Side Sinclair.「許されざる兵器」
※シンクレール視点の三人称です。
右頬の感触で、シンクレールはびくんと身体を震わせた。記憶に没入していた意識が、急激に現実へと戻っていく。
すぐ目の前にはシャンティがいて、もう一度彼の頬を軽く叩いた。
「もしも~し。シンクレールくん?」
「な、なんだよ」
心臓の鼓動が、やけに大きく聴こえる。いったい何秒間、現実から目を逸らしていたのか、シンクレールには分からなかった。今は決闘の最中で、自分は磔にされている。
一方的にシャンティの攻撃を受けるほかない状況なのだが、質問に答えさえすれば次の攻撃の機会を得られるかもしれない。その微かな希望を掴もうと決めたばかりじゃないか、集中するんだ――と彼は歯噛みした。
「良かった。これ以上時間稼ぎするつもりなら、お仕置きしなきゃいけなかったから。……さあ、質問のみっつ目を答えてよ、シンクレールくん。ほら、早く」
質問のひとつ目は好物。
ふたつ目はピアスを空ける位置。
シンクレールの認識している質問はそのふたつだけだった。
シフォンのことを考えているうちに、みっつ目の質問を聞き逃したらしい。それを自覚し、シンクレールは唇を噛んだ。
「……聴いてなかった」
絞り出すように告白した直後――。
「っ!!」
腹部を中心に衝撃が走り、両腕を広げて直立した姿勢のまま、上半身が否応なく波打った。仰向くと同時に、口から血が吹き出す。
彼は痛みのなかで、先ほど食らったものと同じ攻撃を受けているのだと悟った。さっきは掌底だとばかり思っていたが、どうも様子が違う。シャンティの動作は決して激しくなかった。掌で腹を打つというよりは、そっと撫でる程度の触れ方である。衝撃も、腹の外側ではなく内側で発生しているように思えた。
「シンクレールくん。私ね、無視されるのが嫌いなんだよ。誰だってそうだよね。傷付く。傷付けた分の代償は払ってもらう。簡単なことでしょ?」
痛みの波が引いていく。耳の奥がじくじくと鳴っていた。
「……悪かったよ」
「分かればいいの」シャンティは悠然とシンクレールの肩を叩いた。「もうじき残り一分だから、早めに答えてね。みっつ目の質問」
彼女の人さし指が、シンクレールの眉間に触れた。
「シンクレールくんは好きな人、いるの? 恋人とか」
「――え?」
これまでの質問も意味不明なものだったが、今しも耳にした問いは殊更奇妙に思えた。決闘の場で持ち出される言葉ではない。ましてや、どうして彼女がそれを知りたいのか、シンクレールにはまるで分からなかった。
『恋』と『好』の文字が、彼の頭で旋回する。二種の文字が描く運動の中心に、淡い栗色の髪をした女性の顔が浮かんできて、シンクレールは息が詰まるのを感じた。
「顔真っ赤だけど、大丈夫? さ、早く答えてよ。また時間稼ぎするつもり?」
シャンティが指摘した通り、シンクレールはトマトじみた顔色に変わっていた。特に耳の赤さたるや、周囲の血族の嘲笑を誘うのに充分なほどの反応である。
「ち、違う。答える! 答えるけど……」
「けど?」
惑いの原因はひとつである。
時間がない以上、器用に嘘を作り上げることも出来ず、シンクレールは思ったままを言葉にするほかなかった。
「好きな人はいるけど……恋人、じゃない……」
自分自身の言葉に、彼は意外なほど傷付いてしまった。
クロエに恋していて、でも叶うことはない。そもそも自分は、憧れと恋慕を混同しているんじゃないかという疑念もある。目標に向かって真っ直ぐに努力する彼女に、目が眩んでいただけなのではないか。逆光となった彼女の背を眺めるとき、自分の優柔不断さから束の間でも解き放たれる感覚がある。だからこそ彼女を想っていたのだという身も蓋もない結論を、否定しきれない自分もいる。
そんなあれやこれやを一挙に突き付けられたように思い、シンクレールは項垂れてしまった。
「そっか。ふ~ん……片思いなんだ」
俯いたシンクレールの視界で、彼女の足が動く。背後へと回る。そうしてなぜか、背中に冷えた肌の感触が広がった。
なぜ自分が柔らかく抱きしめられているのか分からず、彼はただただ困惑するほかなかった。血族の社会――シャンティの暮らす土地では、こんな具合に肌の接触を伴うコミュニケーションが、男女間でも横行しているのかもしれないとすら思った。
耳元に、息がかかる。
「名前を教えてよ。私が殺してあげる。つらいつらい片思いから解放してあげる」
ぎゅ、という音が口内で響く。シンクレールはほとんど反射的に、強く強く歯を噛みしめていた。
ふざけるな、と思った。誰がお前に教えるものか、と思った。お前なんかにクロエが負けるわけない、とも思った。そのすべてが、冷静な思考を介さない譫言だった。
激昂しつつある自分を意識すると、シンクレールは目をつむって呼吸を整えた。
「それがよっつ目の質問なのか?」
「うん? どうしようかな」
背中の感触が離れる。
シャンティは再び、シンクレールの前に立った。試すような、哀れむような、そんな瞳が彼を見下ろしている。
彼女が答えを出す前に、マシモフが「残り一分です」と告げた。
一分。それさえ凌げば、シンクレールに攻撃の順番が回ってくる。濃くなっていく希望に、彼は却って冷静になっていった。
ゆえに、彼女以外のものにも意識が向いた。血族たちの蠢く山岳地帯では、いまだに五体の白銀猟兵の姿がちらついている。
戦場に変化が生じたのは、ちょうどそのときだった。
黒々と群れをなす血族たちの間で、真っ赤な光が弾けたのである。次いで爆音が轟き、猛烈な風がシンクレールの立つ岩場を襲った。
「なに!?」
シャンティが戦場を振り返る。取り巻きたちも、一斉に同じ方向を凝視した。無論、シンクレールも同じである。
血族たちの蠢いていた一角に、濛々と煙が立ち込めている。先ほど赤い閃光が放たれた箇所を中心として、ぽっかりと地面にクレーターが出来上がっていた。遥か離れた岩場から見ても、被害の甚大さは容易に把握出来る。
白銀猟兵は四体に減っていて、だからこそなにが起こったのかは明白だった。しかしながら、いかに明白であろうとも意想外の事態は思考を停止させる。この場の誰もが――シャンティやシンクレールといった敵味方問わず、一様の思考停止状態に陥っていた。
「とんでもないものを持ち込んだね、シンクレールくん」彼女はシンクレールを見返ることなく呟いた。その声は低く、獣の唸りに似ていた。「味方にも被害が出るような代物を、平然と――」
シャンティの声が途切れたのは、振り返り、シンクレールの表情をはっきりと確認したからだろう。彼の瞳が大きく見開かれ、怒りに震えている様は、どんな言葉よりも雄弁だった。
独り言のように、彼女は呟く。「そっか。シンクレールくんも知らなかったんだね」
「知ってたら、あんなもの……放置するわけないじゃないか」
白銀猟兵は、破壊される瞬間に自爆する。それも、広範囲を巻き込んで。たとえ敵に大損害を与えられる兵器だとしても、味方すら消し炭にしかねない代物である。
オブライエンの思考のおぞましさはラルフの記憶で充分過ぎるほど把握していたが、それでも、シンクレールの心のどこかには油断があった。人間側として戦争に協力する以上、どこかで歯止めがかかるのではないかと、そう思っていたのである。
シンクレールは、自分の甘さを痛感した。
オブライエンは、敵を破滅させるためならどんなことでもやる。その結果、兵士を道連れにしようとも。
「よっつ目の質問。――あれを作ったクズは誰?」
「オブライエン」
シンクレールはシャンティの目を真っ直ぐに見つめ、一語一語に憎悪を籠めて答えた。
ほんの一瞬、彼女の目が見開かれた。これまでずっと維持されてきた余裕の表情は消えている。
「そう。そっか。なるほどね」頷いた彼女は、シンクレールを哀れむように続ける。「シンクレールくんは悪くないよ。あれが爆発するなんて知らなかったんだから。オブライエンがどんな奴かも知らないでしょ? でも、知らなければ全部が許される、なんてこともないよ。悪くなくても、罪は罪。罪には罰が必要。あの爆発で何人、私たちの仲間が吹き飛んだと思う? あれは、到底、許される兵器じゃない」
お仕置きはあとでたっぷりするね。
彼女の指先が、シンクレールの額に触れた。
「シンクレールくんは質問に全部答えてくれた。でも、急ぎの用事が出来ちゃったから、攻撃するね。あの白い人形、私がなんとかしなくちゃならないみたいだから。……約束、破ってごめんね。あとで埋め合わせしてあげるから」
本当に、心の底から哀れむような調子で彼女は言った。それが演技かどうか見抜く前に、シンクレールの脳が揺れ、全身に衝撃が駆け巡り、正常な思考は不可能となった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて




