表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
1297/1458

Side Riku.「無の体現者」

※リク視点の三人称です。

「どこのクズが私のシンクレールくんを(さら)いやがったんだ!! 殺す!! 地の果てまで追い詰めて、生きてるのが嫌になるくらい――」


 主人の罵声(ばせい)は、従者の耳に入っていなかった。地面に膝を突いたまま立ち上がろうともしない。


 数瞬前にシャンティが叩き割った亀裂をぼんやりと見つめ、それから、リクは空を(あお)いだ。夜闇に慣れた眼球を通して、光が全身に染み()ってくる。網膜(もうまく)に太陽の白が焼き付いていく。目の奥に痛みを感じたが、じっと天上の輝きを凝視(ぎょうし)し続けた。


 誰がシンクレールを攫ったのかは、彼にとって重要ではなかった。もちろん興味深い謎ではあったが、今はただ、ここにある現実を味わうことが最上である。


 ふと亀裂に目を落とすと、濃いオレンジ色の物体がのそのそと()っていた。大きめのナメクジほどのサイズである。先ほどまでシンクレールの指に貼り付いていたスライムだった。それを(なが)め、リクは(こら)えきれずに深く息を吐いた。


 シンクレールは痛みの地獄から解放されたに違いない。彼は生きている。きっと生きている。あの腕の正体が何者かなど、問題ではない。彼は――美しき魂は生き残ったのだ。


 リクはなんとか感情の発露(はつろ)(おさ)えていた。もしこの場に誰もいなければ、泣き崩れる自分を容易に想像出来る。胸の(うち)の圧倒的な安堵(あんど)に身を(ゆだ)ね、何度も祝福と感謝の言葉を口にしたことだろう。


「――なにホッとしてんだよ!」


 シャンティに肩を蹴られ、彼は岩場に背を打ち付けた。瞬間的な痛みは、しかし、(いささ)かも安堵を揺さぶることはない。


 シンクレールを(のが)したのはシャンティの失態であり、ある意味ではシンクレールの勝利とも言えた。


 彼女が側近たちを殺害したのは、自身の秘密を守るためである。だが肝心(かんじん)の『秘密を見抜いた男』には逃げられてしまった。その意味においてシャンティは敗北者でしかない。


 そんな彼女を(わら)う気持ちは、リクの胸中(きょうちゅう)には一片たりともなかった。


「どいつもこいつも、なんで私の邪魔すんの!! 次から次へと――」


 シャンティの苛立(いらだ)ちは、つい先ほど受けた報告も要因となっていることだろう。自軍にいる唯一(ゆいいつ)の人間、シフォン。今回の戦争の仕掛け人でもあるニコルが多大なる信頼を寄せている部下……という噂を耳にしたことがある。


 感情の欠片も見出(みいだ)せない人形のような女。――リクはシフォンにそのような印象を持っていた。道中(どうちゅう)、彼女が無表情以外の顔を浮かべた瞬間は一度たりともない。周囲の血族から()ややかな侮蔑(ぶべつ)を浴びせられても無反応。そんなシフォンが無神経な血族に軽く小突かれる場面を目にしたとき、リクは(きも)を冷やしたが、彼女はというとやはり無反応だった。


 ただ、シャンティはもちろんのこと、部隊長格の下す命令には従順さを見せた。第三部隊長が(たわむ)れにキマイラと戦わせようとしたときも、彼女は拒絶しなかった。自分の身体の何倍もある魔物を、ものの数秒で細切れにして見せたのだが……それ自体は別段驚くべきことではない。リクにも可能な芸当である。だが、異常だと彼は感じてしまった。魔物を討つ前後で、シフォンには微細な表情の変化、あるいは気配の違いさえなかったのである。殺気。怒気(どき)。不安。恐怖。(おび)え。憎悪。陶酔(とうすい)。それらはどこにも存在せず、ただひたすらに『無』だった。感情を隠すのが上手いという次元ではない。敵を撃破したならば、どこかに興奮や倦怠(けんたい)、安堵といったものが表れねばならない。一瞬口角(こうかく)が上がるだとか、一度だけ深く吐息するだとか、まばたきが長くなるだとか。しかし、シフォンにはなにも見出せなかったのである。だからこそリクは、彼女のそばに寄らないようにしていた。すぐそばに(たたず)波紋(はもん)ひとつない『無』に、得体の知れない恐れを感じていたのである。


 シフォンが裏切るなどとは、(つゆ)とも考えていなかった。リクばかりではなく、シャンティの(ひき)いる血族の多くが同じ見解だったろう。人間だからという一点で裏切りの可能性を(いだ)き続ける者もいたが、その根底にあったのは蔑視(べっし)でしかなく、本当の意味で謀反(むほん)を予感していた者はただのひとりもいない。誰もが彼女の()てついた空虚(くうきょ)さを大なり小なり知っていたし、意志の欠片(かけら)も持ち得ないと思っていた。意志なき者にどうして裏切りなど出来るのか。


 しかし、彼女は裏切ったらしい。たったひとりで、シャンティの軍勢を加速度的に目減(めべ)りさせている。


鬱陶(うっとう)しい……本当に鬱陶しい」


 シャンティはいつの()にやら、多少の落ち着きを取り戻しているようだった。その視線は血族たちの(ひか)える方角――(いな)、シフォンに荒らされた戦場へと向けられている。


「リク。ここで大人しく留守番してるんだよ」


 それを聞くと、リクは主人を見上げて目をしばたたかせた。意外だったのだ。


 目前の脅威を排除するという意味なら、シャンティの判断は正しい。人間の青年ごときにかまけている状況ではないのだから。ただ、彼女の性格を――ほかの者よりは――よく知るリクにとっては、驚きを喚起(かんき)するに()る発言だった。


 シャンティは自身の秘密をなによりも重視している。加えて、おそらくシンクレールという存在に関心も抱いているはずだった。そうした個人的な事情は、彼女にとって優先度の非常に高い物事でもある。圧倒的な実力者であるがために、良くも悪くも近視眼的(きんしがんてき)なのだ。目の前のことを実際以上に重く(とら)えてしまう。


 ――相手の比重が大き過ぎるのだ。


 シフォンの横顔を思い出し、リクは戦慄(せんりつ)に似た感覚に身を震わした。


 シャンティの足元に緋色(ひいろ)の液体が広がる。彼女は真っ直ぐ、戦場へと視線を向けていた。眼光は鋭く、口元は引き結ばれている。


「シャンティ様」咄嗟(とっさ)にリクは口を開いていた。左の胸に強い鼓動(こどう)を感じる。「おれも、参ります」


 自分が衝動的に言葉を発していることは理解していた。それでも、言わずにはいられなかったのである。


 彼女は先ほどの決闘で何体かのスライムを失っている。些細(ささい)なことかもしれないが、戦力は確実に減少しているのだ。


 ――いや、違う。


 こちらに見向きもせず、しかし(とど)まったままの主人を見つめ、リクは(のど)を鳴らした。


 ――おれは、あいつが恐いんだ。


 リクにとってシフォンは、ただただ得体の知れない存在だった。その正確な実力は見通せていない。キマイラを一瞬で肉片に変えた剣術は見事だったが、それは彼女の力をなんら示唆(しさ)していない。


「二度は言わない」


 シャンティは一瞥(いちべつ)もせず、そのたったひと言だけを返した。『でも』や『しかし』といった反語の一切を冷たく拒絶する、平手打ちのような声で。


 やがて緋色の液体が地面を(すべ)るように移動していった。シャンティを乗せて。


 この山岳地帯までノンストップで全軍を運んだ移動手段である。


 シャンティは途中で第一部隊の男を乗せ、あっという間に岩場の影に消えてしまった。


 中途半端に伸ばした手を下ろし、リクは深く深く息をついた。


杞憂(きゆう)であれば――」


 声が、風の(うな)りに消された。


 シャンティの実力は骨身に染みている。実際に(やいば)()わしたのだから間違いない。


 底知れないという意味では、シャンティもシフォンと同じなのだ。身体に隠したスライムではなく、彼女の首を狙っていれば勝てたかもしれない――嘲笑(ちょうしょう)混じりにシャンティが言った台詞だったが、リクは決してそうは思わなかった。もし仮に首を狙ったとしても、意識を切断するには(いた)らなかったことを知っている(・・・・・)


 主人と従者の決闘。そのはじめから終わりまで、シャンティは明らかに手を抜いていた。肝心のところはきっちり守りながら、終始遊んでいた。一度でも刀に斬られれば即敗北の状況で。


 彼女のスライムを無力化することだけが自分に可能な唯一の抵抗だったのだと、リクはとっくに思い知っていた。


 シャンティの底深さを充分知りながらも、しかし、胸中に去来(きょらい)した不安を(ぬぐ)うすべはなかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『スライム』→無害な魔物。詳しくは『10.「使命と責任 ~スライムゼリーを添えて~」』にて


・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ