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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Riku.「妄信者回想録⑮ ~夢と監禁~」

※リク視点の三人称です。

 長い夢を見ていた。ふたつの、長い夢。


 かつてそばにいてくれた夜の家政婦――母の幻。リクはシーツにくるまって、薄目を開けて彼女の横顔を見つめていた。長いことそうやって、限られた視界に、慈愛に満ちた柔らかな口元目元を焼きつけていた。これが最後になるのだと、どうしてか夢の中のリクは直観していて、だからとてつもない悲しみに胸を()き乱されてもいた。そうした動揺は表面化せず、ただ彼はシーツのなかの小さな子供であり続けたのである。入眠前のわずかな時間が永遠に続くように。そんな願いが繰り返し彼の内側に芽生(めば)えた。


 それが夢のひとつ。


 もうひとつの夢は、やけに生々しかった。


 リクは深い霧のなか、小舟を()いでいる。舟はひどく古い木製で、じっとり湿っていた。わずかでも余計に力を入れてしまったら、ぐしゃっと音を立てて折れてしまいそうなオールを操り、リクはどこかを目指している。髪も服もしっとり濡れているのは霧のせいだろう。岸辺は見えず、霧の先にぼんやりと見える樹木の影はいつまで経っても明瞭(めいりょう)にならず、一定の曖昧さで(たたず)んでいた。周囲全部がその調子で、すぐ先の水面と、小舟、オール、そして自分自身だけがはっきりと存在していた。


 心細くはなかった。むしろ落ち着いていたように思う。極端に寂しいその景色に、ささくれた心が癒やされていくようにさえ感じたものの、いったい自分がなにに苛立(いらだ)っていたのかは(よう)として知れない。


 やがて水面に、ひとりの女性の姿を見出(みいだ)した。リクは一心に、そちらへ向かってオールを漕ぐ。薄ぼやけた輪郭を目にした瞬間から、彼女が何者かは分かっていた。


『やあ、シャンティ』


『ごきげんよう、リクさん』


 シャンティは水面に爪先立ちになっていて、かなり危ういバランスにもかかわらず、少しもふらつかない。こちらに微笑を向けるときにも、熱湯におそるおそる足を()ける間際(まぎわ)のような姿勢は維持されていて、とても稀有(けう)な美しさの彫像を前をしているようだった。


『なにをしてるんだ? おれは少し、気分転換をしてたんだ』


 シャンティのことなら、なんでも知りたかった。自分の知っていることなら、なんでも教えたかった。


 そんなリクに、彼女は無言で手を差し伸べる。


 シャンティの口数は少ない。いつだってリクがより多く喋っていたような気がする。出会って時間が経つにつれ、余計にその傾向が強くなっていったことを、リクはようやく夢のなかで自覚するのだった。


『ごめん。おれはいつも喋りすぎだな。退屈してたか?』


 ふらつきながらも小舟の上で立ち上がり、彼女の手を取る。瞬間、ふわりとリクの身体は舟底を離れた。わずかな空中浮遊ののち、彼はシャンティと同じく水面に立っていた。足裏には(なめ)らかな感触がある。濡れているように思うのだが、同時に、乾いていることを知ってもいる。決してこちらを(おか)さない液体が、すぐ足元にあるのだ。


『不思議だ。水面に立ってる』


 彼女と手を繋いだまま、その場で二、三度足踏みをしてみる。沈んでいく気配は少しもない。地面よりも(はる)かに柔軟なものの上で、確かに立っている。


『夜は好きですか?』


 唐突(とうとつ)な問いだったが、リクは(こころよ)く感じた。『好きなもんか。魔物がいるじゃないか』


『そうですよね。私も、夜は嫌い』


 夜のように暗い沼地で、彼女はそう言って小さく笑った。


 これで全部である。あとに残ったのは深い深い闇。眠りとは元来(がんらい)そういうものだとリクは思っている。肉体の機能を一時的に閉ざす習慣。短期間に巡る回復期。




 目を覚ましたリクは、はじめ、自分が本当に覚醒したのか自信を持てなかった。なにしろ暗いのである。天地の感覚はあり、多少(ほこり)っぽい(にお)いがして、口のなかに痺れの感覚が残っている。耳には自分の呼吸。彼が認識したのはそれくらいの情報である。目には漆黒が広がっていた。


 自分が失明したのかと錯覚したが、そんな暗闇も覚醒による一時的なものだったようで、おぼろげながら周囲の物の輪郭が見えてきた。といっても、情報は極端に少ない。三方が扉のない壁に囲まれており、残り一面が上り階段へと続いている。一見地下貯蔵庫のような具合だったが、そうではない。階段の手前に縦横に走る格子(こうし)があり、リクはその内側にいる。格子は冷たく、(さび)臭かった。下部には無骨な(じょう)がかかっている。


 監禁。


 あまりに簡明な状況だった。そして自分を閉じ込めたのが誰なのかも、わざわざ記憶を手繰(たぐ)るまでもなく分かっていた。


 やがて階上で足音がして、階段にオレンジ色の光が(そそ)いだ。じかに光が目を射ることはなかったものの、リクは(まぶ)しさに目を細める。


 靴音が一段一段近付いてくるにつれ、不快感が(つの)っていく。


『目覚めたか』


 逆光となったハイデアが檻を覗き込んでいる。父を名乗っていた男の表情は、影に塗り潰されていた。


『腹は減ってないか?』


 別段空腹は感じていない。喉の乾きもない。なにも欲しくない。ハイデアから差し伸べられる一切は余計な物に思えて仕方なかった。


 (いた)わるような口調も腹立たしかった。


『そうか。食えるような体調になったら、そう言ってくれ。身体が資本だからな。何事も』


 こちらの返事を聞かずに、分かったような口を()く。壁と喋っていても同じくらいの独善(どくぜん)発揮(はっき)するのだろう、この男は。


『話せるか?』


 聞きたいことがひとつだけあった。ただ、それをたずねてしまえるほど、リクは素直ではない。喉から手が出るほど知りたいのに、ハイデアを前にするとなにも話したくなかった。


 そんなリクの心情を、このときのハイデアは本当に見抜いていたのだろうか。後年のリクにも、その点はあまり自信が持てない。たとえ論理的に類推(るいすい)可能なことであっても、ハイデアにそれが出来たかというと怪しいものだった。


『マナスルのことだが』


 ハイデアは檻の前に正座をして、そう語り出した。リクが懸命に手を伸ばしても届かない程度には距離を()けて。


『ダヌさんは亡くなった。娘のシャンティさんが、(あと)を継ぐそうだ。あまりに早い継承だが……周りの人たちが手を貸してくれるだろう。俺も――いや、ブロンも最大限助力するつもりだ。交易はこれまで通りおこなう。しばらくは対価なしの、純粋な慈善活動になるだろう。まあ、あの子が村長として充分経験を積んでから正規の交易関係に戻せばいい。議会ではすでに承認を得ている。大事な隣人の危機だからな。大変なときには助け合うのが道理だ。だから、マナスルのことは心配しなくていい』


 滔々(とうとう)と流れる言葉を、リクは一音たりとも聞き逃さなかった。そのうえで、どうにも皮肉っぽく口元が(ゆが)んでしまう。


『誰があんたの言葉を信じるんだ?』


 (おさ)えきれず、リクはそう言っていた。


 シャンティが村長? ダヌを殺してしまったのに?


 周りの村人が手を貸してくれる? 殺人者に?


 ブロンが助力? 大嘘吐きの妄信者ハイデアが慈善だと?


 世界は悪意に満ちている。とりわけ、自分に対しては。リクのそうした世界観は、内奥(ないおう)にわだかまってじくじくと精神を刺激していた。


『疑うのは自由だ。だが、俺は事実だけを語っている。……もうお前を騙したりしない。誰も、お前に嘘はつかない。隠し事もなしだ』


 ハイデアの声はひどく沈んでいた。


『監禁しておいて、その言い分はない』


『……必要なことだ。お前が俺になにをしたか、覚えているだろう? たとえいっときの激情だったとしても、なかったことには出来ない。……俺は、お前をこんなふうに閉じ込めておくつもりはないんだ。ただ、こうでもしなければ駄目だった。この監禁は議会が決定したことなんだ。理解してくれとは言わない。お前が心の落ち着きを取り戻すまでは閉じ込めておくほかない』


 ハイデアの語るところによると、リクは『聖印紙(カルマ)』を破り捨てたことに対して、このように監禁罰を受けているらしい。かつて父だった男を殺害しようとした事実は、ほかならぬハイデアによってなかったことにされた。事件が起きたのはマナスルであり、結局のところ未遂である。ハイデアの心ひとつで握りつぶせる罪ではあった。


 だからこそ、リクは薄ら笑いが浮かぶのを抑えられなかった。紙切れひとつを破り捨てたことが殺意を上回ったことに、途方(とほう)もない自嘲(じちょう)を感じたのである。

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