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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Riku.「妄信者回想録⑪ ~嵐と秘術~」

※リク視点の三人称です。

 降り出した雨はなかなか止む気配がなかった。晴天続きで乾いた地面に、幾筋(いくすじ)もの即席の川が出来ている。地表に溜まった(ちり)(ほこり)病葉(わくらば)や小石が混じった流れは、美しさとは程遠い。農業に(いそ)しむ人々は天の恵みを祝福したが、分厚く垂れ込めた雨雲がもたらす真昼の闇と、視界を白濁(はくだく)させる激しい降雨は、天恵(てんけい)というよりむしろ災害の様相(ようそう)であった。


 白くけぶる景色のなか、リクはただぼんやりと歩いていた。雨を含んだ衣服が身体に重くまとわりついている。


 足取りは鈍く、自分がどこに向かって進んでいるのだか分からない。そんな状態だった。




『領主様――ハイデア様は、リク様を愛しておられます。それだけは真実ですから、どうか、そのつもりで聞いてください』


『この街を治めておられるハイデア様の家系は、それはそれは立派な系譜(けいふ)なんです。リク様もお勉強なさったかと思いますが、ラガニアの悲劇が起こるずっとずっと以前から続いていた、由緒(ゆいしょ)ある家柄(いえがら)です』


『リク様もお分かりでしょう? 領主にとって、貴族にとって、血はなによりも重要なものです。人が人に健全な心持ちで従うにはそれなりの理由が必要……。領主が領主であるためには、血の継承より確実なものはございません。私たち住民は、由緒を誇りにしているんです。ブロンの歴史はハイデア様の家系の歴史であり、それを()やさず継いでいくことで、私たちも豊かに過ごせるんです。心穏やかに生きていられるんです』


『ですから、ハイデア様と奥様には、血を継ぐ役目があったんです。領主としてのなによりも大切な仕事とも言えるでしょうね』


『ハイデア様の家系は――これはほかの貴族からすれば珍しいことですけど――たったひとりの妻と()()げることを良しとしております。代々、そうやって継いできたのです』




 空の深みで、雷鳴が(とどろ)いた。癇癪(かんしゃく)めいた稲光が周囲を明滅させる。じき、どこかに雷が落ちるかもしれない。


 領主(・・)の邸が天からの光に焼かれる(さま)を想像して、リクは薄く笑った。そうした笑いも、どこか無理をしているように感じて、すぐに引っ込めてしまった。




『何十年も……お二人の間に子宝は恵まれませんでした。そのうちに、街のなかである噂が立つようになったんです』


『どうか、()しからず聞いてください。……お二人のうちどちらかに故障(・・)があるのではないかと、心無い声が広まっていたんです。もちろん根も葉もない噂ですけれど、奥様に妊娠の兆候(ちょうこう)がまったくなかったのは事実ですから、噂は日増しに尾ひれがつくようになりました』


『子供を作って、血を引き継ぐ。先ほども言いましたが、それが領主の一番の仕事です。だからこそ、ハイデア様も奥様も重圧を感じていたのでしょう。あの時期のお二人のやつれたお顔といったら……』




 ぬかるみに足を取られ、リクはばったりと地面に倒れ込んだ。泥と草と雨とが入り混じった(にお)いが鼻に広がる。


 服が汚れるのもかまわず、彼はそのままごろりと仰向(あおむ)けになった。天上から怒涛(どとう)のように降り(そそ)ぐ雨を、言葉通り、全身で浴びている状況だった。


 そのまましばらく横になっていると、次第(しだい)に自分が泥で出来ているように思えてきた。足の先から頭のてっぺんに(いた)るまで、自然の構成物でしかないような、そんな錯覚に(とら)われる。背と大地との境界が溶けていって、衣服から皮膚から肉から骨から、臓器や魂までも、すべて自然と合一(ごういつ)しているように感じてならない。絶えず身体を流れていく雨が、自分と自然との境目を極めて曖昧(あいまい)なものにしていくようだった。




『マナスルには数多くの伝承(でんしょう)があることを、ご存知でしょうか? リク様が手にしておられる聖印紙(カルマ)もそのひとつです。あの土地は昔から少し迷信深いところがありまして……』


『子孫繁栄の秘術。それもマナスルにまつわる怪しげな伝承でした。なんでもマナスルの長は代々、子供を授ける力があるんだとか……。眉唾(まゆつば)ものの話ですよ。でも、奥様は本気でそれを信じてしまったんです』


『奥様……モリー様は、とても追い詰められておいででした。子宝に恵まれないのは自分の(ごう)だとおっしゃって、さめざめと泣いておられた姿は今でもときどき思い出します』


『ハイデア様は、そんな奥様をとても大事にしておられました。嘘ではありません。奥様のおそばにいて、常に(はげ)ましておられたんです。けれど……奥様の不安は、誰にも晴らせるものではなかったんですよ。それこそ、継承者を産まない限りは……』


『当時の私は領主様のお邸で使用人をしていたので、奥様のことは誰よりも理解していたつもりです。ハイデア様ほどではありませんけど……』


『奥様はいつか、私にこうおっしゃいました。マナスルだけが希望なのだと。どんな怪しい術でも、子供を授かることさえできればいい、と』


『そのためなら、死んでもいい』




 立ち上がったリクの衣服は、もはや貴族の装いではなかった。もとより簡素な(えり)付きのシャツとズボンだけを身に着けていたのだが、それでも仕立てのいい品である。それが雨と泥で、浮浪者も(かな)わないほどの汚れを身に受けていた。先ほど転んだときに、ズボンの(ひざ)が破れ、シャツのボタンがいくつか欠損してしまっている。


 リクは再び歩き出した。


 目的地はない。


 歩くことでどうにかなるとも思っていない。


 ただ無性に、歩かねばならないと思った。


 ここにはいられない、という気持ちが心の底で強く強く主張していた。


 とうに街を離れていたにもかかわらず、リクはずっと、自分がまだ街のどこかにいると錯覚し続けていた。




『奥様は私に、マナスルの秘術の内容をこっそり教えて下さいました。マナスルの長と身体を重ねることで、子供を授かるのだと。そして産後に必ず母体は息絶えるのだと……』


『奥様は冗談ではなく、本気でおっしゃったんです。夢を見ているような、そんな様子でもありました。なんとか止めなければならないと思ったんですけど、一介(いっかい)の使用人になにが出来るというのでしょう?』


『奥様は、ハイデア様も説得してしまわれたんです。お二人が実際にどのような会話を()わしたのか私には分かりませんけど……さぞ悲痛な決断だったでしょうね。ハイデア様は最後には、首を縦に振ったんです』


『奥様はマナスルに向かい、そしてひと晩をお過ごしになられました。そして街に戻りひと月が立つ頃には、妊娠していると分かったんです。私は心底ゾッとしました。いえ、ご懐妊(かいにん)はめでたいことなんですけど、なんだかとても、業の深いものに思えて……』


『もちろんリク様のことは、愛しておりますよ。こう言って許されるのであれば、育ての親として、とても愛しています。でも……あんなやり方は、到底認められるものでは……』




 歩いているうちに、粘っこい臭いが強くなった。植物の腐ったような、そんな臭気。


 周囲はいつの間にやら林になっていて、足元はひたすらにドロドロしている。歩行の難しい場所であったが、リクは気にも留めなかった。どこかにたどり着こうというのではない。歩行の難所など、なんの問題でもない。


 豪雨が水面を打つ音を、遠くに聞いた。




『決して、決して信じたくはありませんが……奥様は伝承通り、リク様を産んですぐに逝去(せいきょ)なされました』


『それからのことは、リク様もご承知の通りです。ハイデア様は、亡くなられた奥様の存在をひた隠しにしたんです。母親、という存在すら隠すつもりで。……もちろん、いつかは分かる日が来ると思っていたはずです。ただ、充分に成熟してから話すおつもりだったんでしょう』


『ハイデア様が母という存在をお隠しになられたのは、奥様の行為に複雑な想いがあったから、とも言えます。無事リク様が産まれてから、ハイデア様はたびたびマナスルの長を嫌っているようなことを口にしておりましたから……。でも、それも無理ないことです。何十年かかっても産ませられなかったモリー様を、マナスルの長はたったひと晩でご懐妊させたんですから』




 水音が近くなる。足が泥濘(でいねい)に埋まっていく。一歩ごとに深くなっていくような気がした。




『リク様は、ハイデア様から外出を禁じられておいでですね? その理由はお分かりになられますか?』


『街の全員の意志をひとつにするために、膨大(ぼうだい)な時間がかかったのが理由のひとつです。リク様の出生がどのような経緯を辿(たど)ったか、街の人はみんな知っております。奥様に同情する声もございましたが、血が途切れていることを(うれ)う声も根強くありまして、彼らを説得するために長い長い時間を必要としたんです。説得が終わらないうちは、リク様を誰とも接触させるわけにはまいりませんでした。なにを吹き込まれるか分かったものではありませんから……。外出するときには必ず、ハイデア様がおそばで目を光らせていたんですよ』


『今や街の人はほとんど、リク様を(むか)える気でおります。ですが、やっぱり心配なんでしょうね。まだハイデア様はひとりでの外出を許可しておられない……そうでしょう?』


『リク様。今私が話したことは、すべて真実です。育ての親として、リク様にすべてをお伝えする義務があると……ずっとそう考えておりました』


『……リク様。引き止めはいたしませんが、こんな雨の中どこへ――』




 どこへ行くつもりでもない。ここにいたくないだけだった。


 リクはすでに、胸のなかばまで水に浸されていた。水面を打つ雨粒が、無数の細かな波紋を作り出している。泥にまとわりつかれながらも、水面を先へ先へと、深みへ進んでいった。


 やがて彼の瞳は、激しい雨のなかに、紫の身体を見出した。


 水面に真っ直ぐ立つ、薄衣の女性。


 雨雲の下、その姿はひどく神々しいものに見えた。


 このとき、リクはほとんどなにも意識していなかった。無我夢中で手を伸ばし、何事(なにごと)か叫んだように思う。次の瞬間、彼は水中に堆積(たいせき)した泥で滑り、前のめりに水中へと倒れたのである。


 粘つく水が、口からも鼻からも体内へ侵入してくる。もがけども水面が分からない。体力はとうに限界を迎えていて、呼吸出来ない苦しみだけが彼の肉体を駆動(くどう)させていた。


 意識が暗転する。ふわりと、身体が楽になっていく。


 混濁(こんだく)渦中(かちゅう)でリクは、自分の腕を掴む何者かの手を確かに感じた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より

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