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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」
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Side Sinclair.「過去の遺物」

※シンクレール視点の三人称です。

 下方に口を開けた谷から、(とどろ)きが上昇する。絶叫に似た咆哮(ほうこう)には、しかし臆病さなど微塵(みじん)も含まれていないようだった。現に兵士たちは、殺意だけを心の中心に()えて谷間で()えている。振るう剣には一切の遠慮がなかった。魔物だろうと血族だろうと、敵である以上、必ずや打ち倒さねばならない。自らの命を憎悪の灼熱で灰塵(かいじん)とすることにこそ、()えていた。彼らのなかには、自分自身の胸に突如(とつじょ)として去来(きょらい)した憎しみの(たけ)りに疑問を抱く者もいたが、とめどない感情の流露(りゅうろ)の前では冷静さを取り戻すことなど不可能だった。疑いの種から目を()らし、目前の敵を討つことだけがすべてだった。


 つまり。


 オブライエンが剣に(ほどこ)した魔術を、誰ひとり打ち破ることが出来なかったのである。いち兵士はもちろんのこと、分隊長を(にな)う実力者でさえ、敵の血で全身を(うるお)すことしか頭にない獣と化していた。そんな彼らの耳に幾度(いくど)も訪れる撤退命令は、世迷言(よまいごと)とすら認識されない。


 雄叫び渦巻く戦場と比較して、シンクレールの立つ岩場は沈黙が(りょう)していた。今しも彼が放った言葉により、誰もが絶句していたのである。


 なかでも誰より戸惑(とまど)っていたのは、ほかならぬシンクレール自身だった。


 ――僕はなにを言ってるんだ? 敵同士が争うのは好都合じゃないか。それなのに、勘弁してやってくれ、だなんて。僕は一体、どういうつもりなんだ。


 噴出した疑問は渦を巻き、解消されないまま膨れ上がっていく。しかし、後悔はない。戸惑いだけが彼の胸にあった。


「優しいね、シンクレールくん」


 シャンティの目尻に柔らかな(しわ)が寄る。(おだ)やかな微笑でさえ、彼女の顔面に施された装身具の数々が、凶悪な内心を(かえ)って暴露しているようだった。


「見苦しいんだ、そういうのは」


 張り上げるつもりでシンクレールが放った声は、か細く流れただけだった。しかし先ほどのように、なかば無意識に口にしたわけではない。今度の言葉は、彼が自分の心に従って()りなしたものである。


 相手がどこの誰であろうと、一方的にいたぶられる姿を目にするのは心苦しい。それは、シンクレールの(いつわ)らざる本心である。被虐者の顔に、かつての自分を重ねてもいた。すなわち、(しいた)げられるリクを救うためではなく、その姿に自分の過去を見出(みいだ)してしまうのが苦しくて、言葉を(つむ)いだのだった。


 地に伏したリクが、ゆっくりと顔を上げる。その瞳は(つか)の間シンクレールを(とら)えたが、すぐにシャンティの足元――ブーツへと移った。


 リクの舌先が、ブーツに触れる。彼の顔にはなんの表情も浮かんでいなかった。


「シンクレールくん。さっき、ほかの貴族がどうとか言ってたよね」シャンティはリクを見下ろし、愉快そうに言う。「嘘をついたわけじゃないんだけど、厳密には違うの。私の部隊には爵位(しゃくい)持ちもいる」


 たとえば、と言って、彼女はブーツの爪先で地面を何度か叩いた。新鮮な唾液に濡れた爪先に、土がこびりつく。と、それを再びリクの鼻先に突き付けた。敗残者の赤い舌が、意図的な汚れを舐めとっていく。シンクレールはそれを、ただ怒りを()めて眺めていた。


「私のブーツを喜んで舐めてるこいつは、伯爵(はくしゃく)位を持ってるんだよ。家柄って意味なら、子爵(ししゃく)の私とは格が違う。けどさ、それってあくまでも過去の遺物なわけ。分かる? ……分かんないか。グレキランス人だもんね」


 彼女の言う過去の遺物が、かつてのラガニアを指しているのだとシンクレールには分かった。ラルフの記憶によると、ラガニアでは領地の多寡(たか)によって爵位が決められる。オブライエンが()き回すまでは、ほとんどの家で爵位の変化は(しょう)じなかったらしい。彼女ら血族は、例の悲劇ののちも過去のヒエラルキーに一定の価値を置いているのだろう。


 それなら、とシンクレールは疑問を抱いた。それなら、どうしてリクは足蹴(あしげ)にされてるんだ。


 当然の疑問と心得ていたのか、シャンティは得意げに笑った。


「爵位なんて、今じゃ絶対の価値なんて持たないの。それよりも力がものを言う。それが一番分かりやすいからね」


「……力で()じ伏せて、全部奪ったのか」


「私はなんにも奪ってないよ。誤解しないで。平和に暮らす私たちの領地を、こいつが奪おうとしたの。だから返り討ちにした。そしたら、こいつが忠誠を誓ったってわけ。私はなにも奪ってない。むしろ、与えたんだよ。私という君主をね」


 胸に手を当てながら話すシャンティに、シンクレールは(いつわ)りしか感じなかった。かつて自分を意のままに操っていた()心性(しんせい)酷似(こくじ)したものを、シャンティに感じ取ったのである。


 善悪について、この女は詭弁(きべん)しか言わない。シンクレールはそう判断した。一方で、先ほど彼女の漏らした情報――ほかの血族たちが別ルートを歩んでいること――については真実だと直観していた。この手合いは虚栄心が強い。自信過剰で、傲慢(ごうまん)。だからこそ、ほかの有力者と組んで戦略を張り(めぐ)らすような真似(まね)はしない。ゆえに、こちらを()めるつもりで(にせ)の情報を()いた可能性は低い。


「私からも質問。色々教えてあげたんだから、ちゃんと答えてくれるよね?」


 シャンティの瞳が、まっすぐにシンクレールを射る。


 急激に、彼女の声が低くなった。まるで脅すように。「その首輪、誰につけられたの?」


 首輪、と言われて彼はハッとした。閃光のようにルーカスの顔が頭に浮かび、次にクロエの顔へと移り変わっていく。


『灰銀の太陽』の情報と引き換えに、クロエは首輪を――血族たちのオークションの出品物であることを(あか)し立てする首輪を身に着けたのである。彼女だけにリスクを()わせるのが嫌で、シンクレールもルーカスの出品物としての(あかし)を装着したのだった。実際に出品されるかどうかはこちらの意思次第であり、その意味では害はない。あくまでも出品権をほかの血族に渡したくないというルーカスの独占欲の象徴(しょうちょう)だった。


 シンクレールは生唾(なまつば)()み、ぎこちない微笑を作り上げた。


洒落(しゃれ)てるだろ? 自分でつけたんだ」


 瞬間、重たい音が周囲に鳴り響いた。シャンティの蹴り上げた足と、リクの放物線だけが、シンクレールの目に映っている。蹴る瞬間はあまりにも早く、視認出来たのは蹴撃(しゅうげき)が終わった光景だけだった。


「いつまで舐めてんだよ」と吐き捨てるように言ってから、彼女はシンクレールに笑顔を向けた。「ごめん、聞いてなかったんだけど、結局誰につけられたの? オークションの首輪」


「……ルーカス」


 そう答えるほかなかった。答えてから、自分は馬鹿だと、内心で(ののし)った。敵を(かば)うような真似を続けて、一体なんのつもりなんだ。


「ふーん……知らない名前。ねえ、誰か知ってる?」


 取り巻きは一斉に首を横に振る。機械的な動作だった。


「グレキランスに隠居(いんきょ)してる血族だ。昔オークションの支配人をしてたとか、そんな話を聞いたことがある」


「ああ、そう。落人(おちうど)ね。まったく、がっかり」彼女はわざとらしく(ひたい)を押さえて項垂(うなだ)れた。「ま、いいよ。別に。約束(・・)なんて関係ない」


 彼女の落胆の理由も、約束がなにを()すのかも、シンクレールには分からなかった。戦争で得たあらゆるものをオークションに出す決め事など、彼には知りようがない。


「さて、それじゃ」シャンティは伸びをしてから、コキコキと軽く首を鳴らした。「決闘しよっか。ルールはどうする?」


「勝ったほうが相手の軍勢を好きに――」


「そういうことじゃなくて」


 あはは、と彼女は声を出して笑った。


 この状況でまだ笑えるその神経に、シンクレールは薄気味の悪さを感じて仕方なかった。さっきまで味方をいたぶり、これから命がけの戦いをするというのに。ましてや今は戦場にいるわけで、彼女の部下だって必死に戦っているのだ。そんな背景全部、意識にすら入っていないような、そんな笑いだった。


「じゃあ、どういうことだよ」


「決闘のルールだってば。……マシモフ!」


 直後、「はい、シャンティ様」と取り巻きのひとりが歩み出た。小太りで背が低い。そしてやたらとニヤニヤしている。


 マシモフと呼ばれた男は、シンクレールに軽く会釈(えしゃく)をした。


「わたくしはマシモフと申します。シンクレール様、どうぞお見知りおきを。僭越(せんえつ)ながら、わたくしめがルールの説明をさせていただきたく……。まず、シャンティ様の流儀における決闘とは、一定のルールに(もと)づいて厳格に管理される儀式でございます。報酬の取り決めはもちろんのこと、どのように争うかも合意の上でなされます。たとえば魔術禁止ですとか――」


「駄目だ。魔術は有効にしてもらう」


 饒舌(じょうぜつ)に語るマシモフに、思わず口を挟む。魔術が使用出来なければ、シンクレールはただの一般人でしかない。


左様(さよう)でございますか。でしたら、案山子(かかし)はいかがでしょうか」


「案山子?」


「左様」マシモフは短い人差し指を、さも得意気に頭の横で立てた。「先攻と後攻を決めまして、時間を区切って一方的に攻撃するルールでございます。攻撃側は好きに戦ってかまいませんが、案山子側は一切の行動が禁じられます。つまり、その間は攻撃側のやりたい放題というわけです」


 なんだそれ、とシンクレールは眉をひそめた。そんなの先に攻撃側になったほうの勝ちじゃないか、と。


 そんなシンクレールに対して、シャンティはニコニコと「案山子なら、そっちが先攻でいいよ」と言い放った。なんの(よど)みもなく。当然の権利だとでも言うように。


「なら、その案山子とかいうルールでかまわない」


 勝ちの目が、ほんの少し間近(まぢか)に見えた気がした。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ルーカス』→『魔女の湿原』の北に広がる高原に住む『黒の血族』。銀色の梟面を身に着けた小太りの男。父である『巌窟王』と一緒に暮らしている。同じ血族であるマダムに攫った人間を提供していた。血族のみ参加出来るオークションで司会をしていたが、クビになった過去を持つ。クロエをオークションに出品する優先権を持っている。詳しくは『472.「ほんの少し先に」』『609.「垂涎の商品」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『落人』→ラガニアから放逐され、グレキランスへ渡った血族を指す蔑称。


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗すべく結成された。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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