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幕間.「懐古遊戯」

 鉛色(なまりいろ)(もや)(おお)われたその荒野には、一片の緑さえ見えなかった。あらゆる植物は枯れ果て、地虫の一匹さえ生息しない。文字通り死んだ土地である。


 かつてはそうではなかった――巨像の背に配した豪壮な椅子から地平を睥睨(へいげい)し、ヴラドはかつてのこの場所を思い出していた。


 その昔、この地は一面の草原だった。放し飼いにされた数々の動物を、ヴラドは興味深く(なが)めたことがある。彼の父にあたる公爵ドラクルは、領地である巨大な草原をいくつかのエリアに区切って家畜を育てていた。繁殖や出荷など牧畜の一切を十数名ほどの部下に任せていたのだが、ときおり視察することもあり、何度かヴラドも同行したことがある。牛も羊も馬も豚も、彼は牧場のものしか目にしたことがない。


 間延(まの)びした牛の鳴き声は、屠殺(とさつ)の運命を(つゆ)とも知らぬ長閑(のどか)さで響く。毛を刈られる羊は、自分がなにをされているのかまったく理解していないような、きょとんとした目付き。ヴラドが生き物に心惹かれるようになったのは、そうした家畜たちの影響が大きい。ずっと眺めていられたし、ときどきは石をぶつけて、真新しい反応を(たの)しんだ。


 ヴラドは(こと)に、狩りごっこが好きだった。弓矢を手に、放し飼いの家畜を影から撃つ遊びである。最初の一発はわざと外すのがコツだった。危険を感じて逃げ(まど)う動物との追いかけっこは、彼を夢中にさせた。父から叱咤(しった)された遊戯だったが、ヴラドはこっそりとそれに(きょう)じ、秘密の興奮を味わったものである。矢が肉に突き刺さり、甲高い鳴き声が返ると心が()き立った。ばったりと地に伏し、抵抗出来なくなった動物を()でていると、不思議と心が落ち着いた。そして、自分は生き物が大好きなのだと、心から思うのである。彼はそういう子供だった。


 ラガニアでアルテゴが(はじ)けてから、一切が暗転してしまった。草原は枯れ、生き物は死に()えた。ヴラドの愛した広大な土地は、いつしか『毒色(どくいろ)原野(げんや)』と呼ばれるようになり、生物の侵入を拒絶する空間と化してしまった。




「ヴラド様。ワインはいかがでしょうか?」


 そう呼びかけられて、ヴラドは追想から現実へと回帰した。夢から覚めたように目を上げると、召使(めしつか)いの少女がワインボトルを手に上目遣(うわめづか)いをしている。金糸で唐草(からくさ)模様を描いた薄絹(うすぎぬ)越しに、紫の肌が(のぞ)き見える装いだった。本来、半人半血(ハーフ)の彼女が身に(まと)える衣装ではない。此度(こたび)の戦争のために、ヴラドが特別に仕立てた品である。そんな彼女の額は、まるで一本角のごとく盛り上がっていた。


 ヴラドが無言で(さかずき)を突き出すと、彼女は(うやうや)しく、半分ほど(そそ)いだ。巨像は慎重な足運びだったが、背はどうしても揺れる。万が一にもワインが(あふ)れ、主人の身を汚すことがあってはならないという彼女なりの配慮(はいりょ)だろう。


 ヴラドは杯を(かたむ)け、ほんの少しだけワインを飲むと、少女に呼びかけた。


「ナーサよ」


「はい」


「愉しみか?」


「とても」


 そう返す彼女の瞳が一瞬だけ鋭くなったのを、ヴラドは見逃さなかった。


 ナーサは前回、王都への襲撃で双子の兄を亡くしている。その記憶が(うず)いたのだろう。


 このところ随分(ずいぶん)と大人びたな、とヴラドはナーサを眺めて思う。以前は言葉遣いも態度も幼かった。ワインを注ぐ程度の召使いぶりは前から見せていたが、配慮ある対応は出来なかっただろう。杯の九分目までたっぷり注ぎ、主人に余計な気遣いをさせたことは想像に(かた)くない。


 ナーサの落ち着きぶりは、兄の死に起因している。寄りかかる対象がいなくなったことで、冷静さや観察眼を獲得したに違いない。兄の分まで、という殊勝(しゅしょう)な思いがあるのかもしれなかったが、ヴラドにはそこまで見通せなかった。


「すぐにも暴れたいと思っているか?」


「はい。早く連中を踏み潰してやりたいと、そう思っております」


「しばし我慢することだ」


 ヴラドは地平の先――先頭を歩む魔物と血族の一団を見やった。最初に人間に接触するのは、簒奪卿(さんだつきょう)の部隊となっている。そのように取り決めたのだ。


「失礼ながら、質問してもよろしいでしょうか?」


「よい」


「……なぜヴラド様は、簒奪卿に先陣を譲ったのですか?」


「厳密には譲ったのではない。我々は別のルートを進むことに決めたのだ。結果的に簒奪卿がもっとも早く会敵するであろうが、大したことではない」


 ともあれ、そこに折衝(せっしょう)があったのは事実である。


 ――最初に人間を血祭りに上げるのは、こっちだからね。


 そうした簒奪卿の要求を、ヴラドは条件付きで()んだ。ニコルと契約した土地の配分を除き、今回の戦争で得た利益の一切をオークションに出品すること――それが条件である。簒奪卿を除く有力な諸侯(しょこう)とは、すでに同じ内容を合意済みである。


 簒奪卿は長いこと渋ったが、最後には応じることとなった。それほど、先陣に執着しているのだ。一番槍の(ほま)れ。簒奪卿は戦史に自分の名が刻まれることに執着している。


 実力の(ともな)わない者が称号ばかりを求めるのは滑稽(こっけい)であるが、簒奪卿に関してはその限りではない。先頭を歩む彼女の一団は、頭数こそヴラドの軍勢に劣るが、武闘派として通っている。部隊ごとの戦力を単純に序列化するならば、ヴラドの次点にあたる――それは多くの血族にとって認めざるを得ない事実であった。現に、彼女の領地を侵そうとした血族諸侯が何人も犠牲になっている。


 総力という観点で言うと、簒奪卿の部隊にはもうひとつの付加価値がある。


「なぜニコル様は、自分の部下を簒奪卿に預けたのでしょうか?」


「逆だ。ニコル殿(どの)が簒奪卿にすり寄ったのだ。誉れある部隊へ我が部下を加えていただきたい、とな」


 そう答えたものの、真相は知れない。


 確かシフォンという名だったと、ヴラドは思い出す。ラガニア城で目にした、人形のような小娘。出来るならば自分のものにしたい女だったが、そうしたヴラドの望みを知ってか知らずか、シフォンは簒奪卿の手に――あくまで一時的な戦力としてであるが――渡ってしまった。歯痒(はがゆ)さはあるものの、しかし、状況次第でどうにでも出来る。簒奪卿の部隊が半壊か全壊した際に、シフォンだけ奪い去ってしまえばいい。そのようなことを、ヴラドはおぼろげに思い描いていた。ただし、そのためにルートを変えるつもりも、兵を余計に動かすつもりもない。好機があれば掴む。それだけのことだった。


 ナーサの視線が後方へと向けられるのを見て、ヴラドは再び口を開いた。


「なにか気になるか?」


「……いえ、後方の流刑者どもが不審な動きをしていないかと思いまして。両腕に巻いた赤い布は、なんでしょうか」


「仲間内であることの目印だろう。雑兵(ぞうひょう)好みの安い連帯感を演出しているだけだ。好きにさせるといい。連中になにが出来る。愚かしい白痴(はくち)どもだ」


「その通りでございますね……」


 流刑地から参入者がいることを、ヴラドは(こころよ)く思っていなかった。それも当然で、流刑者たちはヴラドが領地から追い立てた連中なのである。それが、こそこそと地の果てで仲間を(つの)り、図々しいことに参戦したのだ。


 大した戦果は挙げられまいと思うものの、興味がないではなかった。


 流刑者の長、ベアトリス。彼が(ひき)いている竜人は、ヴラドにとって無視出来ない存在である。存在としては認知していたが、実際に竜人を目にするのははじめてだった。


 他種族である以上、竜人は血族よりも低位の生物と見做(みな)されている。しかし、ヴラドはどうにかして手に入れたかった。これもシフォンと同じく、好機があれば、である。ほかの諸侯の目がある場では、さすがに下手な行動は起こせない。戦場では縫合伯爵がヴラドの部隊とともに行動する取り決めとなっているが、ふたつ返事で了承したその申し出が今になって悔やまれる。加えて、穿孔卿(せんこうきょう)も同じルートでグレキランス城を目指すことになると漏れ聞いていた。


 ――なに、いくらでもチャンスは転がっているだろう。一匹でいい。竜人を(さら)おうではないか。生き物は好きだ。知らなければ、なおさら。第一これは遊戯なのだ。


 ヴラドの心中において、今回のグレキランス侵略は戦いではなかった。昔懐かしい、あの(・・)遊び。


「なにか(たの)しいことでもございましたか?」


 ナーサに指摘されて、ヴラドは微笑を浮かべている自分に気がついた。


「なに、久しぶりの狩りだからな」


 地平の先に、山並みが見えた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『ベアトリス』→ヘイズの長であり、バーンズの子孫。血族。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて


・『ドラクル』→ヴラドの父。ラガニア王の親戚筋にあたる公爵。厳格な性格。首都ラガニアの高級酒場の元締めをしていたことから、影で『夜会卿』と揶揄されていた。オブライエンの兵器『アルテゴ』の犠牲者。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ナーサ』→双子の血族。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて


・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『毒色(どくいろ)原野(げんや)』→人も血族も住まない荒廃した土地。グレキランスの人間は『中立地帯』と呼んでいる。夜会卿の統べる都市とキュラスとの中間に広がった荒野を指す。常に濃い靄に覆われており、毒霧が発生しているとの噂がある。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』にて


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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