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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Sinclair.「がんばれ、がんばれ」

※シンクレール視点の三人称です。

『撤退を、お願いします、撤退を……』


 (みずか)らの魔術がもたらした傷と痛みのなかで、シンクレールは荒い呼吸をしていた。左肩と右の脇腹が裂けて、血が(にじ)んでいる。深緑色のローブに広がった血液は、暗闇の下で濃い黒の染みとなっていく。


 そんな状態にあっても、エイミーの交信魔術は意識の中心に食い()っていた。


「シンクレールくん」


 対面のシャンティを、シンクレールは(うつ)ろな瞳で(にら)んだ。先ほどの魔術に要した繊細な集中から解放され、彼は痛みと倦怠(けんたい)の両方を鮮やかに感じていた。


「残念だったね。私を攻撃するふりをして、みんなを倒そうとしたんでしょ? でも、シンクレールくんの魔術は誰にも命中しなかった。自分が傷つく覚悟で攻撃して、傷ついたのは本当に自分だけだなんて。頑張ったのに(むく)われない、かわいそうな眼鏡男子」


 彼女の語尾は喜悦(きえつ)からか、(いびつ)上擦(うわず)っていた。


 二人を取り囲む血族たちがアハアハと笑う。耳に慣れつつあった追従(ついしょう)笑いも、今この瞬間においては屈辱を喚起するに余りある。


 全員でなくとも、誰かには命中してくれる。シンクレールにそうした算段があったのは事実である。命までは奪えずとも、無数の弾丸のいくつかは致命的なダメージを与えてくれるのではないかと、そんな希望を抱いていた。しかし、氷の弾丸は一発たりとも取り巻きを(とら)えることはなかったのだ。直撃したはずのシャンティでさえ無傷である。


「残り二分ですよ。めげないで、頑張ってくださいませ」


 小太りの男――マシモフが笑いを(こら)えつつ告げた。


 周囲の血族たちが小声で会話をしているのが、シンクレールの耳に入った。残り二分で一発か二発くらいしか魔術を使えないだろうと、そんなことを言っていた。確かに、先ほど放った魔術にはたっぷり二分以上の時間を使っていた。取り巻きたちにとっては軽々と回避出来る程度の魔術であるのに。


 彼らがシンクレールを(あなど)るのは至極(しごく)当然のことではあったが、時間と魔術に対する彼らの評価は誤っている。


氷墓(グラス・ラ・トンク)!!」


 シャンティの頭上に巨大な氷の柱が形成され、垂直に落下する。


 重たい響きとともに彼女の身体を()し潰し、土煙が上がった。


 冷笑が消える。


 囁きが()える。


 周囲は水を打ったように静まり返った。


 シンクレールの作り出した魔術によって、彼らの嘲笑や侮りは一瞬にして消え去ったのである。


 氷の柱が消えると、砂埃(すなぼこり)の先で、やけに機敏(きびん)な動きでシャンティが立ち上がるのがシンクレールの目に映った。再び両腕を開くその動作は、彼女自身が意図(いと)して行っているというより、目に見えない力で(はりつけ)のかたちに戻されているようだった。


氷の矢(グラス・フレス)!」


 周囲に展開された氷柱(つらら)が、次々に放たれる。


 シンクレールの目には、氷柱が彼女の身に激突する様子がはっきりと映っていた。最初に遭遇(そうぐう)したときのように、妙な防御で(はじ)かれてはいない。が、冷気と砂埃による(まだら)(もや)の隙間から時折見える彼女の表情には、依然(いぜん)として余裕が貼り付いていた。しかも、なんの傷もない。張りのある紫の肌は、どこもつるりとしている。着弾するたびに衝撃でのけぞりはするのだが、それだけだった。


 氷の矢(グラス・フレス)を解除し、両手を前に突き出す。魔力はすでに、両手の先に充分なほど満ちていた。


氷牙(グラス・デファンス)!!」


 地面から斜めに突き出た氷の柱が、彼女の腹に直撃する。シャンティの長身がくの字(・・・)に折れ、空中へと放り出された。


「残り一分」と告げるマシモフの声が、シンクレールの耳に届いた。


 吹き飛ぶシャンティへと手のひらを向け、照準を合わせる。展開すべき魔術を頭に思い描きながら。


氷砲(グラス・カノン)!」


 一発の氷塊(ひょうかい)が、猛烈な勢いで放たれた。それは空中のシャンティに見事に命中し、彼女をさらに遠くへと吹き飛ばして――。


 わずか二、三秒ののち、シャンティが磔の姿勢のまま、先ほどまで立っていた地面に回帰した。伸ばしたゴムが元の形状に戻るように、いかにも不自然な勢いで。それ自体は彼女の力ではなく、おそらくはマシモフによるものだろうとシンクレールは察した。一方的に攻撃する側と、攻撃を受ける側。そのルールを完全にすべく、マシモフが(ほどこ)した細工に違いない。突き倒そうと、吹き飛ばそうと、次の瞬間には磔のかたちに戻っている。それはシンクレール――攻撃側にとっては、むしろ好都合だった。どれだけ派手な攻撃をしても、次の攻撃に繋げられるのだから。


 そう。圧倒的に攻撃側が有利なのだ。


 問題はすべて、シャンティにある。


「がんばれ~」


 彼女は薄笑いを浮かべて、そう言った。肌には傷ひとつない。あれだけ激しい攻撃を加えたというのに、吐血さえしていないようだった。


「みんなも応援してやんなよ、ほら。がんばれ~。シンクレールくん、がんばれ~」


 がんばれ、がんばれ、と一定のリズムで声援が湧き起こった。そこに手拍子が加わる。


 シンクレールは無意識のうちに目を見開いて、(こぶし)を握っていた。こんな種類の侮辱(ぶじょく)を受けたのは、はじめてのことだった。ただ、悔しさよりも、足元が崩壊していくような絶望感が強い。どうして自分の攻撃は彼女に一切ダメージを与えることが出来ないのか……その理由がまったく分からなかった。


 それでも彼は歯を食い縛り、踏み出した。一歩、二歩と。やがてそれが疾駆(しっく)へと変わる。向かう先は磔のシャンティ。


 もう残り時間は一分を切っていて、この状況で出来る攻撃のバリエーションは多くない。


「がんばれ、がんばれ」


 シャンティの目の前まで来ると、彼は足を止めた。そして、自分を見下ろす彼女の腹に手のひらを当てる。その瞬間「えっち」と言われて多少たじろいだが、()いて呼吸を一定に押さえつけた。


氷獄(コフィン)!!!」


 シャンティの全身が氷に包まれる。


 氷塊の内部にいる彼女と、目が合った。


氷墓(グラス・ラ・トンク)……!」


 氷の塊となった彼女の頭上に、これまででもっとも大きい、巨大な氷の柱が出現する。高度も、先ほどの同じ魔術よりずっと高い。


 バックステップを踏んで距離を取り、シンクレールは(かか)げた右手を振り下ろした。それと連動するように柱が落下する。


 凍結された彼女まで、二メートル。


 一メートル。


 三十センチ。


 十センチ――。


 破砕音が鳴り響き、氷の破片が散った。真っ白な冷気の(もや)が流れ出し、シンクレールの視界はたちまちに奪われていく。


 一方的な攻撃として、自分に出来る最大限のことはしたつもりだった。短時間にいくつもの魔術を(つら)ねたために、過呼吸になりつつある。心臓は不安定なリズムで高鳴っていた。思わず地面に膝を突いて(うつむ)くと、急に唾液が舌の根を昇り、口内を満たした。


「五分経過です。シンクレール様の攻撃は終了……」


 シンクレールが顔を上げると、靄の先でゆらりと影が揺れた。


 視界が徐々に正常に戻っていく。


 晴れゆく靄の中心で、シャンティが気持ち良さそうに伸びをしていた。その身体にはどこにも欠損がない。血の一滴さえ流れていない。


「お疲れ様、シンクレールくん。残念だったね。かわいそ~」


 接近するシャンティは、まったくの無傷だった。


 徒労感(とろうかん)がシンクレールの胸中(きょうちゅう)を満たしていく。


『……』


 息を()む音が、耳の奥に届いた。そこには『ぁ』という(かす)かな声が混じっている。


 (まぎ)れもなく、エイミーの声だった。なにか重要な物事を口にする前の緊張が、そこに(うかが)える。


 シンクレールは立ち上がり、シャンティの視線を正面から受け止めた。彼の表情からは、徒労や絶望はすっかり()せていた。


『各拠点に通達します。現在前線基地を襲撃しているのは簒奪卿シャンティの部隊のみ。血族二千、魔物は八千。ほかの貴族は東の山脈から別のルートを辿(たど)っている模様。繰り返します――』


 エイミーへの感謝だけが、シンクレールの胸を(おお)っていた。


 ――前線基地に残り続けてくれて、ありがとう。


 ――僕のメッセージを受け取ってくれて、ありがとう。


 最初に放った氷の弾丸。


 そのひとつに混入させた走り書きのメモが、シンクレールの計算した通りの軌道(きどう)でエイミーの待機する岩場に届いたのである。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『氷の矢(グラス・フレス)』→氷柱を放つ魔術。初出は『269.「後悔よりも強く」』


・『氷牙(グラス・デファンス)』→大地から氷のトゲを展開する魔術。初出は『Side Sinclair.「憧憬演戯」』


・『氷墓(グラス・ラ・トンク)』→空中から氷の柱を降らす魔術。初出は『Side Sinclair.「裏切りの日の思い出」』


・『氷獄(コフィン)』→対象を氷の箱に閉じ込める魔術。閉じ込められた相手は仮死状態になるが、魔術が解ければそれまで通り意識を取り戻す。相手によっては意識を保ったままの場合もある。詳しくは『270.「契約」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて

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