Side Sinclair.「罪と罰と哄笑」
※シンクレール視点の三人称です。
シャンティが右腕に凝固させた大斧は、長さにして二メートルを優に越えていた。彼女の身長ほどのそれが真っ直ぐに天へと掲げられた様は、充分な威圧感を備えている。色は淡く透き通ったブルー。ある種爽快な印象を与える色味であったが、それを打ち消して余りある暴力的容貌だった。
彼女を取り巻く血族たちは、目を見開き、拳を握って硬直していた。その理由のひとつは、シャンティが今まさに作り出した凶器にあるだろう。しかし彼らの胸中に渦巻く動揺は、決してそれだけに起因しているわけではなかった。自分たちの主人が、スライムなどという下等な生物を使役していると認めたことの衝撃は大きい。そしてなにより、先ほど彼女の口からこぼれた『みんな殺さなきゃ』という言葉に思考を奪い去られていた。血族たちの表情は、複数の要素が衝突し合って生まれた『困惑』と『唖然』に彩られている。
「シャンティ様……殺すというのは……」
血族のひとり――年若い男が喘ぐように言う。すると彼女は振り返って眉尻を下げた。いかにも残念そうに。
「だって、隠しておきたいことだからね。知られた以上は生かしておけないでしょ。もちろん私だって哀しいよ? でも、しょうがないじゃん」
血族たちの紫色の肌が蒼白になる瞬間を、シンクレールははじめて目にした。無論、色合い自体に大きな変化はないのだが、血の気の失せた様相には『蒼白』と言っていいだけの落差があった。
ざ、と砂を擦る音が響く。
彼女の側近のひとりが後ずさりしたのだ。まだ本格的な逃避ではないものの、その前兆ではあった。
「大人しくしてくれたら痛くないように殺す。でも、逃げたらきっと苦しいよ」
彼女の声に悦楽の響きはない。それゆえ、シンクレールは本当に彼女が残念がっているのだと悟った。彼女の悲哀はポーズではない。
とかく敵の多い立場だからこそ、自分の能力をひた隠しにしたいという想いはシンクレールにもある程度理解出来るものだった。だからといって、口封じのために味方を惨殺するなんて認められるはずがない。
「氷の矢!」
シンクレールの周囲にいくつもの氷柱が形成され、間を置かず放たれた。標的はもちろんシャンティである。
二十もの氷が一斉に彼女の身体にぶつかり――しかし、突き刺さることはなかった。命中した氷は彼女の身に傷ひとつ付けることなく地面に落下していく。
シャンティは血族たちのほうを向いたまま、大斧を下ろすこともなく、激突の衝撃によろめくことさえなかった。攻撃などはじめからなかったもののように、なんの反応もしない。
「みんなのことは信用してるよ。きっと、私の能力のことを言い触らしたりはしない」
「そ、そうですとも! ですから――」
「でもね、駄目なんだよ。例外はナシ。信用とか感謝とか、そういうのとは全然別の話なんだけど、分かるかな?」
なにを言っても説得なんて出来やしない。それが男にも分かったのだろう。意気込んだ表情が、溶けるように緩んでいく。なんとか直立してはいるものの、今にも崩れ落ちそうな雰囲気だった。
皆が皆、彼と同じように呆けていたわけではない。理不尽な運命を耐え忍ぶために歯を食い縛る者もいれば、屏風岩に身体を預けて周囲を俯瞰する者、ひたすら俯いて唇を噛む者、なにもかも諦めたのか無表情で立ち尽くす者もいた。
――そして、踵を返して駆け出した者がひとり。
「殺されてたまるか!!」
逃げ出した男は、鮮やかな金髪だった。燦々と降り注ぐ陽光が彼の頭部を一層煌びやかに見せている。
身体つきはこの場の誰よりも――倒れているカリオンを除き――精悍で、しかし、最前の叫びはひどく甲高かった。
彼が三歩も歩かないうちにあげた悲鳴もまた、金属を引っ掻くような高音だった。
大斧と化した右腕の反対――シャンティの左腕から伸びた半透明の触手が、逃げ出した男を絡め取っていた。彼の身体は二メートルほど上空に持ち上げられ、両手足を激しくばたつかせているものだから、さながら昆虫のもがきに似ている。
「やめろ!!」
思わず声を張り上げたシンクレールを、シャンティはちらと一瞥した。口元には皮肉っぽい笑みが浮かんでいる。
「こんなときでも優しいね、眼鏡男子は」
触手がどんどんと数を増し、互いに密着しながら空中の男を包み込んでいく。その様子を見ていると、シンクレールは動悸を感じて仕方なかった。
「そういうのは僕を殺してからやればいいだろ!」
「そう思うなら、頑張って止めてみれば?」
シャンティの返す言葉を耳にして、シンクレールは右腕に魔力を集中させた。「そうさせてもらう。――氷衣!!」
幅広な氷の剣が、彼の手中に顕現した。これまで何度もクロエ相手に試してきた、即席の武器である。魔術というものは、ほとんど例外なく、使用すればするほど熟達するものだ。今この瞬間シンクレールが作り出した刃は、生成速度からは考えられないほどの硬度と切れ味を有していた。
踏み出す勢いで刃を引き、一気に振り抜く。氷の刀身が描く軌跡は、彼女の左腕の先――触手の根元を目指していた。
――斬った。
刃と触手とが接触する瞬間、シンクレールはそう確信した。
だが、結果は無残なものである。
刃が触手に接するや否や、勢いのすべてが押し返された。刃は軌跡を逆側に辿り、剣を掴んだシンクレールを伴って岩場に突き刺さったのである。
まるで重厚なゴムにぶつかったような感触だった。
「シンクレールくんは黙って見てればいいよ。どうせなにも出来ないんだから」
せせら笑いが彼の耳を刺激する。
鋭い氷柱も氷の刃も、シャンティには通用しない。そしておそらくは大掛かりな攻撃も大した意味を持たないだろう。決闘中、彼女はシンクレールの攻撃をすべて凌ぎ切ったのである。その異常な防御力がスライムによるものであることに、もはや疑いの余地はない。
逃避。
それがシンクレールに残されたもっとも有効な手段だったろう。この場をなんとかして離れて、エイミーと合流し、自分の見聞きしたすべてをほかの拠点に連携する。それらの情報には、白銀猟兵が味方に甚大な被害をおよぼす代物である事実も含まれる。要するに、敵前逃亡は彼の取りうるなかでも最善に近い戦略だと言えるのだが――。
「や、やめろぉ! 殺さないでくれぇ!」
血族の男は、今やシャンティの足元に転がっていた。全身を触手にグルグル巻きにされて身動きが取れなくなっている。唯一、首から上だけは自由だった。ゆえに、悲痛そのものの叫びはいささかも減退されない。
「うるさいよ。大きな身体のくせに、情けない。逃げ出して、捕まって、喚いて……ほんと、無様だよね」
ねえ、みんな。
いつもの癖なのか、彼女はギャラリーに呼びかけた。しかし、もう追従笑いは起こらない。この場の誰もが、シャンティではなく男のほうに共感すべき立場にあったからである。
緊迫した静寂のなかでシャンティは、ふっ、と無表情になった。
「シャンティ様」
静けさを縫って声を上げたのは、リクである。いつの間にやら彼は岩場に座り込んでいた。立てた爪先と開いた両膝とで総身を支えており、背筋は真っ直ぐに伸びている。触手に巻かれて嗚咽する男とは対照的な落ち着きを湛えていた。
「なに? 靴を舐めたいなら後にして」
「シャンティ様。何卒、苦しまないように終わらせてやってください」
後生です。
そう言って、彼は地面に額を付けた。
リクの一連の言葉と動きに、シンクレールが呆気に取られたのも無理はない。惑乱する一場が、彼によって凛と整ったのである。
シャンティの表情がみるみる和らいでいった。
「そっか。そうだね。逃げたからって、痛い思いをさせるのは間違ってる。リク伯爵の言う通り。ちょっと感心しちゃった。分かった、痛くないように一瞬で終わらせてあげる」
微笑。
そして――。
おぞましい風切り音と、骨を砕く音が響き渡った。
ひとまとまりの音色の直後、甲高い絶叫が響き渡る。
「あは」
彼女の振り下ろした斧は、男の右脚だけを粉砕したのである。
「あはは」
誰もが絶句した空間で、シャンティの哄笑と男の悲鳴が溶け合っていく。
「罪には罰が必要。当たり前じゃん。なに馬鹿なこと言ってんの?」
この場でもっとも罪深い者の発した言葉を聞いて、シンクレールは最善策を捨て去ることに決めた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『氷衣』→氷を成形し、武器や鎧として扱う魔術。詳しくは『269.「後悔よりも強く」』にて
・『氷の矢』→氷柱を放つ魔術。初出は『269.「後悔よりも強く」』
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『スライム』→無害な魔物。詳しくは『10.「使命と責任 ~スライムゼリーを添えて~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて