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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Sinclair.「プラトニックの、その先の」

※シンクレール視点の三人称です。

 マシモフが五分経過を高らかに宣言すると、シンクレールは仰向(あおむ)けに倒れ込んでしまった。朦朧(もうろう)とする意識を鞭打って、なんとか五分間魔術を行使(こうし)し続けたのである。


 途中、戦場の血族たちの魔術によって氷塊が破壊されそうになったが、そのたびにシンクレールは魔力を注ぎ直し、修繕した。その結果、氷塊は最後の一秒まで継続して弾丸を放ち続けたのである。目に見えるほど敵の数は減っていなかったが、損害を与えることが出来たのは事実である。もはや指一本動かせないほどの疲労のなか、シンクレールは達成感と倦怠感(けんたいかん)の両方を味わっていた。


 惜しむらくは、白銀猟兵(ホワイトゴーレム)が自爆しなかった点である。一体目の自爆により特徴を把握したのか、血族たちは残る四体の白銀猟兵(ホワイトゴーレム)への攻撃をやめ、防御に(てっ)していたのである。破壊に(いた)らなければ自爆しない性質が(あだ)となったが、やむを得ないことではあった。


 シンクレールは、自身の身体が否応(いやおう)なく起き上がるのを感じた。両腕が強制的に開かれ、(はりつけ)の姿勢となる。


 拍手をしながら接近するシャンティの姿が、彼の目に映った。


「頑張ったね、シンクレールくん。褒めてあげる。とっくに限界だったのに、時間いっぱいまで力を尽くしたんだもの。無駄な努力をする子は嫌いだけど、意味と価値を知って頑張れる子は尊い。さすが眼鏡男子。拍手」


 シャンティが(うなが)すと、周囲でまばらな拍手が鳴った。


 もはやシャンティがなにを言おうと、シンクレールにはどうでもよかった。まず間違いなく、次の自分の攻撃ターンは訪れない。必要な仕事はやり切ったのだから、シャンティに蹂躙(じゅうりん)され、支配されるとしてもかまわない。彼は疲労に任せて、そんな思いを強くしていた。ただ(うつむ)き、ぼんやりと地面を(なが)めながら。


「顔、上げてね」


 すぐそばで彼女の声が聴こえた。()いで(あご)を掴まれ、無理やりに顔を上げさせられたが、シンクレールは抵抗しなかった。


 ふたつに割れた真っ赤な舌が、彼女の唇で踊る。


 不意に、シンクレールの視界が黒に染まった。シャンティの片手が、彼の両目を(おお)い隠したのである。それすら、シンクレールは正確に理解していなかった。ただぼんやりと、暗いな、と思っただけのことである。


 目を()らせば彼女の手のひらが見えたことだろうが、もはや関心事ではなかった。自分が血族に対して与えた損害は決して小さくない。五分間の氷弾による攻撃――その代償として彼女がいかなる拷問を行うだろうか。爪を()ぐ。舌を裂く。指を切断する。目を潰す。どんな痛みも自分に訪れうる未来で、抵抗は一切許されていない。彼はそんなことを考えたが、しかし、恐怖よりも脱力のほうが強かった。


 シャンティの手のひらと、自分自身の(まぶた)。二重のフィルターに覆われた瞳には、ただひたすらに(おだ)やかな闇が広がっている。


 彼はごく自然に、ひとりの女性の姿を思い描いた。


 クロエ。僕は、やるべきことをやった。ここで死のうが、死んだように生きる羽目(はめ)になろうが、どっちでもかまわない。僕が僕としていられる人生はここで終わりなのさ。


 でも、不思議と晴れやかな気分なんだよ。


 悔しさを感じていいはずなのに。


 もっと生にしがみついてもいいはずなのに。


 今はただ、君が無事に生き続けることを祈ってる。心から祈っ――。


 シンクレールの内心の呟きは、不意の異物によって中断された。


 唇に、なにやら妙な感触が訪れたのである。最初それは、シャンティの指だと思った。拷問のために伸ばされた指。ゴテゴテと指輪を()めたそれである、と。


 が、どうやらそうではなさそうだった。金属質な異物感はないうえ、指よりずっと柔らかい。それに、湿り気がある。


 彼の唇が押し開けられ、口内になにかが侵入してきた。唇の感触はそのままに、二又(ふたまた)に割れた、生き物めいた(なめ)らかな動きのなにかが、舌に(から)む。


 彼は少し()めた気分で、これはなんだ、と薄目を開けた。見えるのは、手のひらに(さえぎ)られた暗闇ばかりである。口のなかでは、相変わらず正体不明の物体が動いている。どろどろした液体に口内が満たされ、喉を降りていく。自分の唾ではない。


 ひとまとまりの液体を嚥下(えんげ)した瞬間、シンクレールは電流を浴びたように目を見開いた。


 頭を閃光が駆け巡る。


 急激に荒くなった鼻息が、すぐ目の前の障害物にぶつかった。


 キス。


 これは、キスだ。


 多分、そうだ。多分、これが、キスなんだ。


 頭のてっぺんが痺れ、足先が宙に浮くような、妙な感覚を彼は味わっていた。両目はこれ以上ないくらい強く大きく開かれ、瞳が痙攣的(けいれんてき)に震える。自分の唇が触れている相手がシャンティであることは、とうに把握していた。口内に侵入した相手の舌が、蛇のごとく分かれていたからではない。そんな外的要因などではなくて、直観的にそう思ったのである。


 シャンティが、僕と、唇を重ねている!


 しかも舌を――舌? え?


 シンクレールの身体が大きく震えた。今さらながら到達した気付きに対し、震えたのである。


 自分はシャンティと舌を絡み合わせている。煽情的(せんじょうてき)唾液交換を、衆人環視のなかで堂々とやってのけている。


 キスについて、シンクレールの知る内容はそう多くない。ただ、多くの場合において、舌を触れ合わせる行為は愛情表現というより、愛情を確かめ合い、充足を得るための(いとな)みだということは知っていた。プラトニックのその先にある、高次(こうじ)のキス。それを今自分が経験しているのだという事実に、シンクレールはひどく混乱していた。脳内で疑問符が爆発的に増殖している。


 なにゆえ彼女がキスをしてくれたのか。


 分からない。分からないが、口内で展開されている放蕩(ほうとう)を生涯忘れることはないだろうという確信だけはあった。記憶のもっとも深い位置に仕舞い込まれる(たぐい)の経験が、ここにある。


 言うまでもなく、シンクレールはクロエに対して誠実な愛情を(いだ)いていた。どちらかというと潔癖な人間であり、こと性にまつわる物事はほぼなにも味わったことがない。


 クロエに対する申し訳なさのようなものは、頭のどこかには存在した。しかし、それとこれとは別であると(かたく)なに主張する自分もいて、圧倒的に後者が優勢だった。これは(みずか)ら仕組んだことではなく、事故である。シャンティと唇を重ねたいなど、これっぽっちも思っていなかった。そもそも彼女の風体は――血族であることは抜きにして――好みとはかけ離れている。ゆえに、誠実さは小指の先ほども失われていない。などという詭弁(きべん)論者が頭にいて、自らの正当性を叫び、脳内議会の列席者からの喝采(かっさい)を一身に浴びている。


 彼女の舌が引っ込んで、唇が離れたとき、シンクレールは思わず「ぁ」と小さな声を漏らした。


 それと同時にシャンティの手が外され、シンクレールの視界に彼女の顔――ほんのりと笑みを浮かべている顔が映る。不敵な表情ではあったが、彼の目には、それが照れ隠しにしか見えなかった。


 どうして自分にキスをしたのか。


 どうして舌を。


 もしや、と思ったときにはすでに口が開いていた。


「君は、僕のことが好きなのか……?」


 一目惚れ。そんな結論がシンクレールの頭で燦然(さんぜん)と輝いている。


 敵同士なのに、なにを馬鹿なことを――と考えるより、敵だからこそ、と考えるほうが彼には自然に首肯(しゅこう)出来た。愛とは往々(おうおう)にして、困難な道の上に咲くものである。王都の書物でそんな台詞を目にしたことを、ふと思い出した。


「もちろん。好きだよ」


 微笑し、こともなげに答えたシャンティを見て、シンクレールの胸は激しく痛んだ。そして、息苦しくなる。呼吸も難しいほどに。


 言葉が出ない――というより、声が出ない。


 呼吸を失ったシンクレールは、意識が途絶(とだ)える最後の瞬間まで、彼女の微笑から目を離さなかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『白銀猟兵(ホワイトゴーレム)』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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