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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Riku.「妄信者回想録⑥ ~失われゆく美と正義~」

※リク視点の三人称です。

 それからリクは、父がマナスルに行くときには必ず同伴(どうはん)するようになった。厳密には、父が沼地の村へ訪問する際に決まってリクに『お前も行くか?』とたずねるようになったのである。リクはいかにも()()ない態度を(よそお)いながら、内心嬉々として(うなず)くのだった。


 村長のダヌは、いつでも二人を歓迎してくれた。ときどきは食事を振る舞ってくれることもあり、魚を煮付けた料理を出されたときには、リクは思わず苦笑してしまった。泥沼のなかで育った魚かと思うと、口に運ぶのが躊躇(ためら)われたものである。しかしながら、そう悪いものでもなかった。咀嚼(そしゃく)を続けると多少の泥臭さを感じるものの、食感も味も決して不快ではない。リクは結局、おかわりを繰り返し、四匹も(たい)らげてしまった。ただ、その理由は味ではない。おかわりをするたびに、シャンティが楽しそうに微笑んでくれたのだ。だからついつい調子に乗ってしまったのである。翌日の腹痛はひどいものだった。


 リクがマナスルへ足を運ぶのを(いと)わなかった理由も、そこにある。


 シャンティに会って少し話をするだけで、幸福感が胸の奥底から大量に(あふ)れ出て仕方ないのだ。そしてさよならをした数分後には、もう会いたくなっている。どうしてこんなにも四歳年上の女性に心惹かれるのか、その理由は彼にも分からなかった。誰にも分からないことだろう。恋慕は往々(おうおう)にして唐突(とうとつ)に訪れ、心を支配してしまうものだ。幼ければ、その度合も強くなる。


 一方、ダヌに対する印象は変わらなかった。薄気味の悪い醜男(ぶおとこ)。それ以上でも以下でもない。シャンティの父親であるという点は、別段付加価値として認めていなかった。リク自身はっきりとそう考えていたわけではないが、この(ころ)から、子と親とを分断して評価する性質が彼に備わっていたのであろう。


 (ちょう)じるにつれてマナスルとブロンの交易関係の非対称性――つまり、食料品の数々に対して受け取るのが『聖印紙(カルマ)』一枚であること――に不正義を感じるようになるのだが、この頃のリクにそうした思いはなかった。まだ六歳そこらである。幼い彼にとっての『交易』は、自分が村長の家を訪れる都合の良い口実でしかなかった。交易の実態など二の次で、シャンティと会って、同じ時間を過ごすことがなによりも重要だったのである。




『お父様は、とても素晴らしい人です』


 リクが七歳のときのことだ。シャンティは彼を(にら)み、はっきりとそう言った。リクがダヌの悪口を、うっかり言葉にしてしまったときのことである。


 場所は村長宅の二階――彼女に与えられた私室である。シャンティは編み物をしていて、リクは手持無沙汰(ぶさた)にきょろきょろと部屋を(なが)めていた。そのうちに互いの父親の話になり、リクはつい、口を(すべ)らせてしまったのである。


 具体的にどのようなことを口走ったのか、彼はよく覚えていないが、おそらくは彼女の父の容姿や仕草(しぐさ)を小馬鹿にしたように思う。自分の親だったら恥ずかしい、だとか。


 失言直後の彼女の形相(ぎょうそう)といったら、(すさ)まじいものだった。鬼気迫る顔――というわけではない。眉尻(まゆじり)が急激に下がり、ぎゅっと引き結ばれた口は小刻みに震えていた。こめかみが硬く盛り上がり、鼻翼(びよく)(ふく)らむ。涙を(こら)えているようでありながら、リクへと固定された瞳は鋭く、今にも(あふ)れ出してしまいそうな怒りをなんとか抑制(よくせい)しているようでもある。怒りと哀しみはときとして不可分であり、それらが混然とした状態を(たも)ちながら表出することに、リクは初めて直面したのだ。


 緊迫した沈黙が(りょう)している間、リクは蛇に睨まれた蛙のごとく身動き出来なかった。呼吸さえも苦しかった。


 ようやく放たれた彼女の言葉は、非常に抑制された語調だった。怒りも哀しみも巧妙(こうみょう)に隠されている。だが、一語一語に強さがあった。父が素晴らしい存在だと確信している口振りだった。だからこそ、彼女の内なる反発が(かえ)って鮮明に表現されていた。


 なにも言えずにいるリクに、彼女は(さと)すように言葉を重ねた。


『お父様は分け与える人なんです。自分の美しさを他人に分け与えて、だから、ああなんですよ』


『ええ。リクさんの言う通り、お父様の容姿は整ってはいません。けれど、昔はもっとずっと美しかったんですよ』


『お父様は他人に与えるたびに、自分の美しさを失っていくんです。顔かたち、歩き方、声、匂い。どんどん、どんどん……醜く、なっていく。でも、それのなにが問題なんですか? お父様の心はずっと、ずっと、ずっと、美しいままなんです』


 ときおり長い深呼吸を挟んで(つむ)がれたシャンティの言葉を、リクはほとんど理解出来なかった。美を分け与えると言われてもピンとこないし、それによって醜くなるというのも想像出来ない。心の美しさなど、なおさら意味不明だった。


 そんな彼にも、ひとつだけ分かったことがある。


『うん、そうだね。ごめん』


 シャンティは父親をとても深く尊敬している。愛している。かけがえのない存在だと思っている。


 当時のリクにとって、シャンティの比重はなによりも重かった。もし彼女に嫌われてしまったらと考えると、気が気ではない。これっぽっちも内容を理解していなくとも、ともかく謝ることだけが彼に出来る唯一(ゆいいつ)の行為だった。




聖印紙(カルマ)』を持つ者は死後に救済される。その効力は現世に暮らす者の感知出来るところではなく、したがって霊験(れいけん)のほども(さだ)かではないのだが、ひとつ確かなことがあった。『聖印紙(カルマ)』を()りなすことにより、(つむ)ぎ手は確実に損なわれていく。ダヌの場合、それは客観的な美であった。祈りの()められた工芸品を作成することにより、彼は徐々に、不可逆的に醜くなっていったのである。リクの父はこのことを知っていたが、しかし、リクが知ったのは彼が十歳のとき――父にはじめてぶたれた日のことだった。


 シャンティと出会って四年の歳月が過ぎても、彼女への関心――それを恋慕と自認することは(かたく)なに()けていた――は(つの)る一方だった。七歳のときの失言はずっと覚えていて、彼女と相対(あいたい)するときには注意深く振る舞い続けた結果、二人の距離は自然と近しいものにはなっていたが、お互いに一定以上の範囲には踏み込まないような関係性でもあった。


 とても親しい友人――それ以上のものにならないように、どこかで歯止めがかかっていたのである。


 シャンティは以前通り敬語を崩さず、潔癖で美々(びび)しい態度のままではあったが、リクの前でよく笑顔を見せるようになっていたし、たまに冗談を言い合っては軽く肩を叩くような振る舞いも珍しくなかった。リクには、そんな時間がなにより(いと)おしかったのである。永遠に続けばいいとさえ思っていた。


 そんな甘い時間への陶酔(とうすい)とは別に、当時のリクの心には独りよがりな正義の心が芽生えつつあった。明らかな不正を見過ごすような自分に耐えられず、交易の非対称性を父に向かってぶつけてしまったのである。


 リクが『紙切れ』と表現した『聖印紙(カルマ)』がどんなものであるか、彼の母とどのようなかかわりを持っていたか。その晩彼は、懇々(こんこん)と説明されることになったのである。

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