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幕間.「少女と獣の恩返し」

 王都の北に広がる湿地を抜け、高原の先にそびえる山脈。かつてハックやクロエが辿った樹海へと(いた)る道に、大規模な洞窟が存在している。山頂付近に()いた入り口からはじまり、山全体を侵食するように枝分かれする空洞である。大勢が身を隠すにはうってつけの場所といえよう。


 ゾラ率いる獣人たちは今、その洞窟に寝起きしている。


「陰気な洞窟だけどヨォ、住めば(みやこ)ってヤツだナァ。空気もなんだか悪くネェ。山の上だから、隙間風もピチピチしてんのかナァ」

「住めば都って、お前、長居はしねぇぞ。それに、トロールどもと合流したら空気は台無しだ。今のうちに深呼吸しとけよ」

「アッハハ、違ぇネェ!」


 こんな具合の会話が、昼夜問わず洞窟内のあちこちで()わされていた。戦争の話題は不思議と聞こえてこない。ないわけではないのだが、頻度(ひんど)は低く、そして話題に上がってもすぐ消え去ってしまう。戦場に対する関心が薄いというより、目前に(せま)った戦いに対し過敏(かびん)になっているがゆえの態度だった。傍目(はため)からは呑気な連中に見えてしまうのは致し方のないことである。しかしながら獣人のなかでも連帯感に(とぼ)しい者にとっては、皆の交わす平平凡凡な雑談や下世話な話、あるいは酔い心地の喧騒(けんそう)は、不真面目としか映らない。クラナッハにとっても、皆の態度はそのように見えてしまった。


 洞窟内の奥まった場所で、クラナッハは膝を(かか)えていた。どうして自分はここにいるのだろうと、後悔のため息が漏れる。すると、すぐ隣にいる金髪の少女に睨みつけられた。


「ため息つかないでもらえるかしら!? ワタクシの幸せまで逃げちゃうじゃない!」


「あ、うん、ごめんよリリー」


 血族の少女、リリー。ルドベキアでの一件以来、彼女とクラナッハは樹海にぽっかりと空いた縦穴の底に存在する集落――『骨の揺り籠(カッコー)』で暮らしていた。クラナッハにとってはそこが唯一の居場所というわけではないのだが、不具者たちの寄り合い所帯(じょたい)は、ほかのどの集落よりも居心地が良いものに思えた。それに、リリーの存在は彼にとってなくてはならないものと化している。以前は一方的な主従関係でしかなかったが、今はもうそれに慣れてしまったし、依存してもいた。だから、彼女が独断でゾラたちに同行すると宣言したときも、反対意見を口にはしても、こうして運命をともにしているのである。


「まったく、なんでワタクシが参戦しちゃ駄目なのかしら! 何度考えても納得出来なくってよ」


 (ほお)を膨らませる彼女に、クラナッハは呆れ笑いを返す。「仕方ないさ、それは」


 ゾラはリリーの申し出を断ったのだ。彼女が獣人の一団として戦争に参加するのを断固拒否したのである。理由なんて考える必要もない。彼女の肌が、そのすべてを物語っている。


 獣人たちを含め、他種族は表向き血族側に味方して行動することとなっている。地上での戦闘はなく、血族の部隊と接触する必要もないと事前に取り決めてあるが、かなり微妙な立場にあるのは事実だった。それに加えて、人間と内通しており、彼らに()するため、オブライエン討伐を(にな)っているという事情もある。だからこそ、自分たちの動きが血族連中に漏れるのは絶対に防がねばならない。いかに獣人たちとともに暮らしていても、血族であるという一点によってリリーの戦争参加は拒絶されたのである。


 ――にもかかわらず、二人は獣人たちの待機する洞窟に(ひそ)んでいる。彼女の会得(えとく)している魔術『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』で地中からこっそりと尾行(びこう)したのだ。どうやら気付かれてはいないようで、無事ここまではたどり着くことが出来た。


 しかし――。


「これからどうすんだよ、リリー」


「どうするって、決まってるじゃない!」ふふん、と彼女は得意げに腕組みをした。「クロエとシンクレールを助けるのよ! 颯爽(さっそう)とね! 嗚呼(ああ)(ひざまず)いて感謝する姿が目に浮かぶわ。クロエは生意気だから『ありがとう』って言うだけでしょうけど、きっとシンクレールはワタクシの頭を撫でてくれるわね! 『ありがとう、リリー。君は命の恩人だ』って!」


「リリーは頭を撫でてほしいのかい?」


「は? 馬っっっっっ鹿じゃないの? 『高貴なる姫君』であるワタクシがどうして下賤(げせん)の者のナデナデに喜ぶの? まったく、これだからクラナッハは……」


 早口で(まく)し立てる彼女に「ごめんよ、オイラ馬鹿だからさ」と返しながら、クラナッハはなんとか苦笑を(おさ)えた。彼女は万事、この調子なのである。ルドベキアで色々なことを経験しただろうに、こういうところは変わらないままだ。そんな変わらない部分こそ、クラナッハは祝福していた。


 しかし、どこまで本気なのだろうか。ゾラを尾行してオブライエンと対峙するというのなら、まだ分かる。後戻りの出来ないところまで来れば、さすがのゾラもリリーを拒絶しないはずだ。甘ったるい考え方かもしれないが、どこかでゾラたちと本格的に合流するのが妥当(だとう)だと、クラナッハは考えていた。


 だが、リリーは別の思惑(おもわく)を持っているらしい。クロエやシンクレールが具体的にどこにいるのかも知らずに、二人を助けるなんて。それはもう妄想と呼んでも差し(つか)えない思考だった。


「でも、二人を見つけるアイデアはないんだろ? オイラたちには『共益紙(きょうえきし)』もないし」


 リリーとクラナッハは『共益紙』を所持していなかった。そもそもが貴重な魔道具であり、必要のない相手に渡すべきものではない。樹海に住む獣人のなかでそれを所持しているのはゾラひとりだった。そして、それで充分なのである。


 クラナッハの言葉に対し、リリーは黙りこくっている。尖った岩で地面になにやら刻んでいた。


「……ワタクシだって、色々と考えてましてよ」


「どんなこと?」


「……秘密」


 彼女が口にする秘密は、いつだって(から)っぽである。だからこのときも、リリーがなんのアイデアも所有していないのだとクラナッハは看破(かんぱ)した。


 なにも思いつかないのなら、ほどほどのところで帰ろう。そう提案しようとした矢先――。


「やぁ、こんにちは。二人してどうしてこんなところにいるんだい? ああ、待って、逃げないで。僕は敵じゃないから」


 白い毛並みのイタチに似た獣人が、柔らかな口調でそう言った。咄嗟(とっさ)に逃げようとした二人は、つい足を止めてしまう。


 まさかこんな奥地に隠れていて見つかるとは思わず、クラナッハは率直に驚いていた。しかも、相手はつい先日樹海を訪れたばかりの新顔である。なんでもずっと方々(ほうぼう)を旅しており、今回の戦争の話を聞き知って、ぜひとも獣人として働きたいと樹海に舞い戻ったらしい。タイミングから考えて明らかに警戒すべき相手だったが、意外にもゾラはふたつ返事で受け入れたのである。リリーに対する態度とは雲泥(うんでい)の差だった。


「なによ、白イタチ! ワタクシのことゾラに言いつけるんでしょ!? いいわ! 勝手にすればよくってよ!!」


 ヒステリックに上擦(うわず)ったリリーの声は、ところどころ悔し涙に震えていた。万事休す、と思っているのだろう。


「僕は白イタチじゃなくて、ヴィクトルだよ。あと、言いつけたりなんかしないさ。だって君たちは、大好きな友達のために動こうとしてるんだろう?」


「……アンタ、オイラたちの話を聞いてたのか」


「少しだけね」ヴィクトルはにっこりと微笑んだ。「それで、君たちの望む情報を持ってるんだけど、知りたい? たまたまゾラのそばで『共益紙』を見る機会があって、さっき言った二人の居場所が分かったんだ」


 怪しい、と(いぶか)るクラナッハとは対照的に、リリーは目を輝かせた。「教えて頂戴(ちょうだい)!」


「いいよ。まずクロエは『煙宿(けむりやど)』にいる。王都のそばの湿原にある町らしいね。でも、行っても彼女に会えるかは分からない。なにせ、戦場を飛び回る予定らしいから」


 露骨(ろこつ)にリリーが肩を落とした。そんな彼女を励ますように、ヴィクトルは言葉を(つむ)ぐ。


「シンクレールのほうは、前線基地という場所にいるよ。王都から見て北東の山を、王都側に真っ直ぐ下った先に凸凹(でこぼこ)した土地があるんだけど、そこに作った即席の拠点が前線基地らしいね。彼はそこから離れないはずだよ」


 リリーが歓喜の表情を見せるのを、クラナッハは苦々しく思った。前線基地だなんて、名前からして不穏(ふおん)だ。それに、人の目だってあるに違いない。行ったところでシンクレールに会えるかどうかも分からない上に、どう助けると言うのか。


 説得しよう。そう思ってクラナッハが口を開きかけると、リリーに先を越された。


「ありがとう。ワタクシ、すぐに行くわ」


「リリー! 駄目だよ! オイラたちになにが出来るって言うんだ!」


 クラナッハの言葉はごく自然に、咄嗟に口を出たものだった。そして事実、その通りである。自分たちが向かったところで彼の助けにはならない。むしろ、こっちが危険な目に()うばかりではないか。


 ほかにも言いたいことは山ほどあったし、それなりに正当性のある説得材料も持っていた。しかしクラナッハは、リリーの眼差しに射竦(いすく)められ、それ以上は言葉が出てこなかった。


「クラナッハ。アンタはそうやって、出来る出来ないで全部決めるわけ? ……それじゃ、アンタとはここでお別れね。ワタクシはシンクレールに恩を返しに行くのよ」


 先ほどは感謝されたいだの撫でられたいだの言っていたが、今口にしたことが本心なのだと、クラナッハは直観した。


 彼女は樹海で、裏切り者のハンジェンを退治してもらった恩がある。シンクレールがいなければ、きっと今のリリーはない。そしてクラナッハもまた、樹海で彼とともに行動したことで、失ったはずの故郷との繋がりをもう一度得た。


 いや、それだけじゃない。クラナッハは無意識のうちに、自分の胸に手を当てていた。


 シンクレールは人間でありながら、ただの一度だって誰かを見捨てたり、諦めたりしなかった。そんな彼のそばにいて、自分は少しも変わらなかっただろうか。


 クラナッハの内心の問いは、やがて頷きへと結実(けつじつ)した。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果としての行動。可哀想な人の味方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』


・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『ハンジェン』→リリーに仕える壮年の『黒の血族』。言葉遣いは丁寧だが、冷酷無比な性格。死霊術を得意とする。リリーとともに夜会卿の支配する街を脱出し、『落人』としてグレキランス地方にやってきた。リリーを裏切り『緋色の月』に協力したが、シンクレールに討たれた。詳しくは『617.「リリーとハンジェン」』『630.「たとえ愚かだとしても」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて


・『共益紙(きょうえきし)』→書かれた内容を共有する紙片。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて


・『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』→周囲の無機物を操作する呪術。リリーが使用。初出は『618.「大人物の愛娘」』


・『煙宿(けむりやど)』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて


・『骨の揺り籠(カッコー)』→身体的ハンデから、口減らしの目的で『異形の穴』に捨てられた獣人のうち、生き残った者たちで作り出した集落。『異形の穴』の底に存在する。詳しくは『第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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