続的に行われたが、ついに受け取ってもらうことはなく、シャンティの侵略によって飢餓の問題は解消したのである。以来、ブロンからもマナスルへの接触を試みることはなくなった。両者はあらゆる意味で分断されたのである。
――ただ、永遠に無関係ではいられなかった。