Side Sinclair.「虚しい弾丸」
※シンクレール視点の三人称です。
シンクレールの心中には、怒りをとっくに超越した虚しさがあった。
シャンティの能力を看破したことで、彼女の攻撃が無茶苦茶な方角へ向いてしまったこと。血族たちに対し、今すぐ逃げ出すようにと必死になって呼びかけたにもかかわらず、受け入れてもらえないどころか逆上させてしまったこと。彼女の異常な暴力に対し、なにひとつ止める手立てを持っていなかったこと。
四方五十センチの箱となり、絶命までの時間を苦痛に苛まれながら過ごすことを運命づけられてしまった者たちを眺め、シンクレールはあまりの無力感に呆然としていた。こうならないために手を尽くした事実があるからこそ、徒労感は巨大な波となって押し寄せてくる。
いかにも、彼は無力だった。
魔力は枯渇寸前。たとえ魔術を展開したとしても、このグロテスクな悲劇を止められたかは怪しい。
号泣して頼み込んだならばどうだったか。きっと彼女は、涙するシンクレールに同情の言葉を振りまきながらも、やはり身内を箱に変えただろう。
いかに悲嘆に暮れようとも、当人に出来ることは決まっている。仕方ないとしか言いようのない状況なのだ。そうやって物事を上手に諦めて、忘れ去るのが賢いのだという考え方もある。割り切ることを強さと呼んだりもする。
「クロエは」
ほとんど無意識のうちに、シンクレールは声に出していた。
「クロエは、なにも諦めたりしなかった」
少なくとも、感情喪失前のクロエは。傷を負い、血を流しながら、一歩一歩前進するその姿こそが、シンクレールにとってのクロエだった。
――正義の芯を持ち続けて進んだからこそ、今があるんじゃないか?
――仕方ないなんて思ったら、ずっと前に終わってたはずだ。
――僕だってきっと、トリクシィに反抗しなかったはずだ。
クロエに感化されたからこそ、自分はここまで来られた。眼前の圧倒的な残虐性に対して、折れるつもりなんてない。そんなふうに言い聞かせても、シンクレールの心から虚しさの影は消えなかった。
ただ、虚無感に包まれていても、今この瞬間にすべきことを彼は理解していた。
岩場に流れる呻き声を、終わらせてやらなければならない。
「氷の……散弾」
這いつくばりながら、片手を真上に掲げる。するとシンクレールの頭上にひび割れた氷塊が形成され、シャンティへと放たれた。――といっても、ゆるゆるとした、老人の歩行ほどの速度である。
「ボロボロじゃん」
そう言って、シャンティは短く笑った。血族たちの攻撃に対して見せたような防御手段を取る気配はない。
かといって、傷を負うつもりもないのだろう。そもそも彼女はスライムで肌を薄く覆っている。それが防御膜となって決闘中も無傷でいられたのは、シンクレールもとうに察していた。血族たちの攻撃をあえて別のスライムで防いだのは、彼らの攻撃がそれなりに苛烈だったことを示している。要するに、シンクレールの魔術は彼女にとって些末な攻撃でしかないのだ。
氷塊が間近に迫ると、彼女は両腕を大きく広げて目を閉じた。お好きにどうぞ、とでも言いたげに。
「弾けろ!」
彼女の鼻先で氷塊が砕け、細かな弾丸となって散った。
シャンティの全身を小さな氷の粒が襲ったが、いずれも表皮のスライムを貫通することなく、着弾と同時に霧散していく。
「う~ん。マッサージありが――」
目を開くと同時に、彼女の言葉が途切れた。シンクレールの放った氷の弾丸が、標的に残らず命中していたことを把握したのだろう。
弾丸は、箱となった血族たちをひとつ残らず撃ち抜いていた。
呻き声は消えている。
命もまた、絶たれた。
そこにはもう苦痛はない。
「優しいね、シンクレールくん。助けようとしてた相手を殺した気分はどう?」
「……虚しいよ」
言って、シンクレールはうつ伏せに倒れた。もう身体のどこにも力が入らない。小指サイズの氷だって作り出せやしない。ただ意識が途絶えるのを待つような状態にあった。
ただ、目だけは開いていて、シャンティの足から視線を離すことはなかった。だからだろう。岩場中に広がった紫色の液体――スライムが彼女の踵のあたりに吸い込まれていく様が見えた。
ものの数秒で、岩場はもとの素っ気ない褪せた色彩に戻った。
「さて、と」
シャンティが一歩、シンクレールへと近づく。
「そこで寝てるオジサンは後で殺すとして……シンクレールくんはもう戦えそうにないよね」
寝てるオジサンというのはカリオンのことだろう。彼もシャンティによって殺される運命にあることを、シンクレールは歯痒く思った。そして、どうか折れないように、と願うばかりである。死は敗北ではない。その意思を、最期までもっていてほしかった。
「どうしようかな。先にリクにしよっか? それとも、後のほうがいい?」
後。
先。
それが殺害する順番を示していることくらい、シンクレールは痛いほど分かっていた。
――僕を先にやれ。
そう言おうとしたが、声になってくれなかった。
シンクレールの頭上で、声が淡々と降り注ぐ。
「おれから始末してください」
――駄目だ。
「そう。リクは随分大人しいじゃん。シンクレールくんを守ってくれたのはありがとうだけど、なんか企んでるんじゃないの?」
「いえ。俺はシャンティ様の従僕です」
「従僕ね……。そう言えばさ、シンクレールくんを守ったとき、みんなに対してなんか言ってたよね。私に代わって咎めるとかなんとか。リクにそんな権利あるの?」
「そうは言っておりません。勝手な真似をする者を咎めると言ったのです。シャンティ様に代わってなどとは――」
「あのさ、私、あんたのそういうところが嫌いなんだけど。口答えしないでくれない? シンクレールくんを守ったのは偉いと思うけど、あんたのそういう言い分って、ホント、嫌い」
「……申し訳ございません」
「申し訳ないなら、どうすればいいか分かってるよね?」
シャンティの爪先が持ち上がるのが、シンクレールの目に映った。リクが跪き、虚ろな目をしてそれを舐める様子も。一瞬だけ目が合ったが、リクはすぐに視線を逸らした。
これから自分を殺す相手の靴を舐める。そこになんの意味があるのか、シンクレールにはまるで理解出来なかった。ここまできて従僕たらんとする彼の意志もまた、狂気的だと感じたほどである。
「もういい、逆に汚れる」シャンティは爪先で彼の鼻を軽く蹴りつけ、足を引いた。「立って、私と戦ってよ。本気で」
「それはどういう意味でしょう……」
リクと同じく、シンクレールも当惑していた。
殺すのではなく、戦う?
シャンティは苛立った口調で返した。「いや、分かるでしょ。馬鹿なの? 私はこれまで誰にも能力を見破られたりしなかったの。そうならないように力を制御してきたってわけ。だから、全力出して戦ったことなんて一回もないの」
「はぁ」
「……次『はぁ』って言ったら許さないから」
「申し訳ございません」
跪いたままのリクが、彼女の靴に顔を寄せる。が、舐める前に蹴り飛ばされた。
「もう舐めんなっての。気持ち悪い。……いい? 私だって全開で戦ってみたい気持ちはあるの。そのチャンスなんだから、本気で相手しなさいって言ってるの」
「本気で、ですか?」
「そう。勝ったらなにもかも思い通りよ。私の土地だって全部リクにあげちゃう。お望みなら、金輪際私に服従しなくてもいい。腹癒せにリクの故郷を潰したりなんてしない。口約束だけど、魅力的な取引じゃない?」
リクが立ち上がり、その顔がシンクレールの視界から外れた。
今、彼がどんな表情をしているかは分からない。が、声は決然としていた。
「それでは、私が勝ったら――」
シンクレールを殺さないと約束してください。
リクは、はっきりとそう言った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃以降、生死不明。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて




