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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Riku.「妄信者回想録⑬ ~艶めく黒髪は~」

※リク視点の三人称です。

 長い睫毛(まつげ)(ひさし)となって、瞳を一層(あで)やかにみせている。芯の通ったような真っ直ぐな鼻梁(びりょう)を下っていくと、濃い紅の肉厚な唇が広がっている。個々のパーツは煽情的(せんじょうてき)であるのに、(みだ)らな印象を感じさせないのは彼女の(かも)す雰囲気によるものだろう。シャンティの清浄さは部分的な特徴に依拠(いきょ)するものではなく、あくまでも彼女の体内のずっと深い場所――両親から遺伝されたものではなく、そして次の生命に遺伝していくこともない、彼女だけが(ゆう)する美なのだと、リクは直観していた。それを疑うことなく過ごしてきた日々が、なんと忌々(いまいま)しいことか。


 シャンティの唇は、今にもなにか言葉を(つむ)ぎ出しそうに薄く開かれていた。それなのに声は(あふ)れ出てこない。小さなタンスと木机だけの質素な部屋が、雨音に満たされている。雨脚はそれ以上強まることもなく、かといって勢いが弱まることもないまま降り続けていた。


『おれの本当の父親が誰か、分かるか?』


 リクはもう一度問いかける。じっとシャンティの目を見つめながら。


 彼女の持つパーツのほとんどは、リクと異なっていた。耳も目も鼻も唇も。ただ、(したた)るような黒髪だけは同じだった。癖のないその質感も。


 彼女がダヌから受け継いだものがそれだけだったのだろうと思い、リクは唇を噛んだ。もしも自分と彼女が(うり)ふたつだったならば、こんなかたちで真相を知ることもなかっただろう。彼女に淡い想いを(いだ)くことも、きっとなかった。


『ハイデア伯爵が、お父上なのではないのですか……?』


『違う』


 知っているくせに、という言葉が喉まで出かかった。シャンティはなにもかも知っていて、そのくせ知らないふりをしているのだという疑いは、もはやリクのなかで事実に変わっていたのである。疑惑の種が育つ速度に驚く暇もなかった。


 ほとんど睨みつけるような目付きをしていたリクのことを、彼女がどう感じたのかは分からない。ただ、膝の上でゆるく拳を握り、瞳がなだらかなカーブを描いて(うる)んでいく様子には憐憫(れんびん)が表れていた。理解者、あるいは庇護者(ひごしゃ)が、取り乱す相手に見せる共感が(こも)っていた。あなたの哀しみに寄り添います。そんな姿だった。


 そのときのシャンティの様子に、リクが少なからず胸打たれたのは事実である。本当に美しい精神性だと思った。それゆえ、彼女が内奥(ないおう)に隠した秘密を、巨大な瑕疵(かし)だと感じてしまったのもまた事実である。


 リクは、言葉を止めることが出来なかった。


『おれの父親は、ダヌだ。君の父親が、おれの父親でもあるんだ』


 直後、ひとまとまりの空気がシャンティの唇から流れ出した。目は見開かれ、先ほどの潤いがみるみる失われていく。


『どういう、ことですか……?』


 彼女の声は震えていた。


 シャンティのこの反応を前にしても、リクは胸のうちに芽生えた疑念を消し去ることが出来なかった。驚いた演技をしているんだとばかり決めつけていた。そうあってほしい、という願望があったことは否定出来ない。


 彼女がなにも知らない無垢(むく)な少女ならば、きわめて残酷な事実を伝えることになるだろう。呪いを分け与えるような真似(まね)と言ってもいいかもしれない。もしそうだとしたら、リクは自分自身の邪悪さをいささかなりとも自覚せざるを得なくなる。逆にシャンティが一切を知っていたならば、悪いのはあちらということになるだろう。


 自分が正しいと思いたい欲求に逆らえる者は、そう多くない。


『君の父親――ダヌは、おれの母さんを妊娠させたんだ。それがどういうことか分かるか?』


『分からない。なにも。なにも分からない』


『君の父親は――というより、君の家系は呪われてるんだ』


 このときのリクに、言葉を選ぶ余裕などなかった。そして歯止めも失っていた。自分で自分の言葉に興奮し、マルタから聞かされた内容を配慮(はいりょ)のない語句に変換して伝えたのである。


 子を授かる秘術と、母体の死。混乱し悲哀に暮れるリクの母を、誰ひとり制止することなく、ダヌとの呪われた(まじ)わりに向かわせたこと。母の願いを受け入れたダヌは、一個の命を奪った殺人者とも言えること。


 話の最中、シャンティは石のごとく硬直していた。


 リクはいつしか立ち上がって、彼女に言葉を浴びせかけていた。ほとんど怒鳴るように。『ダヌはおれの母を殺したんだ!』と二度三度言った気がするが、あまりに夢中だったので(さだ)かではない。


 白状しろ。一切合切を隠して接してきたことを白状しろ。ただそれだけを、リクは求めていた。望む反応が得られない以上、言動がエスカレートしていくのは自然なことだった。


『なんで、そんな嘘をつくんですか?』


『嘘なんかじゃない! 君は、君は――全部を知ってたんだろ! おれが君の弟だって知りながら、黙ってたんだ! 後ろめたかったんだろ!!』


『知りません! 貴方が言っていることは全部嘘です! お父様がそんなことをするわけない!!』


 手が出る寸前(すんぜん)だった。現にリクは、彼女を平手で打つ自分の姿が閃光のように頭に浮かんだのである。あとは、暴力的な予言にしたがって身体を動かせばよかった。


 右手を振り上げる。


 肩を引く。


 下唇を、血が(にじ)むほど噛む。


 ――そこまでは現実に行われた動作である。


 シャンティがそれ(・・)に気付いていたかは分からない。少なくともリクは、背後のことなど意識していなかった。


 振り下ろそうとした瞬間、手首が掴まれた。ぎょっとして振り返ると――。


『やめてくれ……娘はなにも、知らんのだ』


 (じつ)の父親が、そこに立っていた。打擲(ちょうちゃく)間際(まぎわ)の息子の手を掴み、ひどく打ちのめされた表情をしている。老衰したヒキガエルというものを見たことはなかったが、きっとこのような姿であろうとリクは直観した。醜い。目も耳も鼻も口元も。後退した髪は、(つや)めく黒だった。


 ()の悪いところに、という思いはあった。こんなところを見られるのは恥だという思いもあった。それ以上に、憎くて、汚らわしくて、情けなくて、悔しくて、仕方なかった。


 ここはマナスルの(おさ)の家であり、したがってダヌがいることになんら不思議はない。にもかかわらず、今の今までリクは彼に出くわすとはこれっぽっちも想定していなかった。


『お父様? 知らないって、どういうこと……?』


 紙を裂くような、震えを()びた声が部屋に染みていく。


 シャンティの顔を見た瞬間、リクは途方(とほう)もない後悔に襲われた。ダヌに焦点を合わせた彼女の瞳は、ひどく(うつ)ろだったのだ。そのときようやくリクは、彼女がなにひとつ知らずにいるのだと(さと)ったのである。自分が口にした数々の言葉が、呪いとなって彼女に降り(そそ)いでいたのだと知ったのである。


 取り返しがつかない。埋め合わせも出来ない。それだけを感じ、リクは呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた。現れたダヌに思いの(たけ)をぶつけることも出来ず、ただ脱力してしまったのである。


 リクの力が抜けたのが分かったのだろう、ダヌは掴んでいた手首を解放した。すると、リクはストンとその場に膝を突いてしまった。


『シャンティ……よくお聞き』ダヌのしわがれた声が部屋に流れる。『全部……彼の言った通りだ。私はモリーさんの願いを叶えるために……モリーさんを(あや)めてしまったことになる。……その意味では……私は……殺人者だ』


 なにかが砕ける音がした。が、現実になにかが破損した形跡(けいせき)はどこにもない。それはリクの耳にした幻聴にほかならなかったが――きっとシャンティは、もっと巨大な破砕音(はさいおん)を聴いたことだろう。あるいは、壮絶(そうぜつ)な耳鳴りに(むしば)まれたかもしれない。


 リクははじめ、目の前のシャンティが溶け出したのかと思った。まず、目から液体が溢れ、耳からも鼻からも口からもドロリとした質感の液が吹き出したのである。それらはシャンティの身体に貼り付いて(わだかま)り、やがて幾筋(いくすじ)もの触手と化してリクへと放射された――ように見えた。


 顔のすぐそばを通過し、それら触手は彼の後方へと向かったのである。


 直後、ダヌの短い(うめ)きが室内に響いた。

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