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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第五話「魔術都市ハルキゲニア~①二兎と時計塔~」
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116.「二度目の地下」

 サーベルの謎については一旦後回しにすることにした。この武器にどのような力が宿っていようとも、今は先を急がなくてはならない。


 本物の下草(したくさ)を見つけると、周囲の足跡を検分(けんぶん)して靴の向きから洞窟の方角を特定した。あとは下草を辿って洞窟まで進めば合流出来る。


 キマイラとの戦闘に費やした時間は、どうも一時間を超えていそうな気がした。ここから洞窟までの所要時間は不明だが、急ぐ必要がある。


 キマイラ戦ではそれほど無茶はしなかったように思えたが、今さらになって身体の痛みが蘇ってきた。大型魔物との戦闘による緊張感からだろうか、先ほどまで痛みは薄れていたのに、と恨めしくなる。まだ危険信号こそ出ていなかったが、身体は休息を求めていた。しかし、それは今足を止めていい理由にはならない。


 霧を貫くように走り続け、やっとのことで洞窟の入り口に辿り着いた。


 入り口の跳ね戸が開いたままになっているのを見てひとまず安堵した。洞窟に入ったら跳ね戸は閉めずにおくよう示し合わせてあったのだ。


 洞窟に降り、跳ね戸を閉める。


 全くの静寂であった。足音ひとつ反響していない。


 どうやら盗賊たちは先行しているらしい。思った以上に時間が経過していたのだろう。大声で呼びかけようかとも思ったがやめておいた。音が届く距離にいるのなら彼ら二十人分の靴音や衣擦(きぬず)れが反響してしかるべきだ。それがないということは随分と先を行っていることを意味していた。


 暗闇に目を慣れさせつつ、下へ下へと降りていく。そういえば盗賊たちの装備にランプがあったかどうか確認しそびれていた。『毒瑠璃(どくるり)の洞窟』は薄明るいので問題ないだろうけど、その先の『大虚穴(おおうろあな)』が厄介だ。


 あの階段をランプなしで、十人以上の大所帯(おおじょたい)で登るのか。それも、魔物を倒しつつ。


 あまり考えたくないことだった。


 やがて階段が終わり、『毒瑠璃の洞窟』に出た。薄っすらと青い光が目に優しい。例のスライムさえいなければ悪い場所ではないのだが……。


 周囲に注意を払いつつ、走り出した。すると、すぐに足を滑らせて転んでしまった。ただでさえ痛みを訴える身体に余計な傷を負わせてどうするのだ、と自分を(いまし)める。


 そうだ。盗賊たちもここは慎重に歩いているはずである。なら、殊更(ことさら)急いで傷を増やすのは得策とは言えない。戦えなくなっては元も子もないので、ここは安全第一で進むべきだ。


 とはいえ心持ち大股の早足で洞窟を進んだ。湿った(にお)いが鼻を刺激し、やけに冷たい空気は肌を冷やしていった。


 湖の上にぽたりぽたりと水滴が落ちる音。それが(かえ)って静寂を色濃くしていた。


 こう静かだと余計に神経が(たかぶ)ってしまう。スライムの不気味な音が聴こえはしないだろうか、と。ついつい耳の奥であの音を思い出してしまうのだ。ずるずる、ずるずる、というおぞましい音。


 ずるずる、ずるずる。


 ずるずる、ずるずる。


 冷や汗が額に浮かんだ。噂をすれば影、ではないが、頭の中でだけ思い出して反復させていた音は、現実と重なり合ってわたしを脅しているようだった。


 振り向くと、遥か遠くに例のゼリー状の悪魔が身を震わせながらこちらに向かってくるのが見えた。


 思わず足早に駆ける。もうなりふり構っていられない。『休憩所』までまだ暫く距離がある。


 追いつかれたらなにもかも終わりだ。


 何度も転びそうになっては体勢を整え直し、走り続けた。スライムは前回同様、こちらの速度よりいくらか速いスピードで追いかけてきている。


『休憩所』まであとどのくらいだろうか。心臓が高鳴る。


 一瞬油断したせいか、足を滑らせて勢いよく転んでしまった。すぐに起き上がろうとしたのだが、足に激痛が走って身じろぎひとつ出来ない。


 まずい、まずい、まずい。


 ずるずる、ずるずる。


 呼吸が荒くなる。動け動けと念じても、身体は痛みを送るだけだった。


 ずるずる。


 鼓動が早鐘のごとく鳴っていた。


 ずる。


 頭に疑問符が浮かぶ。スライムの動きが鈍くなっている?


 やがて、ずるずる、ずるずる、と音は遠ざかっていった。


 もしや、と(ひらめ)く。


 奴は動くものにしか反応しないのではないか。となると、あのおぞましい音が聴こえた際には動きを止めれば問題ないのか。


 確かにスライムは下等な魔物である。魔力量ではなく活動量で、相手を生体だと見極めているのかもしれない。そして余計なものを取り込まぬよう、栄養分を選別しているのだ。


 どくどくどく、と心臓は相変わらず高く鳴っていた。恐怖からではない。新たな発見はいつだって素晴らしい興奮を与えてくれるものだ。


 辺りに静寂が戻ると、身を起こせるか試してみた。先ほどよりは随分とマシだが、走るのは困難である。ともあれ、スライムさえなんとかなれば『毒瑠璃の洞窟』は大した脅威ではない。


 暫く歩くと『休憩所』が見えた。しかし、中には誰もいない。


 不審に思って内部を見渡すと、書き置きが一枚残してあった。


『半分だけ安全に進むなんて、やっぱり出来ません。俺たちは全員で行きます。姉さんがもし、これを読んでくれたなら、あんたはここで一泊してください。』


 読み終えるとため息が漏れた。出発前にあれほど話し合ったというのに、どうして危険な方法を選び取るのだろう。本当に呆れる。しかもわたしだけここに泊まれ、と。全く、酷い提案だ。


『休憩所』を出て、湖沿いに進んだ。


 彼らだけ先行させて自分だけ安全にのんびりと行動するなんて性に合わない。ただそれだけの理由から『休憩所』を後にした。


 道中、スライムのずるずる音が聴こえては壁際まで寄って静止した。すると、奴は逆方向に遠ざかっていくか、ずるずるとこちらまで進んできて通り過ぎていくかのどちらかだった。前者はターゲットから外れたことを分かりやすく示していたが、後者はなかなか心臓に悪かった。静止してはいるが、実はどこかが奴のセンサーに引っかかってはいないかとか、そもそも動くものだけを追う習性の信憑性(しんぴょうせい)なんてないじゃないかとか、諸々(もろもろ)考えた。パニックになりそうな気持ちを必死に抑えて硬直していると、ありがたいことに素通りしてくれた。


 ひとまず、スライムの性質は間違いがないだろう。この発見がなければ、恐怖に駆られて下手に逃げ、結局追いつかれて養分になるオチもありえた。


大虚穴(おおうろあな)』に到着する直前には、魔物の気配が虚穴(うろあな)の下部から強烈に(ただよ)ってきていた。


『大虚穴』の狭い階段に辿り着くと、盗賊たちは既に随分と上まで登っていた。とにもかくにも、彼らもスライムに()まれることなくここまで到達することが出来たというわけだ。


 しかも、ランプを持っている。用意のいい奴らだ。


 盗賊たちは着々と歩を進めているようだった。なぜ魔物との戦闘がないのか、その理由がいまいち把握出来なかった。


 暫く歩いていると、上空に魔物の気配が出現した。――近い。丁度盗賊たちの高度ではないだろうか。気配の種類から考えてグールであることは容易に理解出来た。


 注意を与えるために息を吸ったが、声にはならなかった。


 なぜなら――落ちていったのだ。グールが。


 グールの気配は奈落の底で、有象無象(うぞうむぞう)の気配と(まぎ)れて()き消えてしまった。


 誤って転落したのだろうかと思ったが、それからもグールが現れては即座に落ちていった。どの個体も一様に、だ。


 思わず足を止めて深淵を覗き込む。姿かたちはなにも見えない。なにか魔物を引き寄せるような仕組みになっているのだろうか。


 考えても答えは見つかりそうになかった。ともかく、先に進むしかない。


 見上げると、盗賊たちのランプは消えていた。すると、彼らは辿り着いたのだろうか。見事に『魔の(みち)』を抜け切って。


 緩みそうになった気を引き締め直す。


 わたしはまだ途上だ。油断は死を意味する。万が一落下すれば即死か、運良く生きていても魔物の餌食だ。


 呼吸を整えて無心で登り続けた。既に一度通った道である。以前のように永遠に続くのではないかという絶望感はない。この先に終わりがあることを確かに知っている。


 やがて頂上の鉄扉(てっぴ)を開き、その先の地下室に出た。


 安堵(あんど)しつつ階段を登る。やがて(だいだい)の灯りが階段の先にぽつりと見えた。


 登り切ると、そこは広間に面した回廊だった。


 帰ってきたのだ。二度目の生還。気が緩むとばったりと倒れ込んでしまいそうだった。


 ――と、聞き覚えのある大声が響いた。なんだか妙に懐かしく思えてしまう。


「クロエ!!」


 声の方向を見ると、相変わらず筋肉を強調した髭面のトラスがいた。彼はずんずんとこちらに向かって歩き、目の前まで来ると肩をがっしりと掴んで前後に揺さぶった。


「ちょ、トラス、やめ、痛い!」


「あ、すまねえ! そうだよな、またあの道から戻って来たんだもんな。無事なはずがねえ。それに『白兎(しろうさぎ)』とのことは盗賊たちから聞かせてもらったぜ! あんたも随分無茶しやがるんだな! 痺れたぜ!」


 思わず苦笑してしまった。わたしは『白兎』に敗北を(きっ)している。


「盗賊たちは今どこに? 何人いる?」


「傷の浅いのはそこの広間にいるぜ。休息が必要なのは上に寝かせてる。多分、二十人くらいだ」


 ああ、と吐息が(こぼ)れた。「良かった」


「あんたも随分とお人好しじゃねえか。嫌いじゃないぜ!」


 多分、トラスの言う通りなのだろう。わたしはどうしようもないお人好しで、感情の制御がなかなか出来ない。結果として、おそらくは盗賊団全員を生還させることが出来たが『吶喊(とっかん)湿原』以降は彼ら自身の力だ。『毒瑠璃の洞窟』と『大虚穴』を自力で突破したのである。


「あ!!」とトラスは大声を上げた。相変わらず頭に響く声だ。


「なに、どうしたの?」


 トラスは目を輝かせ、口を開いた。それが本当に、わたしに伝えたかった一番の内容であるかのように。


「ヨハンが起きたんだよ!!」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。『吶喊(とっかん)湿原』のキマイラのみ、血の匂いに引き寄せられる。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて


・『吶喊(とっかん)湿原』→ハルキゲニアの西に広がる湿原。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』にて。


・『スライム』→ここでは『毒瑠璃(どくるり)の洞窟』に潜む巨大なスライムを指している。詳しくは『103.「毒瑠璃とスライム」』にて


・『毒瑠璃(どくるり)の洞窟』→毒性の鉱物である毒瑠璃が多く存在する洞窟。詳しくは『102.「毒瑠璃の洞窟」』にて。


・『休憩所』→『毒瑠璃の洞窟』内の安全地帯。詳しくは『102.「毒瑠璃の洞窟」』にて。


・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて


・『大虚穴(おおうろあな)』→巨大な縦穴。レジスタンスのアジトへと続く階段がある。詳しくは『106.「大虚穴」』にて。


・『トラス』→レジスタンスのメンバー。髭面で筋肉質。豪快な性格。詳しくは『107.「トラスという男」』にて

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