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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Riku.「妄信者回想録㉑ ~拒絶に哄笑を~」

※リク視点の三人称です。

 感情が擦れ違い、遠ざかっていくのを、リクはそのとき強烈に意識した。


 深い霧に覆われた沼地の集落。ほかの家々よりは相対的に立派に見える村長の家も、ブロンのもっとも貧しい家と比較にすらならない(さび)れ具合。玄関の戸は(ゆが)んでいて、(ふち)が黒く変色している。木造二階建ての縦長な家屋(かおく)は、四六時中たちこめる霧に(むしば)まれ、表面がボロボロに朽ちていた。それでも倒壊しないのは芯の強い木材を使用しているからだと、以前シャンティから聞かされたのを覚えている。表面は(もろ)く、内は強いのだと。


 湿った空気に包まれて立つ二人を、そんな家屋が見下ろしていた。


 リクの顔には(まぎ)れもなく喜びの爆発があった。


 しかしシャンティには、深い悲しみが表れていた。


 互いの感情が深い(みぞ)沿()って擦れ違ったことを感じ取り、リクは笑みを凍らせる。自分が今、とんでもない失敗を仕出かしているという自覚がありながらも、彼には言葉の奔流(ほんりゅう)を止めることが出来なかった。


『ハイデアは自殺したんだ。おれが殺したようなものだよ。きっと。自業自得だとしても、あいつはおれがいたから死んだんだ。おれが真実を知ったから、それで殺意を向けたから、自分で自分を殺してみせたんだ』


 シャンティの瞳から共感の涙が(あふ)れる。彼女は同情のあまり、自分に泣きついてくる。そうして二人で抱き締め合う。蛇行(だこう)しながらも同じ方向へと進んでいた二人の道が、この瞬間からひとつに交わる。


 ――それらは夜を駆け抜けている最中、何度となく頭に浮かべたイメージだった。


 しかし今、現実の彼女の瞳はこれまで見たこともないくらいに乾いている。みるみる(うつ)ろになっていく。


『もし自殺してなきゃ、おれがこの手で殺したよ。本当だ。だって、そうすべきだろう? でなきゃ――』


 君と同じにはなれないじゃないか。過失であれ、君は君自身の力で(じつ)の父親を殺したんだから。


 リクはあと少しのところで、実際にそう口走ってしまうところだった。なんとか言葉に歯止めをかけることが出来たのは、ほんの偶然でしかない。


貴方(あなた)……今なんとおっしゃった?』


 背後からしわがれ声がして、リクはぎょっと振り返った。両目をあらん限りに見開いた老婆がそこにいた。最初にこの集落に訪れたとき、案内をしてくれた老婆である。ダヌが殺されたときにも、一番に駆けつけた人物。


『あ……え……』


 言葉が詰まる。


 リクにとって、老婆の出現は思いもよらないことだったのだ。もうこの先ずっと、自分の世界にはシャンティだけがいるのだとばかり思っていたのだから。これまでの不幸の埋め合わせには、どうしたってそれだけの贈り物が必要だと信じていた。


 だから老婆が現れたときリクは、間違っている、としか思えなかった。なにかがおかしい。なにかが狂っている。


『ハイデア伯爵が亡くなられたのですね。お()やみ申し上げます……と言っても、貴方様の耳に入れるべきではございませんでしょうが』


 突き放すような口調だった。


 軽蔑(けいべつ)


 老婆は少しもその感情を隠していない。


『すみませんが、二人にしてくれませんか?』


 リクは老婆へと一歩踏み出した。たじろいだのは(わず)かな時間だけで、もう自分を取り戻している。


 お前は邪魔なのだと、彼は内心で老婆に侮蔑(ぶべつ)を送った。


 今すぐに消えてくれなければ、なんだってするつもりだった。この老婆が二人にとって最後の障壁なのだと思い込んでいたから。


 現に、彼は両手を(にわ)かに持ち上げて――。


『リクさん』


 シャンティの声で動きを止める。老婆の首を絞める自分自身の姿を脳裏(のうり)にありありと描いていたが、それは現実のものとはならなかった。


『どうしたの?』


 シャンティへと向き直る。


 彼女は、先ほどよりもずっと感情的な顔をしていた。虚ろさは消えていて、その代わり――。


『リクさんは、悪い人ですね。私と同じくらい、どうしようもない悪党です』


 彼女の口は笑っていた。瞳は無関心に()れていた。眉には悲しみのカーブがあった。小鼻はしゅんとすぼまって、薄く開いた唇の奥で舌がのたうっている。身体の重心をやや右側に傾けており、どことなく気だるげでありながらも、肩を怒らせていた。


『そうさ。おれは悪人だ。でもそれは――』


『いいえ。周りがどうとかではなく、ただひたすらに貴方は(けが)れてる』


『ああ、そうさ。穢れてる。だから誰よりも幸福になれるんだ。そうでなくちゃいけない。君だって同じだよ。親殺し……おれたちは親殺しの罪で繋がってるんだ! おれはね、こう思うんだよ。もしこの世に罪というものがあるのなら、罪人を理解出来るのは同じ罪人でしかありえない。寄り添い合って生きられるのは、世界から見放された二人だけなんだ』


 リクの視界が(うる)んだ。景色が涙のレンズで歪む。


 このときの涙の理由は分からない。哀しくも、嬉しくもなかった。きっと恍惚(こうこつ)状態にあったのだろう。身の内の興奮が液状化し、涙腺を(おか)して体外へと排出(はいしゅつ)されたに違いない。


 不確かな視界の中心で、シャンティの姿だけは明瞭(めいりょう)に映っていた。


 彼女は声もなく、笑っていた。なんの音も出さずに、腹を抱え、身を(よじ)り、霧の夜空に哄笑(こうしょう)を浴びせていた。


 狂ったように笑う彼女は、果たしてリクの見た幻覚だったのだろうか。シャンティの口から流れた声は、決して笑ってなどいなかった。しかしながら、リクの目に映る彼女は、酩酊(めいてい)したようなステップを踏み、大笑いの姿を依然(いぜん)として見せていたのである。


『リク。今すぐ消えて。もう二度と私の前に顔を見せないで。親が死んで嬉しそうにするような奴は、地獄にすら行けないのよ』


 彼女の言葉ははっきりと覚えていたが、その後自分がどうしたのかは、ひどくおぼろげだった。()てつくような冷気を感じた記憶は残っている。地面が崩れ落ちるような、平衡感(へいこうかん)喪失(そうしつ)も感じたはずだ。ただ、断片的な記憶を繋ぎ合わせるに、当時の自分は老婆に監視されながら集落を真っ直ぐ出たように思う。


 紛れもなく、世界全部から見放されたような心境だったのだろう。でなければ、なにかしらの感慨(かんがい)は記憶に残っているはずである。それすらないということが、すなわち絶望感の証左(しょうさ)ではなかろうか。


 リクがブロンに帰り着いた(ころ)には、とうに朝陽が昇っていた。新しい一日のはじまりが大地に光を(そそ)いでいる。


『リク様……!』

『どうしたんですかその格好は!?』

『夜通し探したんですよ!』


 街の人々が次々に声をかけてくる。が、リクはそれらに一度も返事をしなかった。


 いつの間にかマルタがそばにいて、街の人々ともども、(やしき)へと彼を導いていた。彼女が言うには、夜明け前に様子を見に邸まで来たらリクの姿がなかったので、街中の人を起こして捜索へと()り出したらしい。彼女らしいそそっかしさだった。


『あんまり見つからないもんだから、坊ちゃんが後を追ったのかと思って……嗚呼(ああ)っ!』


 マルタのハンカチは、もはや涙を(ぬぐ)うだけの機能を持ち合わせていなかった。ずっとそうやって狼狽(うろた)えて、泣いていたのだろう。


『でも、良かったです。埋葬に間に合って』


 邸の前まで来ると、白木の棺が外へと運び出されるところだった。リクの帰還を知り、なるべく早く埋葬を済まそうという思いで街の男衆が動いたのである。なにしろ埋葬は夜明けと同時に行う段取りになっていたので、すでに何時間か過ぎてしまっている。些細(ささい)なことかもしれないが、棺からは若干の腐臭が漏れ出していた。虫が()かないよう処理はしているらしいが、肉の腐る(にお)いを完全に消し去る技術は持ち合わせていないのだ。


 マルタに支えられて葬列に加わっている最中、リクはずっと心ここにあらずといった調子だった。空の青も、木々の緑も、墓石の黒も、人々の紫の肌も、白い棺も、全部が単なる風景画であって、自分とは(はる)かに(へだ)たったものであるようにしか感じられなかった。


 やがて棺が墓穴の隣に降ろされた。埋葬前に最後の別れをするためである。


 棺の(ふた)が開かれる。リクはそのとき、はじめてハイデアの死に顔を見た。


『本当に……なんて安らかなんでしょう』


 マルタの感嘆(かんたん)は、事実その通りだった。


 狭苦しい棺のなかで、胸で両手を交差させたハイデアの顔は眠っているようだった。それを(なが)めているうちに、リクはふと、自分がハイデアという男の寝顔を見たことが一度もなかったことに、なぜだか思い(いた)った。

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