Side Riku.「骨しか残らない」
※リク視点の三人称です。
倒れたカリオンを挟んで、シンクレールとリクの視線がぶつかった。谷底から湧き上がる咆哮が、岩場を微細に振動させている。魔物の唸り声や刃の立てる金属音――そうした戦場の喧騒とは打って変わって、二人の男は静かにお互いの姿を見つめていた。
今、岩場にいるのは実質二人だけである。
ほかに血族はおらず、闖入者であるカリオンも意識を失って倒れている。
マシモフの死亡により、シンクレールを縛っていた誓約という名の鎖も消えている。
お互い敵陣営である以上、戦う動機も充分に備えていた。
「だんまりか? シンクレール」
そう言って、リクは皮肉っぽく微笑んだ。
「黙ったっていいじゃないか、別に」
一方、シンクレールはくすりとも笑うことなく真顔で言い放った。先ほど血族たちを排除したときと同じ、膝を突いた姿勢を崩そうともしない。
リクは当然、刀を納めようとはしなかった。相手は魔術師である。たとえ座り込んでいても攻撃の手段はいくらでもあるのだ。
警戒心を隠さないリクを前に、シンクレールは岩場に尻を据え、あぐらを組んで見せた。
「言っておくけど」シンクレールは脱力した調子で言う。「君と戦うつもりはない」
「なぜだ?」
リクが思わず眉間に皺を寄せたのも無理からぬことである。マシモフの誓約によって実現こそしなかったが、少し前にシンクレールはリクに魔術を放とうとしたのである。敵同士という理由で。その前提は今も崩れてはいない。しかもマシモフによる縛りから解放されたことに加え、ほかに血族がいないという絶好の状況である。攻撃しない理由を見つけ出すほうがよほど困難だろう。
シンクレールはリクから視線を外し、山岳地帯に蠢く血族たちを見やった。
「さっきカリオンが言った通りさ。僕は卑怯者だからね、シャンティに従っておくのが一番いいと思っただけだよ。それに、さっき色々言われて気付いたんだ。僕はカリオンみたいに死ぬまで戦い続ける覚悟なんてないんだ、って。もっと正直に言うと、彼の生き方が虚しいと思ってしまった」
「……なにが虚しいんだ」
「骨しか残らないじゃないか」
懸命に己を鼓舞し、声の限りの雄叫びを上げ、敵を打ちのめし自らも戦場に斃れる。そして残るのは骨であり、それすら朽ち果てて無に帰す。
シンクレールの吐露した卑屈さに、リクは絶句していた。
虐げられる者を思わず庇ってしまった男と、虚ろに戦場を見やる男は、誰が見ても同じ人物だとは思えないだろう。今のシンクレールの姿には戦意の欠片も見出せない。
「なあ、リク。今の僕の態度を、ちゃんとシャンティに報告してくれよ。戦うことも逃げ出すことも出来たのにシャンティに従うことを選んだ、って。こういうことは自分から言ったら嘘みたいに聞こえるものだからね」
この言葉に、リクはますます当惑を強めた。それほどまでにカリオンの言葉が空虚を引き出してしまったのか、と苦々しく思いさえした。
完全に牙の折れた男の姿は、周囲の者に怒りと落胆を与える。たとえ敵であろうとも。
一転して従順になってしまったシンクレールに、リクはふつふつと憤りを感じた。
「……従ったところで、今のお前の態度では未来はないぞ。シャンティ様がどうしてお前を気に入ったか分かるか?」
「眼鏡をかけてるから」
「……それも好みとしてあるだろうが、些事だ。あのお方は反骨精神を重視している。従順なだけの存在ならば、すぐに飽きられてしまうだろう」
「君みたいにかい? ――おいおい、物騒な真似はやめてくれよ」
一歩踏み出し、刀を振りかぶった姿勢でリクは動きを止めた。そんな彼へと、シンクレールが笑いかける。
「図星を突かれたからって、戦意のない相手を攻撃するのはみっともないじゃないか」
リクはかぶりを振り、刃を下ろした。深いため息がこぼれる。
「……シャンティ様には、誇張なく一切を伝えよう。お前が我々の仲間を谷底に突き落としたことも」
「ああ、それは」へらついた笑みを浮かべて、シンクレールは言った。「君を助けただけだよ。恩着せがましいことを言うつもりはないけど、事実だからね。あの血族たちは君ごとカリオンを攻撃しようとしていた。だから僕が咄嗟に対処したんだ。それと、万が一カリオンが死んでしまったら手土産がなくなるだろ?」
手土産。
それが意識を失ったカリオンを指す言葉であることは、明らかである。
リクはもはや、シンクレールに対して軽蔑に近い感情を抱きつつあった。自らの過去を語ったのを悔いたほどである。
「カリオンの意識を奪ったのは君さ。だから手柄は君のものだけど、でも、僕だってひと役買ったわけだから、そこは事実として伝えてくれるよな? なにも君の取り分を奪おうってわけじゃない。ただ、実質二人で協力して生け捕りにしたようなものだからさ」
「お前に羞恥心はないのか?」
「さっき吹き飛んだよ。カリオンのおかげでね。目が覚めたと言うほうが正しいかもな」
リクは口を開きかけて、再び閉じた。『演技だと言ってくれないか?』と言おうとしたのだ。が、その言葉の虚しさに気付き、口にはしなかった。つい数時間前に敵を庇ったような男が、今や嬉々として味方を供物にしようとしている様子は醜悪としか言いようがないだろう。
「ところで、君はいったいシャンティのなんなんだい?」
「……従者だ」
「自分の土地を守ってもらった代わりに服従していたんだろ? それもマシモフの誓約なわけだから、もうシャンティに従う理由なんてないんじゃないか?」
それを聞いて、リクの瞳に小さな輝きが灯った。よもやシンクレールは、自分を懐柔しようとしているのではないか――そう思ったからだ。
そう考えると、一連の卑劣な会話もすべて演技だということになる。それはすなわち、彼の心に依然として義侠心が宿っていることの証明でもある。
リクはシンクレールに靡くつもりなどまったくなかったが、しかし、彼が潔い人格であって欲しいと願っているのも事実だった。
「お前は私を自陣に引き入れたいのだな? 随分と迂遠な言葉を弄したじゃないか。生憎だが、その手には乗らん。分かったら底の浅い演技をやめるがいい」
「なに言ってるんだ、君は。自陣もなにも、僕はシャンティにひれ伏してるんだよ。もう戦争とかどうでもいい。……僕はね、愛されたいんだ。シャンティに愛されたい。だから、君みたいな下僕がそばにいるのは、はっきり言って不快なんだよ。シャンティに虐げられるのも愛されるのも、どっちも僕でありたいんだ。自分だけを見ていて欲しいって思うのは普通だろ?」
垣間見えた希望がハリボテだったと悟ったのだろう、リクはまたも絶句した。そして、瞳に灯った微かな光も瞬時に消え去った。
薄く開いたリクの唇から、吐息交じりの言葉が漏れ出す。
「こうなる前に殺すべきだった」
それはリクの本心からの声だったが、意識して口にしたわけではない。むしろ胸の裡に留めておくべき内心の声だった。
リクは唇を引き結んで、ぎゅっと目をつむった。それから彼は目を開けようとはせず、黒に染まった視界に耐えるごとく、苦しげに顔をしかめていた。これまでシンクレールから決して目を逸らさず、刀を納めることもしなかったのは、彼の攻撃に備えるためである。それゆえ、リクの瞑目にはある種の祈りが籠っていると言えよう。
どうか、攻勢に転じてくれるように。
どうか、逃げてくれるように。
刻一刻と時間が過ぎていく。
やがてリクは暗闇のなか、接近するいくつかの足音を聞いた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて




