Side Sinclair.「監獄長カリオン」
※シンクレール視点の三人称です。
真っ二つになったマシモフの亡骸が地に倒れるより前に、シンクレールは猛烈な勢いで胸倉を掴まれた。相手は前線基地第二部隊長――カリオンである。
この場の誰より化け物じみた相貌が、シンクレールの眼に大写しになった。
「貴様!!!」
迸った怒声が耳をつんざく。
唾の飛沫が顔に降る。
「敵に拝跪するなど、どういう料簡だ!!! 恥を知れ小僧!! 貴様は総隊長だろうが!! いの一番に蛮族に立ち向かい、敵の血を浴びて死ぬのが名誉であるとなぜ分からんのだ!!!」
緊迫した喉を、ひと塊の唾が降りていく。シンクレールに自覚はなかったが、彼の口元は歪に引き締まり、目は見開かれていた。
「命ある限り戦うのが戦士だろうが!! 心まで軟弱なのか貴様は!!」
カリオンの姿が揺れて見えたのは、シンクレールの瞳が荒く痙攣したからである。
「先ほど『負けた』と言ったな? 結構、貴様は負け犬だ。だが我らは違う! 戦うことを止めなければ負けることはない! 命の有無など問題ではない! 意志ある者は永遠に負けることなどないのだ!!」
この狂犬じみた猛威は、オブライエンの施した洗脳によるものではない。
カリオン。正式に言うならば、監獄長カリオン。王都の獄吏を束ねる存在であり、獄中の空き部屋に寝起きする奇特な人物である。不正を許さず、与えられた役割をどこまでも遵守し、不測の事態に備えて普段から鍛錬を怠らない態度は、囚人以上に同僚から恐れられていた。
今回の戦争で彼が前線基地に送られたのは、彼自身の要望によるところが大きい。王都の人々を守るため、もっとも多くを支払う必要のある場所――それが前線基地であると分かっていたからである。死を前にして猛然と立ち向かえる者は自分以外にないという自負もあった。監獄長という立場上、王都を離れるのは決して好ましいことではなかったが、彼の熱意と圧倒的な人手不足により、要望が叶ったのである。
前線基地の治安には不快感を募らせていたが、総隊長が別にいる以上、強いて兵士たちに規律を押し付けることはしなかった。自分の上に立つ者の方針には、よほどのことがない限り逆らわない男でもある。そんな彼でも、今のシンクレールは到底看過出来なかったのだろう。かくして、言葉の嵐が吹き荒んでいる。
リクを含め、岩場の血族は怒りの一幕を注視していた。マシモフと酒盛りをしていた血族たちは背後からカリオンを狙っているものの、濛々と湯気を上げる背中を見据えて、警戒心から動けずにいる。リクはシンクレールからわずか数メートルの位置におり、したがって一秒もあれば踏み込んでカリオンを斬ることは可能であったが、刀の柄に手を添えたきり微動だにしなかった。ほかの血族と同様に、カリオンの迫力に負けた――のではない。目の前で繰り広げられている仲間割れに少なからず当惑していたのである。死ぬまで戦うことを良しとする精神性にも面食らっていた。
「非力は、かまわん。地を転げるのもよい。しかし、頭を上げるのが本当だろうが! 手足をもがれようとも、敵の首筋に噛みつくのが真の人間だ!」
「それが、作戦を無視した理由なのか?」
カリオンの息継ぎの間に、シンクレールははっきりと返した。自分でも不思議なほど、その声に震えはなかった。
口にしてから、彼は気付く。
――ああ、僕は怒っていたのか。
――でも、なにに対して?
――命令を無視されたことは、もちろん憤ってる。でもそれだけじゃない。
――僕は、僕は。
「なにもかも、台無しになったんだ。それでも僕は、出来る限りのことをやった。たったひとりで敵の大将と戦って、有益な情報を握って……。もうおしまいだと思ってしまう状況でも、出来ることを探して躍起になってる。それを勝手に、総隊長失格だとか負け犬だとか、はじめから僕を信用してなかったとか、無責任だとか、不名誉だとか、恥だとか、無能だとか、そんな言い方って卑怯じゃないか」
――自分に怒ってるんだ。カリオンやほかの兵士たちみたいに、一直線に死ねない自分が恥ずかしくて、情けなくて。シャンティにキスされて少しでも舞い上がってた自分が心底馬鹿みたいで、なのにそんな自分を大事に思ってるのも事実だから、嫌なんだ。全部の自分が本物で、だから悔しくて仕方ないんだ。たったひとつを純粋に信じているカリオンに嫉妬してもいる。
「卑怯者は貴様だ。もう知らん」
カリオンの言葉は、先刻の怒涛のごとき調子とは一転し、冷徹そのものだった。
シンクレールが脱力するのと、カリオンが手を離したのは同時だった。総隊長の細い膝が、ストンと地を打つ。
カリオンの言葉に絶望したわけではなかった。突き放されたことの衝撃で頭に空白が生まれ、肉体の制御を失ったのである。問題は、その空白になにが満ちるかにある。
シンクレールが膝を突いてから一秒もしないうちに、遠くでくぐもった爆裂音が鳴った。シャンティが最後の白銀猟兵を討ったのだろう。例の奇妙な液体に包み込んで、周囲の犠牲を抑えて討伐しおおせたに違いない。
やがてシンクレールの耳は、激しい金属音を聴いた。すぐ間近で響いている。息つく暇もなく、連続で。それがリクとカリオンの交わす斬撃であることは、考えずとも理解出来た。
「醜い蛮族め! 死ぬがいい!!」
カリオンの咆哮は谷底の兵士たちと同様、狂気的な力が宿っていた。先ほど垣間見えた冷厳さも、燃え上がるような意志の怒りも、そこにはない。狂気と敵意だけがある。
ほんの一時であれ、オブライエンの施した洗脳をカリオンが破ったことを、シンクレールは知らない。ただ、声の背後にある感情の差異だけは敏感に読み取っていた。
「お前のほうがよほど蛮族に見える」
リクの声は、呼吸の余裕を窺わせた。
「貴様らは、死滅すべき劣等種だ!!!」
一方でカリオンの呼吸には乱れがある。が、哀れな印象はまったくなかった。言葉こそ妄信的であるが、憐憫を強烈に拒絶する膂力が、その声に漲っている。
ようやくシンクレールは顔を上げ、すぐそばで展開される剣戟を見た。
躍動するカリオンと、冷静にいなすリク。どこまでも対照的な姿だった。かといってリクに戦闘の意志がないようには見えない。カリオンの連撃を捌きつつ、一刀を入れる隙を窺っている様子である。
カリオンの攻撃は無暗に力が入っていて無駄な動きも多かったが、恵まれた肉体で息つく暇もなく連続攻撃を仕掛けるものだから、反撃の機会そのものを相手に与えていない。
「おい、今のうちにやっちまうか」
「ああ、遠隔魔術で一気に……」
「リクに当たったってかまいやしねえ」
岩場に残った三人の血族が、めいめい、魔力を腕に集中させる。それを察して、シンクレールの身体は自然と魔力を織りなしていた。彼らよりもずっと速く。
シンクレールの右手が、血族たちへと突き出された。
「氷の矢」
放たれた氷柱に、三人の血族は魔力の集中を中断して回避に出た。三人が三人とも、足元へと集中的に降り注ぐ氷柱に対し、思わず後方に跳んだのである。
前に突き出した右手とは別に、地面に触れた左手に、シンクレールが別種の魔力を編んでいたことを、三人のうち誰も気付かなかった。
「氷の跳ね戸」
宙に跳ねた三人の足が地面に到達した瞬間、彼らの身体は再び宙に放り出された。着地地点の足場に氷の板が出現し、それが勢いよく跳ね上がったのである。
三人の描いた放物線は、見事に屏風岩の先――谷へと落下していった。
谷底の兵士たちの飢えた咆哮が、狂気的に高まったのは言うまでもない。
その直後。
「貴様らは例外なく消――」
カリオンの激した声が途絶え、鎧が地を打つ重たい音が鳴り響く。
地に伏してぴくりとも動かないカリオンの横で、リクが深いため息をついた。
星ひとつない偽物の夜の下。死を与えることのない刃が、監獄長の意識を断ち切ったのである。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『氷の矢』→氷柱を放つ魔術。初出は『269.「後悔よりも強く」』
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




