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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Sinclair.「曰く、ノーカウント」

※シンクレール視点の三人称です。

 最初に見えたのは、黒だった。


 シンクレールははじめ、自分が真っ暗闇の室内で仰向(あおむ)けになっているように錯覚した。なんの光も見出せない黒の連なりに圧迫感を覚え、脳が咄嗟(とっさ)に、闇の奥には天井があるのだと錯誤(さくご)したのである。


 ひと粒の星も見えない夜空は、不気味な重苦しさで広がっていた。本物の夜(・・・・)の持つ透明感はそこにはない。シンクレールは、自分の目にしている暗闇が偽物なのだとしみじみ(さと)った。今はきっと真昼で、光に満ち満ちている。血族の一団が夜を連れてきて、自分はその偽物の時空間に囚われているのだ、と。


 シャンティと決闘をした岩場で仰向けに横たわっていることを、シンクレールはすでに理解していた。先ほどまで見ていた光景が夢であることも、同じくらい確かだった。


「ふん、ようやく起きたか痩せっぽちめ」


 シンクレールの視界に、ずんぐりした男の顔が入る。髪を七対三でぴっちりと撫でつけ、その下に糸のごとく細い目があった。低い鼻と小さな口の間には、サッと(すみ)を引いたような(ひげ)がある。


 先ほどの決闘を取り仕切っていたマシモフだった。


「まだ動けんか? これだから人間は脆弱(ぜいじゃく)で困る! たかが陸で溺れた(・・・・・)だけではないか」


 マシモフの口調は憤慨(ふんがい)そのものだったが、目には(よろこ)びが貼り付いていた。


 彼の言葉遣いがすっかり変わっていることを、シンクレールはさして意外には思わなかった。意識がなかば以上、先ほどの夢に引きずられていたからである。


 クロエ。


 トリクシィ。


 シャンティ。


 夢の部屋での三人の女性とのやり取りを思い返しているうちに、喉の奥が苦しくなっていく。身体から力が抜けていく。それが寂寥感(せきりょうかん)であることを、シンクレールは認めたくなかった。


「あまりいじめてやるな」


 今度は別の声がする。が、そちらを確かめる気にはなれなかった。シンクレールはただ、(にご)った夜空を背景に、夢の情景をなぞっていたかったのである。


「なんだなんだ、同情しているのか? それともなにかね、この痩せ男に恩を感じているとでも? ……さすがリク伯爵(はくしゃく)閣下(かっか)だ! 義侠心(ぎきょうしん)にかけては右に出る者がいない! 敬意を()めて、靴舐め(きょう)とお呼びしようじゃないか」


 周囲で起こる笑いは、せいぜい数人分だった。先ほどの決闘のときよりも随分と少ない。そうした変化もまた、シンクレールの意識に食い()ることはなく、ただの雑音として耳を刺激するに(とど)まっている。


「つい先ほどまで気を失っていたんだ。少し休ませてやれ。停戦要求はシャンティ様がお戻りになられてからでいいだろう」


貴様(きさま)、人間の味方をするつもりか?」


 食ってかかるマシモフに、思わずといった具合にリクが一笑した。「彼はもうシャンティ様の所有物となった。その意味では、人間かどうかなど関係ない」


 シンクレールの頭のそばで、ひとまとまりの重い地団太が響いた。


「飼い犬風情(ふぜい)が知ったような口を()くな!! ああ、気分が悪い!」


 重たい足音が遠ざかっていく。岩場に残った数名の血族たちのほうへと向かったのである。


 先ほどリクが口にした通り、今この場にシャンティの姿はない。白銀猟兵(ホワイトゴーレム)の始末に向かったのである。気絶したシンクレールの見張り役として、七名の血族を残して。そのうち実直な者がリクただひとりであることは、誰が見ても明らかだろう。五人の血族たちは屏風岩(びょうぶいわ)を背にして、猥談(わいだん)(さかな)に一杯やっている。そこにマシモフが加わろうとしているので、シンクレールの見張り役を字義(じぎ)通りに努めているのはリクだけだった。


「気を悪くしただろうな」


 シンクレールの視界の端で、黒の長髪が(なび)いた。横たわる彼の隣に、リクが腰を下ろしたのである。およそ敵同士とは思えない態度だった。


 ――もう戦わなくていいんだよ。


 シャンティが夢の中で口にした言葉を反芻(はんすう)し、シンクレールは顔を(ゆが)めた。自己嫌悪がみるみる心に積もっていく。


 夢の中とはいえ、彼女の言葉に安らぎを覚えた自分がいる。そのことがたまらなく悔しかった。


「許してやってくれ。マシモフの無礼も、シャンティ様のことも」


「シャンティ……?」


 耳に入った彼女の名前を、シンクレールは熱っぽく繰り返した。


「シャンティ様はお前を(はずかし)めるために、あのような方法を取ったのではないのだ。(すみ)やかに勝つためには必要な手段だった」


「手段……」


 意識が途絶(とだ)える直前のことを思い返し、シンクレールは片腕で目を(おお)った。


 シャンティの唇が重なって、それから()もなく呼吸を失い、意識を喪失した。それがすべてである。


 リクは(なぐさ)めとして言ったのだろうが、シンクレールにとって彼女のキスが『手段』という一語に収束するのは、苦痛でしかなかった。


「おれも同じ目に()った」


 シンクレールが反射的に身を起こし、リクを凝視したのは無理もないことである。


「同じ目って――」


口腔(こうこう)から異物を流し込まれて呼吸を奪われた」


 急激な脱力と眩暈(めまい)で、シンクレールは再びその場で仰向けになった。もう身体のどこにも力が入らない。なのに口だけは、ほとんど無意識に開閉し、思考が喉を経由(けいゆ)して音になっていた。


「――」


 シンクレールの呟きは、山岳を渡る風の音や、いまだ果敢(かかん)に戦闘を続ける兵士たちの咆哮(ほうこう)()き消された。それでも、隣にいる血族は音の断片を敏感(びんかん)(とら)えたらしい。


「聞こえなかった。もう一度言ってくれ」


「……はじめてだったんだ」


「なにがはじめてなんだ?」


 シンクレールはぎゅっと目をつむり、押し出すように答えた。「キスが。……ファーストキスだったんだ」


 風が、甲高く叫んでいる。


 訪れた沈黙に、マシモフたちの哄笑(こうしょう)(むな)しく響いた。


 リクがやけに平板な口調で返したのは、(じつ)に十秒後のことである。


「あれは接吻(せっぷん)ではない。カウントしなくていい」


「それ、本気で言ってるのか?」シンクレールの胸にあったのは、ただただ悔しさである。それが虚しさや諦めに変わってしまうのをなんとか()き止めようとするために、感情のまま言葉をぶつけていた。「カウントしなくていいだなんて、そんなの卑怯(ひきょう)じゃないか」


 シャンティは好きでキスをしたんじゃない。あれは攻撃手段でしかなくて、感情は一ミリも含まれていない。――そんな自嘲(じちょう)が、シンクレールの頭で旋回していた。たかが唇を合わせただけ。


 前線基地の戦闘は依然(いぜん)として続いている。そんな状況において、唇のことで必死になっている自分が滑稽(こっけい)であることは、彼も理解してはいた。それがなおのこと、心を乱す要因なのである。


 リクはしばし唖然(あぜん)としてシンクレールを(なが)めていたが、やがてひと言「悪かった」と()びた。


「いや、いいんだ。取り乱しただけだから……」


 語尾が風に消えていく。


 再び訪れた沈黙のなかで、シンクレールはようやく心に落ち着きを感じた。反面、苦しみも増していく。シャンティに敗北した事実を、様々な角度から捉えはじめたのである。


 自分は今、なにもかも終わったつもりで横たわっている。でも、本当は違うんじゃないか。こんな状況でも出来ることがまだ――。


「なにを考えているか知らないが、(やいば)を向けようとは思うな」


「……そんなことは考えてない」


 嘘だった。今まさにシンクレールは、反撃について頭を(めぐ)らせた矢先なのである。


「マシモフがいる限りお前に自由はない。決闘前の誓約(せいやく)を思い出せ。あれが口約束だとは思っていないだろう?」


 全軍に停戦指示を出すこと。そして、シャンティの言いなりになること。(おおむ)ねそのふたつが、決闘前の誓約だった。


氷の(グラス)――」


 リクに向けて(はな)とうとした魔術が、魔力の粒子となって散っていく。敵へと向けた自分自身の手のひらを、シンクレールは呆然(ぼうぜん)と見つめた。


 魔術になってくれない。攻撃の意志はあるのに、身体が(かたく)なに拒絶している。


 哀れなものを見るように、リクの眉尻(まゆじり)が下がった。


「分かったろう? 無駄なんだ」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢(フロイライン)」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃以降、生死不明。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて


・『白銀猟兵(ホワイトゴーレム)』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて

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