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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Sinclair.「拷問と離反」

※シンクレール視点の三人称です。

 眠りに落ちる寸前のように白濁(はくだく)していたシンクレールの意識は、強制的な覚醒を(むか)えた。尋常(じんじょう)でない手指の痛みが、彼の眠りを暴力的に覚ましたのである。


「――!!」


 喉から絶叫が(しぼ)り出される。身体が無意識にのたうったが、指先の痛みは一向に減退しない。カッと見開いた目に映るのは、こちらを覗き込むシャンティの顔。同情に()えないといった下がり眉だったが、口の(はし)は小刻みに震えていて、身体の芯から押し寄せる興奮をなんとか抑制(よくせい)しているといった表情だった。そんな現実の映像も、激しく明滅する意識には定着しない。


「痛いねぇ。ごめんねぇ」


 赤ん坊をあやすようなシャンティの声も、彼の耳をただ通過するばかりだった。


 意識は痛みだけを掴んでいる。


 現実のすべてが痛みに上書きされている。


 シンクレールは、自分が今なにをされているのかも分からなかった。猛烈な痛みのなかで、思考はひたすらにまとまりを()いていた。


 (うつむ)いて、表情の見えないリク。横たわるカリオン。シャンティの目の奥の輝き。岩場に貼り付いた色とりどりのスライムたち。シンクレールの視界は()えず移り変わった。


 暴れ狂う視界。自分の絶叫で遠くなる耳。不快な臭気(しゅうき)。意識を強引に()き混ぜる痛覚。


 狂う。狂った。狂ってしまった。嫌だ。嫌。狂っている。


 反射的な語句が彼の頭で繰り返された。


 精神的な凌辱(りょうじょく)は、これまでも経験してきた。トリクシィに拝跪(はいき)していた期間がまさにそれである。風化していく自尊心を傍観(ぼうかん)するような日々だった。隷属(れいぞく)の日々を送っているさなか、シンクレールはこう思ったことがある。肉体的な傷や痛みなんて、精神が負う(きず)に比べたらなんて小さなものだろう、と。自嘲(じちょう)諦念(ていねん)に導かれたその(さと)りがとんでもない間違いだったことを、シンクレールは今この瞬間、身をもって味わっている。直接的な痛みに勝るものなどない。いつか痛みが終わるとしても――たとえば死によって――渦中(かちゅう)にいる間は永遠に続くように思えてならない。自分はあくまでも肉であり、肉を(むしば)む痛みは絶対のものである。脳内で作り出した精神の瑕は感傷(かんしょう)めいた甘い妄想に過ぎず、沈んだ心のための自慰(じい)にほかならない。


 初めて経験する拷問は、彼に新たな悟りを与えつつあった。といっても、千々(ちぢ)に乱れた意識がそれを正確に理解することはなかったが。


 今シンクレールの十指の先には、それぞれ真っ赤な液体――スライムが付着していた。シャンティが背中に貼り付けていた灼熱のスライムである。彼女はシンクレールの指先に、徐々に肉を焦がす程度の温度に調整したスライムを付けたのだ。


 悶絶(もんぜつ)するシンクレール。


 うっとりと観察するシャンティ。


 項垂(うなだ)れたリク。


 いまだ意識の恢復(かいふく)しないカリオン。


 四者四様の時間を過ごしていたが、誰ひとり岩場の外側へと意識を向ける者はいなかった。彼らは、まったく戦場の模様を把握していなかったのである。山岳地帯に(とどろ)く悲鳴の(ぬし)血族たち(・・・・)であることを、シンクレールやカリオンはもちろんのこと、シャンティやリクも関知していなかった。


 乱れた足音が岩場を訪れ、荒い声が響いた。


「シャンティ様!! 報告を――」


 声の主は、シンクレールとシャンティがターン制の決闘をしている最中にも姿を見せた男である。彼は岩場の異様な様子に面食らい、言葉を失った。


 人間の男が二人倒れていて、(かた)や死んだように動かず、片や絶叫している。叫び続ける男の(かたわ)らにしゃがみ込んだシャンティと、膝を突いて俯くリク。側近の血族たちは箱型の肉片と化しており、あちこちに色鮮やかな粘性(ねんせい)の液体がこびりついている。


 ――絶句するに()る状況だった。


「なに?」


 シャンティは首だけで振り返り、不快そうに返した。邪魔するな、という言外の圧力が(あふ)れている。


「これは……どういうことです。シャンティ様のお付きの方々が……」


「質問には答えない。報告があるならさっさとして。私は忙しいの」


 低く(おど)す声は、シンクレールの絶叫に掻き消されることなく響いた。拷問はこの瞬間も続いている。そもそも彼女が直接手を下しているのではなく、スライムを(もち)いているのだから、闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れても苦痛が(さえぎ)られることはない。温度調節されたスライムたちは、律儀(りちぎ)に彼の指先を焦がし続けている。


 男は一拍(いっぱく)だけ逡巡(しゅんじゅん)したのち、口を開いた。


「……報告いたします。第二部隊から第七部隊まで全滅しました。第一部隊も、隊長であるわたしを残して、すべて死者となりました」


 さすがのシャンティも冷静になったのか、無言で立ち上がった。


 たかが人間相手に全滅するような部隊編成はしていない。しかも、ここはまだ王都ですらない。白銀猟兵(ホワイトゴーレム)による犠牲も含め、およそ半数の戦力を失ったなんて、到底(とうてい)彼女に許容出来るものではなかった。


 このときのシンクレールはというと、意識を失いはしなかったものの、声が枯れ果て、絶叫は(かす)れた(あえ)ぎへと変わっていた。


 そんなシンクレールを一瞥(いちべつ)したのち、シャンティは報告者の目の前まで()を進める。二メートル超の高身長ゆえ、男は見上げるかたちになり、彼女は見下ろす構図となった。無表情のためか、(はなは)だ威圧的な様相(ようそう)である。シンクレールの絶叫が途絶え、静寂が訪れたことも、この場の緊張を一層高めていた。


「……そんなに強いの? ここの人間たち」


 呆れ声だった。


 シンクレールの知るところではないが、各部隊の人員――特に第一から第五部隊は精鋭(せいえい)で固められていた。そんな彼らが全滅したとなれば敵方も猛者(もさ)(ぞろ)いだったと推測出来るが、そもそもが鵜呑(うの)みに出来る情報ではない。


 二人の会話はシンクレールの耳にも届いていたが、意識は依然(いぜん)として痛みに侵略されており、断片的な言葉でさえ意味を失った音響でしかなかった。


「敵は確かに人間ですが……たったひとりです」


 男が重々しく告げる。


「は?」


 シャンティの小鼻が小刻みに震えていた。驚きよりも怒りが勝っているらしい。たったひとりの人間に合計七つの部隊が破壊されるなど、許しがたいことなのだろう。「なにやってんの? 寝てたの?」


「い、いえ」


「あのさ、私がパッと見る限りだけど、ここに強い人間なんてひとりもいない。そういうのってあんたも肌で分かるでしょ? なにやってんのよホントにさぁ!!!」


 はじめは抑制されていた怒りが、言葉の末尾で爆発した。


 男は恐怖の色を顔面に浮かべながらも、早口で(まく)し立てる。


「人間ではあるのですが、違うのです」


「違うってなんだよハッキリ言えよポンコツクソバカザコ兵士――」


「シフォンです。シフォンが裏切ったのです」


 シャンティの表情が凍り付き、視線が報告者から戦場へとゆっくり移っていく。谷の入り口で待機していた血族たちの隊列は、明らかに乱れていた。部隊ごとに整列していたはずが、今や(うごめ)く紫の(かたまり)となっている。


 二秒ほどそうやって戦場を睥睨(へいげい)したのち、彼女は(きびす)を返した。


「ごめんね、シンクレールくん」息も()()えなシンクレールへと、足を運ぶ。「急用が出来たから、もう殺すね」


 その言葉は、はっきりとシンクレールの耳を打った。


 殺す。殺してくれる。死ぬ。終わる。もう、痛くなくなる。


 ほとんど反射的に、早く殺してくれ、とさえ思った。


 その直後、彼の意識は限界を(むか)え、ふっつりと消え果てた。




 気絶したシンクレールへと、シャンティが歩み続ける。


「リク。あんたはオジサンのお()りをしなね。シンクレールくんの()わりに、あとでたっぷりいたぶるんだから。逃げたら承知(しょうち)しない」


「逃げません……逃げる理由など、ありません」


「例の秘密、誰にも話すなよ」


「……はい」


 シャンティとシンクレールとは、残り五歩の距離にあった。リクがその五歩を素早く見やって、『今ならば』とほんの一瞬だけ考えたことを、気を失ったシンクレールが知ることはない。


 シフォンの裏切りによって、シャンティはシンクレールにかまっていられなくなった。彼を放置するという選択肢は彼女にはないのだろう。リクはしばし生存を許してもよいが、シンクレールはそうではないということだ。敵味方という立場と、従順さの違いだろう。


 シンクレールに(せま)る死の運命は、もはや岩場の誰にも変え(がた)いものだった。誰もがシャンティに対して無力な存在である。


 しかし――第三者はその限りではない。


 地面から伸びた一本の腕がシンクレールの身体を掴み、彼を地中へと()み込んだ。コンマ一秒の早業(はやわざ)である。シャンティもリクも、確かにその瞬間を目にしていた。


 刹那(せつな)、大斧と化した彼女の腕が、シンクレールの消えた箇所(かしょ)に叩きつけられた。その一撃は巨大な亀裂(きれつ)を作り出したが――暗い岩の隙間に、青年魔術師の姿は影もかたちもなかった。


「ふっっっざけんなよ!!!!」


 主人の激昂(げっこう)は、リクの関心のうちには入っていなかった。彼はただ、なにが起こったのか分からず当惑(とうわく)していたのである。シンクレールを掴んだ腕が、人間や血族とも異なる、ふさふさした毛に(おお)われていたことをぼんやりと思い返すばかりだった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢(フロイライン)」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃以降、生死不明。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて


・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『スライム』→無害な魔物。詳しくは『10.「使命と責任 ~スライムゼリーを添えて~」』にて


・『白銀猟兵(ホワイトゴーレム)』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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