表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
1291/1459

Side Sinclair.「簒奪卿のワンダーランド」

※シンクレール視点の三人称です。

「私が今どんな気分か分かる? さっきまではそれなりに悲しい気持ちだったんだよ。嘘じゃなくてさ。だって、そうでしょ? ずっと私に尽くしてくれたみんなを殺さなきゃならなくなったんだから、私が一番辛いに決まってるよね?」


氷獄(コフィン)』から解放されたシャンティだけが、淡々と言葉を(つむ)いでいた。彼女を除き、岩場には誰の声もない。


 血族たちは、再び自由の身になった主人を凝然(ぎょうぜん)と見つめ、気付かれないようになんとかしてこの場から逃げ出そうと画策(かくさく)している様子である。そろりそろりと足を持ち上げようとしていたが、しかし、紫色の液体は一向に()がれてはくれない。


 シンクレールも口を閉ざし、彼女の姿を(なが)めるばかりであったが、行動を起こさないというよりは起こせない状態だった。蓄積(ちくせき)した疲労に()し潰されそうだったのである。二重の『氷獄(コフィン)』と、つい先ほど展開した氷の魔術により、彼の魔力は枯渇(こかつ)寸前の状況だった。流れ続けるシャンティの声が耳の奥で(いびつ)にねじ曲がり、反響し、酩酊(めいてい)に似た気分の悪さをもたらしている。


「シンクレールくんが作った氷の箱のなかで」シャンティは、地面に両手を突いて荒い呼吸を繰り返すシンクレールを一瞥(いちべつ)してから、視線を血族たちへと巡らせた。「全部見てたし、聴いてたよ」


氷獄(コフィン)』は対象の意識を奪い去る魔術ではない。あくまでも氷によって拘束し、物理的な生命活動を停滞させる効果がある。しかしながら、視覚や聴覚といった一部器官と、それらを処理する意識は休眠しないことが王都の魔術研究によっても明らかになっている。が、血族たちはそれを知らなかったのだろう。一瞬の()を置いて互いに顔を見合わせると、(うなず)きあった。


 血族のひとり――屏風岩(びょうぶいわ)の上に立った男が声を張り上げる。


「シャンティ様! ご承知(しょうち)のことと思いますが、我々はその人間を始末しようと力を尽くしました! それをリクが(さまた)げたのです! あろうことか、人間の味方をした! どうか、我々の尽力を()んで――」


「頼んでないよね?」


 冷え冷えとした声が、男の言葉を(さえぎ)った。


 彼は面食(めんく)らい、しばし絶句していたが、もつれた舌で再び返す。


「そ、その人間を逃がすわけにはいかないと思ったのです! シャンティ様の身動きが封じられている以上、逃走を(はば)むのは我々の役目ではありませんか!」


「逆だよね。シンクレールくんはみんなを逃がそうとしたじゃん」


「それこそが奴の計略なのです! 奴が安全に逃げるためには、我々の排除が必要なのは道理でしょう。ですから、奴は我々の心につけ入ろうとしたのです! 結果はご覧いただいた通り。敵の言葉に(ほだ)された裏切り者はリクただひとりです。シャンティ様のことですから、さぞやリクにお怒りのことと(ぞん)じます。お手を(わずら)わせるわけにも参りませんので、我々に万事(ばんじ)お任せください。必ずや裏切り者と、醜い人間とを成敗いたします。そのために、まずは我々の拘束を――」


「うっせぇ。黙れよ」


 シャンティの一喝(いっかつ)で、再び岩場に静寂が満ちた。屏風岩の男は青褪(あおざ)めた顔で、口を半開きにしている。


「私がどんな気分か、全然分かってないじゃん。なんなの? グズグズグズグズ言い訳ばっかりで、イライラする。……ねえ! イラついてんだよ! 勝手なことばっかして、勝手な言い分並べて!」


 言葉を切って、シャンティはリクとシンクレールのほうへと顔を向けた。


「シンクレールくんとリクには、イラついてないからね。シンクレールくんは敵にだって優しいし、リクはその優しさを正しいと思ったんだよね? それってすごく、偉いと思う」


 シャンティの表情はさながら慈母(じぼ)のごとく、柔和(にゅうわ)に変化していた。血族たちに苛立(いらだ)ちをぶちまけていたときの顔つきとはまるで違っている。


 依然(いぜん)として疲労困憊(こんぱい)の極みにあるシンクレールだが、彼女の言葉はちゃんと耳に届いていた。だからこそ、『もしかして』と考えてしまう。


 もしかして、僕とリクだけは見逃してくれるんじゃないか。


 もし本当にそうなるなら、喜ばしいことだった。生き延びられることへの安堵(あんど)ではなく、魔力を回復するだけの充分な時間を得たのちに、再び寝首を()くチャンスが生まれるのではないかという期待からくる感情である。


 実際、そうなる可能性は高かった。


 一般的に考えて、敵の正当な意志と行動に心打たれながら(なお)も殺意を向け続けるのは難しい。自分は間違っていましたと天を(あお)ぎ、剣を捨てて手を取ろうとする誘惑は、なかなかどうして(あらが)(がら)いものがある。敵に正当性を認めた瞬間から、自己矛盾や罪悪感といった厄介な精神的格闘を脳内で演じなければならないし、正しい相手に刃を向けた記憶は、心の傷となって、いつまでも癒えることなく()む。自分が悪党であることに慣れきっていて、正しさに(かえ)って価値がないという思想を(いだ)いているのならこの限りではないが、シャンティはそのような人格ではない。もっと奇怪なかたちに変質した心を持っていることを、シンクレールは知ることとなる。


「二人は偉いよ。だから――誰よりも不幸にならなきゃいけない」


 シンクレールは耳を疑った。


 まるっきり意味が分からない。まったく(すじ)が通らない。


 彼が混乱を(しず)めるより前に、シャンティが続ける。


「シンクレールくんは、みんなが私に殺されるのは我慢ならない。リクは、なるべく苦しまないようにみんなを殺してほしいと思ってる。……だからね、とびっきり苦しいやり方で殺すことにするよ。ご立派な二人のせいで、みんなは本来感じなくて済む苦痛をたっぷり味わうことになるの。それを見て、二人はやりきれない気持ちになるよね? それってすごく、不幸だと思わない?」


 凍結した地面の上で、シンクレールは拳を握った。なんとか立ち上がろうとしても、四つ這いになるので精一杯である。せめて彼女に反論しようかとも思ったが、異常な理屈に対して効果的な反論などそもそも存在し得ないものだ。この状況において彼に出来ることは、少ないながら生まれた時間を魔力の回復に()てるくらいのことである。


 シンクレールが煩悶(はんもん)している一方で、リクはただその場に立ち尽くしていた。足元の液体はシンクレールの魔術で凍結しているため、自由に身動き出来る状態であったが、彼は(もく)して主人を見つめるばかりである。


 シャンティの側近たちはというと、脂汗(あぶらあせ)を顔面に浮かべ、動揺を(あら)わにしていた。無理もない。これから苦痛の(すえ)に殺されると予告されて平静でいられるはずがなかった。彼らの心が次第(しだい)()る一点へと吸い込まれていったのは自然ななりゆきだろう。


「全員、かまえろ!!」


 このときも、指揮を()ったのは屏風岩の男だった。


「シャンティ様を――シャンティを、殺せ!! 死にたくなけりゃ、殺せ!!」


 悲鳴そっくりな(とき)の声が上がり、いくつもの攻撃が宙を駆けた。つい先ほどシンクレール目掛けて繰り出されたものと同様である。


 (まぎ)れもなく決死の攻撃だった。


 しかし――。


 血族たちの攻撃は、いずれもシャンティに直撃しなかった。いつの()にか彼女の身体をドーム状のスライムが(おお)っていて、攻撃は次々とそれに激突し、鈍い音を立てて地面に落下したのである。その顛末(てんまつ)を見ていたにもかかわらず、血族たちは攻撃の手を(ゆる)めなかった。むしろ恐怖と焦りのためか、怒涛(どとう)のような勢いで連射している。


 そんななか、シャンティはシンクレールに苦笑を向けた。


「あーあ、最低。こんなに(みじ)めで薄汚い連中だったんだ……。ねえ、シンクレールくん。こんなゴミどもでも、やっぱり私が殺すのは間違ってると思う? 同情する?」


「お前が()き付けたんだろ。あいつらがどんな奴かなんて知らないけど、でも、お前に殺されるのは間違ってる」


「そう」


 呟いてから、シャンティは指を鳴らした。その直後、あちこちで短い悲鳴が上がる。


 シンクレールは岩場を見やって、呆然(ぼうぜん)とした。血族たちの足元に淡いブルーのあぶくが発生するや(いな)や、球状に肥大(ひだい)して彼らをそれぞれ包み込んだ。そして、一メートルほど宙に浮かび上がった位置で静止したのである。空中に浮かんだ蒼いスライムのひとつひとつに、血族たちが封じられていた。


「やめてくれ!」

「助けて!」

「嫌だ!」


 くぐもった絶叫が岩場に広がる。


 浮遊するスライムは、白銀猟兵(ホワイトゴーレム)を破壊したものと同じものに見えた。


「スライム・バブル・ワンダーランド、なんてどうかな?」シャンティは嘲笑(ちょうしょう)を浮かべて言う。「シンクレールくんって、いちいち魔術に名前を付けて、しかも使うときに叫ぶでしょ? それの真似(まね)。どうかな? スライム・バブル・ワンダーランド。別の名前がいい?」


 おぞましい絶叫と、ぐしゃり、という音がいくつも鳴り響いた。


 顔を上げていたシンクレールの目に、それら(・・・)ははっきりと映っていた。球状のスライムが一瞬で縮小し、四方五十センチの箱型となって地面に落下するのを。


 スライムが消滅し、箱型となった肉の(かたまり)があちこちに残った。


 愕然(がくぜん)とするシンクレールの耳に、風の音とは違う、(うな)りの重奏が流れ込む。


 五十センチの箱型に圧縮された血族たちは、まだ生きていたのだ。骨が砕かれ、臓器が潰れ、破れた肉から血が(あふ)れ出していても。


「ワンダーランド。いいと思うんだけどなぁ。ほら見て、ビックリ箱がたくさん」


 そう言って、シャンティはけたたましく笑った。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『氷獄(コフィン)』→対象を氷の箱に閉じ込める魔術。閉じ込められた相手は仮死状態になるが、魔術が解ければそれまで通り意識を取り戻す。相手によっては意識を保ったままの場合もある。詳しくは『270.「契約」』にて


・『白銀猟兵(ホワイトゴーレム)』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ