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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Sinclair.「存在意義」

※シンクレール視点の三人称です。

 額にシャンティの指先が触れた直後から、シンクレールの意識は曖昧(あいまい)にぼやけてしまっていた。視界が赤黒く混濁(こんだく)し、眼球はズキズキと痛みを訴えている。きつく目を閉じていたが、(まぶた)を押し開けて熱を()びた液体が流れていく感触があった。


 手足が痺れ、力が入らない。(はりつけ)になっているがために倒れることはないものの、平衡(へいこう)感覚は失われていた。見えざる支えがなければとっくに崩れ落ちていただろう。濁流を間近で聴いているような音が耳の奥で()えず鳴り続けており、弛緩(しかん)した口から錆臭(さびくさ)い液体を吐き続けながら、なんとか呼吸をしていた。


 意識の糸が急速に細くなっていく。頭のなかを様々な幻燈(げんとう)が駆け抜けては、意識に残ることなく消えていった。そのなかにはクロエやシフォンの姿があったが、乱れ、(ゆが)み、千切れ、明滅し、攪拌(かくはん)され、意味を持たないモザイクのひと欠片へと(ぼっ)していくばかりであった。


 思考は砕け、時間の感覚もない。


 自分がどのような状況にあるのかさえ不明瞭だった。


 五感だけが意識の()りどころで、それさえ遠ざかっていく。


 ――そんな状況でシンクレールが気を失わなかったのは、奇跡めいた偶然と言えよう。


「五分きっかりです。残念ながら……シャンティ様の攻撃は終了となります」


 苦々しいその声は、シンクレールの耳には届いていなかった。とはいえ、磔から解放されてその場に崩れ落ちたことで、状況に変化があったことを全身で(さっ)した。


「シンクレールくんってタフだね。それだけ血を流せば、普通は気絶するのに」


 シャンティの言葉の内容を、今のシンクレールは理解出来なかった。


 彼女の声が、ひどくたわみながらも聴覚を刺激し、それがきっかけとなって目を開けた。


 赤。


 視界がすべて、赤く、暗い。腕を動かすだけでも億劫(おっくう)である。


 這いつくばったまま目を(こす)ると、視界は多少の透明度を取り戻し――彼は段々と状況を理解していった。


 自分が血だまりのなかに倒れ込んでいること。おびただしい血液が自分の目、耳、鼻、口から流れ出したものであること。


 手足の麻痺は(いく)らか収まっていたが、しかし立ち上がろうとすると意識が遠のき、その場に倒れてしまった。


「これより五分間、シンクレール様の攻撃となります」


 今度のマシモフの声は、意味ある言葉としてシンクレールの意識に入り込んだ。


 ――攻撃?


 ――ああ、そうか。攻撃か。僕のターンなんだ。早く立たないと。でも、なんだか(だる)い。身体に重石(おもし)がついてるみたいだ。


 ――深呼吸。そう、深呼吸だ。時間は限られてる。早くしないと。


 焦りが思考を加速させる。だが、その場に座り込むだけでやっとの状態だった。


 磔の姿勢になったシャンティが、彼の薄赤い視界に映る。


「シンクレールくん、もう降参してくれない? さっきも言ったけど、さっさと爆発物を処理しなきゃなんだよね。さすがにあの規模の爆発じゃ、私がなんとかするしかないし」


 (あざけ)りのない、(さと)すような口調だった。おぼろげな意識のなかでも、彼女が焦りを(いだ)いていることくらいは分かる。


 白銀猟兵(ホワイトゴーレム)は今や、シンクレールにとっても不愉快な代物(しろもの)である。とはいえそれは、味方に被害が出る可能性があることや、自爆の事実をオブライエンが伏せていたことに起因(きいん)する抵抗心だった。


 現状、自軍は谷での戦闘を続けている。一方で白銀猟兵(ホワイトゴーレム)は、谷から距離を置いた場所で血族たちと戦闘している。爆発の被害があるとすれば敵側だけ。


 シンクレールは、決死の思いで両手を頭上に(かか)げた。そして徐々に徐々に、魔力を集中させていく。


 頭上に生まれた小さな氷塊が、肥大(ひだい)と縮小を不安定に繰り返した。


 遠ざかる意識を繋ぐだけで、やっとの状態である。魔術を(あつか)うのは困難極まりない。しかし彼は、難事(なんじ)(みずか)らに()いた。


「もうやめなよ。シンクレールくんが万全の状態でも、魔術は通用しなかったでしょ? そんなボロボロの攻撃を打ったって、結果は見えてるよね」


 彼女に氷の魔術は通用しない。確かにそれは、すでに証明されているようなものだった。全身を凍結させたうえで砕いても、彼女の身には傷ひとつつけられなかったのだから。


「……関係、ない」


 無我夢中で声を発する。ほとんど呟くような声量だったが、そんなことはシンクレールにとって問題ではなかった。


「なんて?」


「関係、ないんだ。お前に勝つ、とか、そういうの」


 シャンティの口から、(あき)れ果てたような濃いため息がこぼれた。


 勝ち目のない相手に攻撃を仕掛け続けるのは、体力および魔力の無駄。それを自覚しながら力を振り絞るのは滑稽(こっけい)でさえある。ゆえに、彼女の呆れは至極(しごく)当然のものだった。急ぎの用事がある以上、そうした健気(けなげ)な抵抗に苛立(いらだ)ちを覚えてしまうのも当たり前である。


 丸々一分を消費して、直径二十メートルほどの巨大な氷塊を作り出したシンクレールに、シャンティは明らかな蔑視(べっし)を送っていた。


氷弾(グラス・バール)……母球(マリア)!!!」


 シンクレールは絶叫とともに、両手を前方に突き出した。


 猛スピードで放たれた巨塊は、シャンティ――の(はる)か頭上を素通りしていく。


「あは。ごめん、可哀想だけど、ちょっとほんとに笑っちゃった。あんなに頑張って作ったのに命中しないとか」


 あちこちで血族たちの追従(ついしょう)笑いが(はじ)ける。


 シンクレールが渾身(こんしん)の力で放った攻撃は、彼女に命中しなかったのだ。つい笑ってしまうほど哀れな状況に違いない。彼女を討つことが目的であれば、だが。


 不意に、シャンティの嘲笑が引いた。彼女の瞳には、必死の形相(ぎょうそう)で両手をかざし続けるシンクレールの姿が、はっきりと映っている。彼の様子には、攻撃が外れたことへの落胆は(つゆ)ほどもない。


 首を(ひね)って後ろを見返った彼女は、山岳地帯の上空――隊列を組んだ血族たちのちょうど真上で、今しも静止した氷塊を(とら)えたことだろう。


「一斉掃射!!!」


 喉を破らんばかりの絶叫。それを合図に、空中に留まった氷塊が地上に向けて、猛烈な勢いで無数の弾丸を放った。氷のつぶてが嵐のごとく降り注ぐ先は、無論、血族たちである。


「へぇ……」シンクレールの意図(いと)を理解したのだろう。シャンティの声には感心が(にじ)んでいた。「私に勝てないことが分かってるから、時間の使い方を変えたんだね」


 最初の攻撃ターンが無為(むい)に終わった時点で、シンクレールは彼女の攻略ではなく、別の目的を見据(みす)えていた。


 敵の勢力をいかに目減(めべ)りさせるか。


 それは、前線基地の存在意義そのものでもあった。


「お前に勝つのは、諦めた。けど、人間(・・)がお前らに勝つために、僕は全力を注ぐ!!」


 シャンティが顔を前に――シンクレールのほうへと戻した。口元は不快そうに歪んでいるのに、目だけは感心の光に(きら)めいている。


「賢いね、シンクレールくん。大局(たいきょく)が見えてる。勝つために自分を犠牲にする勇気もある。さっきの爆発といい、シンクレールくんの攻撃といい、こっちは大損害……」


 でもね、と彼女は満面の笑みを浮かべた。


「こっちが受けた被害なんて、もうどうでもいい。それよりも、シンクレールくんのほうがずっとずっと価値が高いんだもの」


 弾丸を射出し続ける氷塊に意識を集中しながらも、シンクレールは、口の(はし)が自然と持ち上がるのを自覚した。


「そう言ってもらえて、嬉しいよ」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『白銀猟兵(ホワイトゴーレム)』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて

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