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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Riku.「妄信者回想録⑩ ~本当の家族に~」

※リク視点の三人称です。

 マルタはまるで時間が停止したように、書斎の入り口で立ち止まっていた。凝然(ぎょうぜん)とした表情も、凍り付いたまま変化しない。


 このとき、リクの胸のうちには様々な想いが去来(きょらい)した。なぜマルタがここにいるのか。嫌な場面を見られてしまった。自分はどうにも運が悪い……などなど。そのなかでももっとも強く彼の頭と心を満たしていた感慨(かんがい)は、『懐かしい』だった。


 家政婦として解雇(かいこ)された後も、マルタと顔を会わす機会はあった。街で姿を見かけ、世間話に(きょう)じたこともある。リクにはひとりでの外出が許されていないため、もちろんそれらの場面には父の姿もあったわけだが、マルタはまったくと言っていいほど遺恨(いこん)を感じさせない態度で接してくれた。『大きくなりましたね』『元気そうでなによりです』といった通り一遍(いっぺん)の言葉には真心が(こも)っていたし、『もう少し肉を付けたほうが貫禄(かんろく)が出ますね』なんて冗談を気さくに話しさえしていた。つい一週間前も、議会の帰りに道で出くわし、ほのぼのとした会話をしたばかりである。


 それでもリクが懐かしさを感じたのは、この場所で彼女を目にしたのが幼少期以来だったからだろう。解雇されてからというもの、マルタは敷地の内外を(へだ)てる門を(くぐ)ることはもちろん、(やしき)の近辺に近寄ることさえなかったのである。


 のちに知ることになるのだが、彼女がどうして今日この日に来訪することになったかと言うと、父が根回ししていたのである。マナスルへと向かう直前、息子のことが気がかりになったようで、マルタに『様子を見るように』と依頼したわけだ。リクが破壊衝動に支配される前に邸に到着すれば、その後の運命も大きく変わったことだろう。しかしながら、過ぎたことを『もし』で語ることにさしたる意味はない。


 大きく見開かれたマルタの目が、一、二度まばたきをした。みるみるうちに、下瞼(したまぶた)(ふち)に潤いが滞留(たいりゅう)していく。


『リク様、なにを……』


 彼女の声は驚愕(きょうがく)一色に染まっていた。なぜ、という疑問が彼女の胸のうちで巨大な(うず)を巻いていることは、リクの目からも容易(ようい)に見通せた。


『落ち着いてください、マルタさん』


 リクの返事は普段通りの穏やかさだったが、内心ではひどく混乱していた。どうすべきなのか、まるで分からない状態だった。マルタに落ち着くよう言うことで、自分をも落ち着けようとしていた向きがある。


 このとき、リクの頭にいくつかの可能性が浮かんでは消えた。


 父を憎悪していて、だからこのような行動に出たのだと説明する。


 父に仕事を任せてもらえなくなったので、自分でもわけが分からないまま破壊衝動に身を(ゆだ)ねてしまったと哀訴(あいそ)する。


 のっぴきならない家庭の問題が持ち上がってきて、つい物を壊してしまったと悪びれる。


 マルタが解雇されて以降は、こういうトラブルがよく起こっているので心配しなくていいと笑う。


 記憶喪失のふりをする。


 ――どんな言葉も行為も、(ひと)しく馬鹿馬鹿しいものに思えてならなかった。要するにその場しのぎの言い訳であって、マルタの口封じさえ出来ればいいといった日和見(ひよりみ)な態度でしかない。


 おそらく以前のリクならば、同情を喚起(かんき)する巧妙な嘘でマルタを味方に引き入れようとしただろう。しかしそれは、父に従属していた昔の自分のトレースである。身の振り方に関しては、すでに分水嶺(ぶんすいれい)を越えてしまっていた。最後の『聖印紙(カルマ)』を破り捨てようとしている自分は、変化の証明でなければならない。自分が自分にとって必要な人生を掴み取るために。


『おれはもう、父のことを父と思ってないんです』


 マルタは何事か否定を口にしようとした様子だったが、まとまった言葉にはならず、音の断片が室内に溶け出した。


『おれは、うんざりしてるんです。父はおれのことを、(てい)のいい駒みたいに見做(みな)してるんでしょう。言いなりになっていればそれでいい……人形だとでも思ってるんです。自分の世界しか見えてない。だから平気で馬鹿なことを信じるし、それを正しいと思い込んで疑わない。自分の人形が逆らうだなんて、まったく、想定もしていないんですよ。……ああ、ごめんなさい。もう少し具体的に話したほうがいいですよね』


 依然(いぜん)として入り口で硬直しているマルタに、リクは事の顛末(てんまつ)を語ってみせた。彼女を説得することや理解を得ようとするのは二の次で、語ることが目的と化していた。


 マナスルへの来訪を、リク本人がことのほか気に入っていたこと。


 マナスルの(おさ)――ダヌの娘であるシャンティと姉弟同然に仲良くしていたこと。とてもプラトニックで、友愛あるいは家族愛の感情がそこにあったこと。


 父から、マナスルへの同行は今後許さないと一方的に告げられたこと。その理由は、シャンティへの恋愛感情がみえるからという決めつけであること。


『仮におれがシャンティを愛していたとして、だからなんだと言うんでしょうか。なんの問題もないでしょうに。父はどうせ風評を気にしているんです。ブロンの継承者とマナスルの継承者が男女仲になっているだとか、そんな噂が議会に上ることを恐れているだけなんです。なんて矮小(わいしょう)で――』


 なんて醜い心なんだろう。


 そこまで一気に語ると、リクは大きく深呼吸をした。これほど明け()けに自分の感情を語ったことはあまりない。シャンティは例外として。


 マルタが理解してくれたかは分からない。ただ、彼女の表情から驚愕の色は消えていた。眉が下がり、泣きそうな顔をしている。口元はぐにゃりと脱力し、ときおり小刻みに震えた。


『さぞ驚いたでしょうね。でも、これはおれにとっての(みそぎ)なんです。父との生活を壊すことで、繋がりを断ち切るんですよ』


 リクは皮肉っぽく笑ってみせた。すると、ようやくマルタがぽつりと返事を寄越(よこ)した。


『この邸を、出ていくんですか……?』


 そう言われて、リクは霧が晴れる思いだった。言語化出来ずに済んでいた自分の覚悟が、一定の方向性を得たように感じたのである。


『ええ、そのつもりです。行き先は……マナスルでしょうね。そこでシャンティと本当の家族になりますよ。あの地の長に認めてもらって……。あるいは、本当に恋人同士になってもいいかもしれない。二人で生きられるのなら、どんなことでもするつもりですから』


 マルタは一瞬絶句したようだったが、すぐに話題を変えた。


『なんでもかまいませんから、聖印紙(カルマ)を破るのだけは、やめてください』


 元家政婦は切羽詰まった口調で言った。彼女にとっても『聖印紙(カルマ)』は特別な品らしい。――と思ってむしろ破り捨てるべく指先に力を()めたのだが、次の彼女の言葉でリクの動きは完全に止まった。


『リク様のことを全部教えて差し上げます。本当の父親のことも……。ですからどうか、その後でなにをするか、どうするかを考えてください』


『……本当の、父親?』


 外では木々がざわめいていた。突風が吹いたのかもしれない。やけに耳障(みみざわ)りな音だった。


 いつの()にか窓の外は陽が(さえぎ)られていた。分厚い雲が空を(りょう)している。


『ええ。リク様の父親は、ハイデア様ではないんです』


『じゃあ、誰が――』


 耳の奥でノイズが鳴っていた。低く濁った一音が、一定の大きさで続いている。


『ダヌ様です。リク様は、マナスルの村長の子なのですよ』


 粒の大きな雨が、(にわ)かに大地を打った。

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