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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Riku.「妄信者回想録⑯ ~罪と悲劇と幻想と~」

※リク視点の三人称です。

 それからハイデアは、(じつ)に多くのことを語った。薄闇のなか、リクはかつて父親だった男の口から縷々(るる)流れる言葉の数々を黙殺した。


 リクが一週間近く眠り続けていたことや、昏睡(こんすい)の原因がハイデアの持つ貴品(ギフト)――意識のみを奪い去る刀によるものであることも明かされたが、まったく興味を持てなかった。もうなにもかもが終わったのだという無関心だけが、彼の心を包み込んでいたのである。


 もしあのときハイデアを殺せていたなら。そんな空想ばかりが浮かんでくる。


 父親を(かた)った男の血だまりに立つ自分。真っ赤な足跡は、確かに、罪と狂気を表明しているように見える。それは返り血よりも生々(なまなま)しいものだと、リクには思えた。血の足跡は一定の歩幅で進んでいく。廊下を突っ切り、階段を上る。それらは(つね)に、血だまりからの最初の一歩のようにべっとりと濡れていた。現実にはそのような事象は起こりえないのだが、リクの空想では、そうあらねばならなかった。


 やがて足跡は、シャンティの部屋へと続いていく。そこにいるのは彼女だけだ。ダヌの亡骸も、慌てる老婆の姿もない。長身の清らかな女性がひとり、床にへたりこんで泣いている。顔を(おお)って、とても静かに泣いている。


『母さんの話をしよう』


 ハイデアの声は、耳を通り抜ける自然音だった。空想の情景だけが、今リクの琴線(きんせん)を震わしている。


 リクさん、とシャンティは言う。顔を覆ったままだったが、その声に曇りはなかった。続けて彼女は、ぽつぽつと雨だれのように、実の父親を殺してしまったと告げる。あんなにも愛していたのに。あんなにも尊敬していたのに。


『母さんのことはマルタから聞いたそうだな。お前にとってはとても残酷な内容だったろう。俺を憎むのも無理はない。結局のところ、母さんが犠牲になることを受け入れてしまったんだから』


 同じだよ。


 泣き暮れるシャンティに、リクは言う。


 おれも同じだ。おれも、父親だった男を殺した。


 パッと顔を上げたシャンティと、視線が交差する。(うる)んだ瞳のなかには果てしない湖面が広がっていた。そこにリクの姿は反射していない。空想のなかでなら、ありえないこともこんなにも大らかに受け入れられる。


『マナスルの秘術を、俺は信じていなかった。その地の(おさ)と……(まじ)われば……子を宿(やど)す。そんな馬鹿げた話があってたまるかと、そう思ったし、母さんに対して直接そう言ったさ。迷信に(まど)わされるほどに母さんが消耗していたのは傍目(はため)からも分かったし、継承者を作れずにいたのは母さんだけの責任じゃない。俺にも同じだけの責任がある。……いや、違うな。取り(つくろ)うのはやめにしよう。俺は、自分のことばかり考えていた。母さんの苦しみなんて少しも分かってやれなかった』


 シャンティの右目から、すう、っとひと(すじ)の涙が流れた。あれほど泣いていたのに、それは感涙の最初の一滴のように、なんの(にご)りもない見事な雫だった。


 ダヌもハイデアも、悪党だったんだ。シャンティ。君の苦しみや愛や敬意は本物だけれど、それと同じくらい確かに、奴らは邪悪だった。(けが)れていた。だから、おれたちのやったことは全部正しい。悪党を討ったなら、それは正義なんだから。


 シャンティは(はかな)げに、視線を床に落とした。彼女がリクの言葉に抵抗を感じていることは、ほかならぬ彼自身よく承知している。受け入れがたいだろう。しかし事実なのだ。積極的に認められない物事であろうとも、なかったことには出来ないし、ときには直視して乗り越える必要もある。


 幸福とは、苦難の道に咲く一輪の花である。


 そんなフレーズを、なにかの本で読んだ記憶があった。実に的を射た言葉だと、リクは空想の情景のなかで(うなず)いた。


『秘術なんてのは口実で、別の男に()かれているのだと言っているように聞こえたんだ。子供が今後、永遠に産まれないとは言えない。お互いに寿命は長いのだから、根気よく、余裕を持って(いど)むべきだと考えていた俺は、母さんが奇怪な秘術を本気にしているだなんて(つゆ)とも思わなかった。だから、ただただ傷付いたんだよ。誰よりも憔悴(しょうすい)しているのは母さんのほうだったのに、俺は俺の哀しみばかりに取り合ってしまった』


 シャンティ。おれたちは同じだ。同じ境遇なんだ。お互い、ひどい男のせいで母親を亡くしている。どちらのほうが(つら)いとか、より哀しいとか、そういうことではないんだ。まったく同じなんだ。だから、お互いに協力して生きていこう。おれの苦しみを分かち合えるのは君だけだし、君の哀しみを一緒に背負えるのもおれだけなんだ。


 シャンティは(せき)を切ったように泣き出し、リクはそんな彼女をひしと抱き締めた。


 赤い足跡が、リクの背後にも、シャンティの背後にも続いている。それらは憎悪と穢れを断ち切ったことの証明なのだ。第三者からはいかに罪深く見えようとも、当人にとっては解放の証である。そして、二人を結ぶ紐帯(ちゅうたい)でもあった。


 罪と悲劇で繋がった者同士は決して幸福になれない。そんな道理はどこにもないはずだ。


『母さんは何度も俺をマナスルへと引っ張っていこうとした。秘術の話を聞きに行こうと。……愉快な気分にはなれなかったよ。ただただ憂鬱だった。そんな日々が続いていくうちに、母さんの目は曇っていって、どこを見ているのかも分からなくなった。始終夢を見ているような、そんな雰囲気だったよ。食卓に座ってもぼんやりしてるばかりで、食べようともしない。俺や家政婦が代わりに(さじ)を口に運んでやって、ようやく、自分が食事をしてると気付く始末だ。その気付きも、何秒も()たないうちに忘れてしまうようで、またぼんやりしてしまう。そのうち、母さんはベッドから起き上がらなくなってしまった。横になって、昼も夜も目を開けている。眠っていないようだった。いや、どうだろう。目を開けたまま、常に眠っていたのかもしれない。俺はどうすればいいのか分からなくなった。医者に見せても首を(ひね)るばかりで、一向に解決の糸口が見つからない。そんな時間が二年も三年も続いた』


 リクはいつしか、マナスルの長の家――事実上、シャンティの住まいに寝起きするようになった。折り畳んで収納する寝具を並べて、いつも同じタイミングで眠り、同じときに目覚めた。


 おはよう、シャンティ。


 おはようございます、リクさん。


 目覚めた彼女の瞳には、涙の名残(なごり)がある。夢を見たらしい。それが幸せな夢だったのか、それとも怖ろしい夢だったのか、覚めたときには忘れているのだと彼女は言う。だから、夢がもたらした涙の理由は、リクにとって永遠の謎だった。シャンティが苦しんでいるのならそれを取り除きたいと、常々思っている。しかしながら、当人さえ理由の分からない涙に対し、出来ることなどなにもなかった。


 だから笑うのだ。目覚めの笑顔を、彼女に贈るのだ。そうやって一日がはじまる。人生の続きがはじまる。苦しみと哀しみのあとの余生(よせい)が、続いていく。


『ある日、マナスルへの交易品の運び手が事故で足を折った。屋根仕事をしている最中に、眩暈(めまい)がして落ちたらしい。()の悪いことに、明日が交易品を届ける日取りになっていた。代わりの者を見繕(みつくろ)うことは簡単に出来たが、ふと、思ってしまったんだ。俺が直接出向こうと。母さんを連れて。……なに、ほんの気まぐれだ。もう随分(ずいぶん)長いこと、母さんはマナスルのことなんて口に出さなくなっていた。何年か前に母さんが()かれたように叫んでいた秘術のことが頭に浮かんだのさ。街から出れば空気が変わる。空気が変われば、体調だって良くなるかもしれない。そんな目論見(もくろみ)だった』


 清々しい空気だ。


 ええ、本当に。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『貴品(ギフト)』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて

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